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小説を書きました 【逆噴射小説大賞2022 ライナーノーツ 前編】


・はじめに



 毎年恒例の“冒頭800字まで”の娯楽(パルプ)小説コンテスト:逆噴射小説大賞に初参戦し、以下の二作品を投稿しました。選考結果が出るのは暫く先になりそうですが、まずは感謝の意を二つ述べさせて下さい。
 皆様、お読み頂き誠にありがとうございました。そして100名以上ものコンテスト参戦者の皆様、執筆大変お疲れ様でした。


 これから二回の記事に分け、「なぜド素人の俺が突然小説を書こうと思ったのか」「どういった経緯で作品を考案するに至ったか」等について、備忘録も兼ね述べていきます。

・「逆噴射小説大賞」応募と小説執筆のきっかけ


 …ここからは普段通りのテンションで話そう。
 まずは、このコンテストを知ったきっかけから語らねばなるまい。それは昨年の秋。普段はエッセイを書いておられるフォロワー様:RTGさんが、珍しく小説を投稿されていたのを見た事に始まる。

(↑昨年三作品投稿されていたうち、最も心に残った刺激的な一作。)



 「逆噴射小説大賞」という非常に魅力的なコンテストを、このようにして俺は知った。“フィクションは完結してこそ成立する”と考えていたので、「“続く”で終わるなんて不思議なコンテストだな…」との思いを抱いた事を覚えている。
 時が経ちコンテストの存在自体が忘却の彼方となってしまったが、今年も新作を応募されていたのを見て一念発起し、「今度こそ俺も参戦しよう…!」と決意した。



 このnoteでは基本的に、エッセイや趣味関係のコンテンツ語りを取り扱っている。たまに写真を投稿することはあれども、文章による創作物を投稿した経験はない。
 小説を執筆した事は4〜5年前に一度だけある(2万文字程度の辛気臭いSF現代劇・アンドロイドものだった)。ただ、それは創作好きな友人数名に見せただけに留まっていたため、多くの人の目に留まる/第三者から評価される場所に投稿するのは今回が初めてだ。拭い去れない不安はあったが、「自分でも誰かを楽しませる作品を書きたい、そしてコンテストに参戦したい」との思いがそれを上回った。



 また、俺は今年鑑賞した某アニメ映画のキャッチフレーズ「幸福は創造の敵」、そしてヒロインが作中で発したメッセージ性の強い台詞──「満たされた人間はクリエイターになれない」「満たされた人間はモノの考え方が浅くなる」「幸福は創造の敵。彼ら(意訳:主人公以外のモブキャラスタッフ達)にクリエイターの資格なし」に、鑑賞から半年経った現在においても違和感を覚え続けていた。



 最近不運に見舞われがちではあるものの、映画の作中定義内において一応俺は、クリエイターの資格がない“満たされた人間”に該当されるらしい。
 でも俺はやりたいんだよ。純粋に“やりたい思い”を抱いた人間から資格を取り上げないでくれよ。クリエイターを無理やり不幸の檻に閉じ込めないでくれよ。その思想も正解の一つ・・・・・かもしれない。でもそれだけが正解じゃない・・・・・・・・・・・はずだ…と、今回の作品投稿により身を以て証明したかったのである。

※上に挙げたレビュー記事同様、映画自体・またスタッフやファンの皆様をけなす意図は一切ございません。どうかご了承下さい。


・一作目の執筆にあたって課した縛り



 このコンテストに投稿され得るべき作品は、娯楽作品エンタメである限りは実質的にノンジャンル。SF・ファンタジー・オカルト・現代劇・時代劇・バイオレンス・コメディ・ミステリー…。作者の想像力の限り何でもありだ。選択肢が多いのは有り難い反面、困りもする。初めて入った飲食店でメニューを選ぶ時のように…。


 ジャンルが決まらないままでも、物語の方向性の一つはすぐに決まった。少なくとも一本目の投稿作に関しては、人の死から距離を置いた物語を投稿しよう──という縛りである。(結果的に二本目「不殺生共同戦線」は本作以上に“不殺”要素を全面に押し出す事になったが、それにはこの縛りとは異なる理由がある。別記事にて後述する予定。)



