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その視線が意味するものは?「THE BATMAN -ザ・バットマン-」 (2022年映画記録 7)



 「THE BATMAN -ザ・バットマン-」は何者かの“視点”、そして“見ること・見られること”が殊更に強調された作品だったように思える。既に他の皆様が言及済みの観点かもしれないが、個人的に印象に残ったそれらの場面を抜粋し、ネタバレを避けながら語っていきたい。



●映画全体の感想




 本作はヒーロー映画と「セブン」的な犯罪スリラー、或いはバディモノ探偵サスペンスのジャンルMIX型映画であり、3時間近い長尺ながらも飽きることなく緊張感を維持したまま味わうことができた。流石はリブート版「猿の惑星」シリーズで良い仕事をしたマット・リーヴス監督(個人的に2017年公開の「猿の惑星:聖戦記」は特に好きだ)。




 そのジャンル故に凄惨なシーンが多い作品ではあるが、本作は単に陰鬱な映画に終わらず、しっかりと“ヒーローの在り方”を希望をもって描いてくれたのも好ましい。この描写は「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」で描かれた“ヒーロー論”とも近く、“ジャスティス擁護派”の俺にとっては非常に嬉しい着地であった。公式サイトの“バットマン関連作品”で完全に無視されているのは悲しいが。




誇大広告気味の公式キャッチフレーズ“バットマンの嘘が暴かれる”(「ウェイン家の嘘」と書くならともかく…)、クリストファー・ノーラン監督三部作の荘厳な劇伴に対して印象に残らないテーマ曲(「スターウォーズ」の「帝国のマーチ」に似ている)、またセリーナ(=キャットウーマン)とブルース(=バットマン)の急すぎる接近や杜撰ずさんすぎるアーカムの間取り等リアル調・シリアス路線だからこそ際立つシュールさ=いわばバットマンシリーズの宿命は少々気になったが、概ね満足であることは間違いない。




●覗かれることの恐ろしさ



 さて、ここからは本作の印象的な“視線”描写について挙げていきたい。
 まず、映画の冒頭。オモチャの剣を手に、何らかの“ごっこ遊び”をする少年。──を“何者か”が監視する回想シーンがいきなり描かれる。この視点が誰のものであったかは明言されないが、鑑賞後に思い起こすと恐怖にかられる。“常にアイツが監視していた”と解釈するのが妥当だろう。全く、非常に不気味極まりない。
 振り返ってみると、監視については「ダークナイト」でも克明に描写されており、そちらではバットマンがゴッサムシティ中の監視カメラをハッキングすることにより“行き過ぎた正義の恐ろしさ”、或いは監視社会を風刺する意図を受け取ることができた。
 そして、本作ではいきなり“監視される恐ろしさ・気味の悪さ”を冒頭から突き付けてくる。「今回は“見る”描写が大事だからね!“見る・見られる”場面によく注目してくれよ!」…といった監督からのメッセージだと俺は解釈した。




●探偵ガジェット:特殊コンタクトレンズ



 前述の通り、本作は探偵映画としての色が濃い。主人公たる名探偵バットマンが“探偵ガジェット”として利用するのは、リアルタイム監視・録画機能・顔面認証機能付きの万能特殊コンタクトレンズ(正式名称不明)。「ミッション:インポッシブル」シリーズで登場してもおかしくない、探偵というよりもスパイ的なハイテク機器だ。
 このガジェットはバットマン・キャットウーマン、そして観客が視点を共有するために活用される。観客に共有されるのは視点だけではない。探りを入れるターゲットにレンズを付けていること(=覗き)がバレていないか…?という緊張感まで、共に味わうことができるのだ。



●彼の瞳が追うものは



 映画のクライマックス。バットマンはバイクを駆りながら、「宣材写真用のシーンかよ!?」と突っ込みたくなる程に不自然なカメラ目線(=映像越しの観客目線)を向ける。映画を貫いていたシリアスなトーンとは不釣り合いの演出で、わざとらしくて興を削がれたな…と思っていると、直後に“彼が見つめるモノ”が直接スクリーンに映し出され、先程の不自然なカメラ目線に納得させられてしまう。
 この場面で視線を共有したことで味わえるのは、緊張感ではなく切ない余韻だ。それとも、バットマンは“第四の壁”を超えて俺たちを見ていたのだろうか…?



●余談──その他の視点と“黒歴史”について




 他にも印象的な“視点”描写は多かった。例えば比較的序盤、ブルース(バットマン)がセリーナ(キャットウーマン)に対し、建物越しに明確な覗き行為を行っている。セリーナはその事実に気付いていないと思われるが、知ったらドン引き間違い無しだろう。またお馴染みアーカムで、監視カメラの存在を意識しながら不気味に喋る“敵”の姿も印象深い。
 単に俺が気付いていないだけで、重要な“視点”描写は他にも多数存在することだろう。二回目を鑑賞する機会があれば、より神経を尖らせて“監視”することにしたい。




 また、こちらは完全なる余談だが、作中台詞の字幕で“黒歴史”という言葉が登場したことに心底驚いた(原語・吹替ではどのように発言されていたか不明。気になる)。
 説明するまでもないが、“黒歴史”はターンエーガンダム」(1999年放映。「ブレードランナー」のシド・ミード氏なども携わった大傑作)の世界観を構成するための重要な造語で、その後“葬り去りたい過去”を意味するネットスラングとして日本のWeb界隈で広まった。
 邦画の台詞、もしくはコメディ洋画の字幕で使われるならともかく、このようなシリアス100%の洋画の字幕で使用されるとは…。完全に一般名詞化したと考えて良いのだろうか?


見出し画像は公式サイトより引用しました。

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