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「アイの歌声を聴かせて」は、新規軸の傑作SFミュージカル映画だった




 「アイの歌声を聴かせて」は、俺が今年鑑賞した映画(10/29時点、旧作含め約100本)の中で三本の指に入る大傑作だった。微力ながら口コミ宣伝の一助となるよう、ここに感想を書き残しておきたい。

※物語の核心に迫るようなネタバレは有りません!


●「アイの歌声を聴かせて」とは



<「アイの歌声を聴かせて」あらすじ>

 景部高等学校に転入してきた謎の少女:シオンは抜群の運動神経と天真爛漫な性格で学校の人気者になる。そんな彼女の正体は実は試験中の“AI”だった!
 シオンはクラスでいつもひとりぼっちのサトミの前で突然歌い出し、思いもよらない方法でサトミの“幸せ”を叶えようとする。

  彼女がAIであることを知ってしまったサトミと、サトミの幼馴染で機械マニアのトウマ・人気NO.1イケメンのゴッちゃん・気の強いアヤ・柔道部員のサンダーは、シオンに振り回されながらも、そのひたむきな姿と歌声に心動かされていく。 しかしシオンがサトミのためにとったある行動がきっかけとなり、大騒動が巻き起こってしまう──。

公式サイトより引用。一部改変。



 本作は「イヴの時間 劇場版」(2010)・「サカサマのパテマ」(2013)を手掛けた吉浦康裕よしうらやすひろ監督の八年振りの長編作品となった、SF青春ミュージカル映画である。主人公:シオン役、そして彼女が歌う主題歌・挿入歌を担当したのは土屋太鳳つちやたお氏。紛らわしいので一応注記しておくと、主人公の名は“アイ”ではない。解説するのも野暮だが、“アイ”はあくまでも“愛”と“AI”のダブルミーニングであろう。
 そんな本作の試写会に俺は運良く当選し、十月中旬頃に某所で一足早く観させて頂いた。


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 結論から言えば、本作は吉浦監督の長編最高傑作であり、老若男女問わず万人にお勧めできる非常に素晴らしい映画であった。どの位の素晴らしさを感じたのかといえば、思わずスタッフロールの後に拍手をしてしまった程である。
 かつて制作発表の際、吉浦監督は“王道過ぎて逆にあんまりやられてこなかったことをやろう” “王道でありながら、同時にめちゃくちゃチャレンジングな内容でもあります”※と語っていた。その監督の狙いは正しく、そして見事に成功していたと思われる。




 俳優・声優を交えたキャスト陣の演技力のバランスの良さ、そして土屋太鳳氏の圧倒的な歌唱力。(超高性能AIを積んだアンドロイド:シオン以外は)我々が生きる時代からほんの少し先の、地に足の着いた近未来描写の面白さ。わざとらしくなく随所に張られた大量の伏線と、それをスマートに回収していく脚本・ストーリーの見事さ。気付いた後に即二周目を観たくなること間違いなしの、とあるキャラクターの“視点”を利用した周到な演出。そして以下に後述する、恐らく監督が“めちゃくちゃチャレンジング”と称した部分であろうミュージカル描写の楽しさと新鮮さ──。
 本作は奇をてらうことなく王道を追求することで成立した、魅力的なエンターテイメント作品と言えるだろう。



※スタジオリッカお知らせ 2020/09/11より抜粋。


●“ミュージカル空間”を具現化させた画期的なアイデア




 本作の凄みと最大の魅力は、“近未来を舞台にしたミュージカル映画”という題材に真っ向から挑み、それを上手く描き切っていたことにある。これは本作が劇中作品「ムーンプリンセス」としてパロディ的に引用したミュージカルアニメ界の大御所:ディズニーですらまだ未到達・未発掘の題材だ。
 これは、“ミュージカルの舞台を近未来に設定しただけ”といった単純な話ではない。唐突に人が歌い出し、音楽が流れ、照明が付くようなミュージカルの非現実性を現代劇で違和感無く成立させる方法として、つくば市が更に発展したような“電子仕掛けの都市”という特殊な舞台設定を用意したことに、本作独自の面白さがある。




 まず、物語の冒頭。“人間にAIだとバレないか”の実地テストとして高校に転校してきたシオンは、クラスでサトミを目撃した途端、突然アカペラで歌い出す。この不自然極まりない行為に対し、クラスの面々は“何だコイツ…”とシオンに冷ややかな目線を浴びせる。
 つまり、この時点では人前で歌い出すことは非現実的だという、我々観客の立場に近い“非ミュージカル映画的なリアリティラインの存在”が一旦明示される。主人公が歌えば他のキャラクター(動物や敵キャラクターさえも)が掛け合って追随する…というミュージカル映画の当たり前は、この世界では基本的に起こらない。




 ところが序盤の大見せ場、主要キャラ全員が集結する音楽室のシークエンス。そこで再びシオンが歌い出すと、スクリーン内の世界が一変する。電子ピアノとスピーカーが、魔法に掛かったかの様に独りでに伴奏を生み出し始める。
 シオンは、ネットワーク接続された周囲の電子機器を操作するハッキング能力を備えていた※。それは作中の世界──電子機器だらけの近未来都市の日常を、非日常的なミュージカル空間に変えてしまえる能力と言い換えることもできる。
 現代劇(近未来が舞台ではあるが)としてのリアリティラインを維持したまま、非現実的なミュージカル空間が現出する面白さ。俺はこのアイデアと演出に、今まで味わったことがない新鮮な感動センスオブワンダーを覚えた。



(※厳密には“ハッキング能力”という言い方には語弊があるが、重要なネタバレ回避の為にあえてこのような言い方に留めたい。  11/28追記)


●特に新鮮だった“柔道乱取りミュージカル”