 作中で人が死ぬ物語が嫌いな訳ではない。むしろ物心が付いた以降に俺が好んだ作品内で、敵味方モブ問わず犠牲者が出る確率は8〜9割を占めている。なので「物語はキャラクターの犠牲によって成り立つ」…。いつしか自分の中に、そんな固定観念さえ芽生えかけていた。(ちなみに先に述べた“昔書いた小説”も、主人公の生死をぼやかす結末で終えていた)


 とはいえ、フィクション全般においても「逆噴射小説大賞」にも、決してそのような制約は存在しない。だからこそこれを機に、凝り固まった考えの呪縛を解き、俺が心の底から思う“カッコいいもの”を表現しぶち撒けよう。それこそが“俺のパルプ小説”だ!
 このような意気込みで一作目の方向性は定まった。あとは肝心の物語を紡がなくては…。


・師匠:シルヴェスター・スタローンの導き



 どうしてもアイデアが浮かばなかった。何か物語を思い浮かべようとすると、既存のフィクション作品(主に大好きなアクション・SF系洋画)の内容に引っ張られてしまう。少なからず影響を受ける事はやむを得ないとしても、それを丸々なぞっても仕方がない。それでは俺が書く意味がない。
 そして10月初頭、京都へ出張した帰り。東京行きの新幹線内でアイデア出しを行っていた時…。突然「ナイフも銃も必要無いらない」というモノローグを閃いた。
 このフレーズに賭けよう。そう考えた俺は具体的な物語も決まらぬまま、上記の言葉を少しづつ肉付けして本文を構築していった。



 武器を必要としない闘いは無数にある。ある意味では「逆噴射小説大賞」自体もその一つだろう。ただ娯楽的な観点から考慮すると、“精神的な闘い”より“アクション性があるもの”の方が直感的で描写し易い・伝わり易いのではないかと考えた。



 物理的な闘いであれば、経験のある柔道はどうか?いや、そこから“パルプ的”な意外性・荒唐無稽感のある展開を考え付かない。きっと“スーパー柔道”の先駆者『ジュウドウズ』の二番煎じになるだけだ。
 頼む、誰か助けてくれ…。悩める俺の脳裏に“師匠”の姿が浮かんだ。一秒たりとも会ったことがない、俺にとってのモノ書きの精神的師匠──名俳優にして名脚本家:シルヴェスター・スタローン(敬称略)である。



 スタローン先生、どうかインスピレーションを授けて下さい。そう乞い願いながら、俺はスタローンが主演だけならず脚本をも担当した作品(共同脚本含む)を振り返った。


 創作をする者であれば、大なり小なり影響を受けざるを得ない名作「ロッキー」…。これはあまりにも作品への思い入れが強すぎて影響から逃れられない=二番煎じしか産み出せないと考え、意図的に除外した。
 娯楽作品に重要な“主人公の強烈なキャラ立ち”という意味で、ハードボイルド暴力刑事が大暴れする作品「コブラ」は素晴らしい。数々の過激な名台詞・帰宅してからのルーティーン描写が実に見事で、非常にこのコンテスト向きな気がする。しかしコブラの影響下にある限り、死体の山が築き上がる予感しかしない…。“縛り”に抵触するためこちらも除外。
 次に思い浮かんだ作品こそ、人が死なないスタローン映画──アームレスリングを題材にした1987年の作品「オーバー・ザ・トップ」であった。


・一作目「DISARM」の誕生



見出し画像共々、Amazon商品ページより引用。
スタローン映画の映像ソフトジャケットの中では本作がダントツで好き。
収まりのいいタイトルロゴも素敵。



「オーバー・ザ・トップ」。アームレスリングの為に全てを投げ打ち、失われた家族の愛情を再獲得しようとする不器用な男の物語。間違いない、これはパルプ向きの題材だ!


