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生きることと遊ぶこと

ぽんと世のなかに産まれてきて、まずは生きていくことから人生がはじまります。
飲んで食べて遊んで、眠ってまた飲んでのくりかえし。
少し大きくなると、遊ぶこともくわわります。

遊ぶって、生きていくのと同義語だと思う。
遊んで楽しくなって笑うこをおぼえるし、遊んでうまくいかなくて泣くことで、また生きていくことをおぼえる。

遊ぶことでコミュニケーションをえられるようになって、次は誰かと遊ぶことをおぼえる。
それは誰かといっしょに生きていく、ということ。

そして今度は大勢の人と遊ぶようになる。
つまり大勢の人と生きていけるようになる。社会性を身につけるというやつだ。
この社会性というやつがあんがいクセモノで、どうやら世のなかは大勢の人とコミュニケーションを取ることができる方が良いらしい。
お友だちと仲よくね、とか、お友だちと遊びましょう、と勧められる、あれだ。

大勢の友だちがいるのはどうやら素敵なことらしいのだが、私にはその意味があまりよくわからない。
いつもいっしょにいて、なんでもかんでもベラベラしゃべる人がいる、という意味がよくわからない。
人に話したくないことの方が多いし、自分で自問自答する方が好きだ。
人に答えを出してもらっても、それは私自身の答えではない、と思うから。


話がそれた。
まぁ、遊ぶことと社会性とやらは、深く関連があるのだな。


そしておとなになってしまうと、あんまり人と遊ぶことはなくなる。
人と関わるのは仕事での関わりが増えて、仕事の場で遊びの話はあんまりしない。
だんだん遊ぶってなんだっけ?となる。
遊ぶにはお金が必要だな、とも思う。
そしてお金がないから、遊べないな、という考えになる。

生まれた時はお金なんて持ってなかったのに。
お金と交換できる遊びじゃないと、遊べなくなっている。

そんなことをふと考えた週末。

あそびをせんとや、うまれけむ。(梁塵秘抄)

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