 とはいえ「オーバー・ザ・トップ」丸出しの作品にならぬよう、肝心の物語や設定は反映させず“アームレスリング”という題材のみ拝借した。この題材に目を付けたのは、柔道やボクシング等と異なり身体の動きが少ないアームレスリングであれば、試合描写に文章量をさほど必要としないのでは…?という目論見があったためだ。そして俺が思う“カッコいいもの”──小細工無し、真っ向勝負の戦いに挑む人間の姿を描ける、という確信も持てた。
 ちなみに、題材確定からすぐに決まったオチ=荒唐無稽なクリフハンガー展開は、その確信に加えて“人を殺さない闘いの物語を引っ提げて、人が死にまくる作品が揃うコンテストに参戦する”という所信表明でもあった。

※これはあくまでも本作のスタンスの問題であり、他の投稿作品の卑下・コンテスト自体を批判する等の意図は一切ございません。


 ちなみに、俺自身にアームレスリングの経験は皆無なため、本作の描写は脳内で産み出したファンタジーである。握りの描写はアームレスリングの解説サイトを参考にさせて頂いた。なお、試合後に手を洗う一種のルーティーンは、柔道の組み合いの際に汗の染み付いた道着(特に襟)を握る不快感を思い出し書いた。決してキャラクターへの自己投影ではないが、フィクションの中に一滴でもリアリティを込められると考えたためだ。



 さて、一度物語を書いたのちは字数制限:800字との闘いが始まる。このため本来小説に必要と思われる描写まで削って削って削りまくった。情景も心情描写も説明も…。規定の800字制限の恐ろしさが身に染みる。何を削り、何を残すべきか?過去の参戦者の方々も同じように、いや俺以上に苦しんだはずだ。
 削った結果、後悔しているポイントは多い。例えば試合の攻防は現在進行形で綿密に描きたかったが、字数節約のため“主人公が圧勝した試合の様子を、断片的に回想する”という形式に改稿した。取捨選択が上手ければ、元のスマートな形式を採用する事もできただろう。前半の文章の密度と比較すると、後半の会話が平坦になってしまったのも文字数の影響だ。いや、どちらも俺の力不足に他ならない。



 さあ、主人公は剛腕のみで復讐を果たせるのか?そもそも復讐はなぜ行われるのか?何らかの事情を知り得る店主と主人公の関係は?裏試合の実態とは?この先に待ち受ける敵とは?
 こうした“物語の余白”を俺自ら解説するのは野暮なので、解答・解釈は皆様のご想像にお任せしたい。



・偶然決まったタイトル




 投稿前の仮題は「ARM」だった。言わずもがな腕と武器のダブルミーニング。“腕を武器にして闘っていく男”にピッタリだと思った。また「オーバー・ザ・トップ」が試合中の腕のポジショニング・大会で頂点を獲る件のダブルミーニングである事から、本作もそうした遊び心あるタイトルを付けようと考えた。それにしても「クリフハンガー」「ランボー ラスト・ブラッド」等といい、スタローン作品のタイトルはダブルミーニングが上手い…。
 しかし、不安症な俺は投稿前にふと思う。あれ?腕と武器の“アーム”って同じスペルだっけ…?即座にGoogle先生に質問をする。回答は“同じスペルで問題無し”。良かった、これで投稿できる…。



 ところが、「ARM」の関連単語に「DISARM=武装解除」を発見。おい、これだよこれ。ダブルミーニングであることに変わりはないし、作品の内容とのマッチ度が増している。即座に改題が決定した。「ARM」だけでは単純過ぎて“引っ掛かり”が無いようにも感じていたので、この変更は正解だったと確信している。


・思わぬ反響



 「DISARM」はRTGさんの呟きに加え、三宅つのさん、ジョン久作さんの“作品ピックアップ記事”にてご紹介頂いた。
 またTwitter等をエゴサーチしたところ、様々な方が本作を取り上げ好意的に評価してくれていた事を知った。まだ投稿数が少ないコンテスト序盤だったから、目に留まりやすかった…という事情もあろうが、それでも舞い上がってしまう程の嬉しさがあった。
 提出締切日が過ぎ全ての作品が出揃った後で、何と“大賞候補”とお褒めの言葉をくれた方もいらっしゃった。いわゆる“作者冥利に尽きる喜び”を感じ、興奮して寝付けなかった程だ。皆様、本当に本当に本当にありがとうございます。


 さて、審査員の方は本作をどのように評価するのだろうか。様々なジャンルの読み応えある小説が260作品以上も揃った「逆噴射小説大賞2022」。その選考の中で、本作は生き残れるのだろうか?
 楽しみと不安さが去来する。作品という名の弾丸を撃ち果たした以上、俺はただ待つ事しかできない…。


※「小説を書きました【逆噴射小説大賞2022 ライナーノーツ 後編】」へ続きます!二作目「不殺生共同戦線」を書いた経緯、および反省や今後の展望等について述べる予定です。

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