 その後もシオンは周囲のトラブルに対して、自身の思うがままに、光と音を操りながら歌を披露することで干渉する。その度に登場人物は困惑しながらも、それぞれが抱えた内的な問題と向き合う。シオンの歌、そして彼女が創り出した世界に導かれ、登場人物たちは成長していくのである。
 そんな描写を見続けるうちに、次はどのようなシチュエーション・何のガジェットを使ってミュージカル演出を行うのか?という興味が湧く。さらに、何故シオンはこれ程までに歌に拘るのか?という疑問も頭から離れなくなる。もちろんこれには明確な理由があるのだが、それは是非劇場にてお確かめ頂きたい。


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 本作では約五ヶ所ほどのミュージカルシーンが存在したが、個人的なお気に入りは社交ダンスを彷彿とさせる“柔道乱取り※ミュージカル”
 本番に弱く、実践で一度も勝ったことがない柔道部員:通称サンダー君。肝心の試合前、相棒の乱取り用ロボが壊れてしまいパニクるサンダー君に対し、シオンはロボに搭載された柔道のデータを自身にインプットして練習相手に名乗りを挙げる。
 柔道を“ディズニー風ミュージカルアニメの舞踏会”になぞらえたシオンは、ダンスで相手をリードするように乱取りの主導権を握り、歌でサンダー君を情熱的に挑発しながら投げ倒す。やがて気合いを取り戻したサンダー君は、無事に初勝利を収める(そしてシオンにベタ惚れする)──。




 柔道の描写として正確か、そして本当に効果がある練習方法なのかはさておき…。柔道の乱取りをミュージカルに仕立て上げるなんて、柔道が盛んな近代の日本orブラジルorフランスが舞台にならない限り成立し得ないし、そもそも発想すら浮かばないだろう。元柔道部員の俺でも考えたことがなかったので、余計に驚かされてしまった。




 ※立ち技を掛け合う実践形式の練習。たとえ一度倒されようが制限時間中は何度でも立ち上がり継続しなければならないので、弱小部員の俺には特にキツい練習だった。
 また、既存の作品で“柔道ミュージカル”が登場する作品があればコメントでご指摘頂けると幸いです。俺が知らなかっただけという可能性もあるので。



●吉浦監督の過去作からの飛躍




 吉浦監督が過去に発表した長編二作品──「イヴの時間 劇場版」(2010)「サカサマのパテマ」(2013)は、どちらも魅力的な要素を多く備えたSF映画である。しかし、手放しでは絶賛できないのもまた事実であった。あくまでも私見となるが、その理由を総括すると“題材負け”という一言に集約できる。




 「アイ〜」同様にアンドロイドと人間の交流を題材にし、更には一歩踏み込んでロボット工学三原則をメインテーマとして扱った「イヴ〜」。
 題材と設定はとてつもなく魅力的だが、リアリティを重視したSF設定とアニメ的演出(例えば女性がウインクすると目から星が出たりする…)との齟齬など、共感性羞恥を感じてしまう場面が多かったことは否めない。また有名SF作品「ブレードランナー」「R.U.R.」「THX1138」等の引用も、SFファンへの目配せ的なあざとさを感じてしまった。そもそも、“THX1138”はアンドロイドではないような気が…。




 重力が逆の世界に生きる少年と少女が出会い、冒険を繰り広げる「サカサマ〜」。
 本作は独特な世界観の描写に拘るあまりキャラクター描写が表面的に感じられ、物語が持ちうる魅力を大幅に削いでしまっていたように思える。重力を活かしたアクションシーンも、設定を完全に活かしきれていたとは言い難い。
 また本作のせいではないが、題材が限りなく似ている良作SF映画「アップサイドダウン 重力の恋人」(2012)と公開時期が近かったのは本当に気の毒であった。製作時期を考慮すれば、設定の類似は偶然の産物だろう。




 どちらの作品も、題材・設定・アイデアは魅力的。しかし、その魅力に映画自体のクオリティが追いついていたわけではない。だからこそ非常に惜しい、勿体無い!それが今までの吉浦監督長編作品に対し、俺が感じていた評価であった。
 しかし、今回は違う。「アイの歌声を聴かせて」はSF的な独自設定の披露を目的化させず、あくまでも物語の背景として留めていた。もし「イヴ〜」のように堅苦しい設定※を詰め込んでいたら、恐らく設定に縛られてしまいエンタメ性が薄れてしまったことだろう。このバランス感覚は長編過去作に足りなかった部分であり、明らかに吉浦監督の成長の賜物と言える。本作は吉浦監督が単独で脚本を務めていた過去二作品と異なり、ベテラン脚本家:大河内一楼氏が加わっている影響が大きいのかもしれない。




様々な電子機器のガバガバなセキュリティ、明らかに安全性に問題のある柔道ロボ、確実に非効率な田植えロボ(ドラマ「マンダロリアン」のエビ採りドロイドを彷彿とさせる)等、本作の設定面に関してツッコミを入れようとすればいくらでも入れられる。しかしそれらに理屈を付けたところで、映画としての面白さが増すわけではない…というのが私見である。


●少しだけ気になった部分




 ここまで述べたように、本作は非常に魅力的な映画であった。とはいえ、気になった部分が無いわけでもない。
 例えば、敵キャラが猛烈に類型的で、争いがジェンダー的二項対立の問題に安易に落とし込まれてしまったのは残念だった。敵キャラのパーソナリティの薄さは、過去二作品と同様の欠点でもある。シオンやサトミたち高校生組のキャラクター・人間関係は基本的に上手く描写出来ていただけに、もう少し捻りが有ってもよかったと思われる。
 そして、“(かつての)ディズニー的プリンセスに憧れたヒロイン像”が旧時代的、という論争が巻き起こってしまうかも…という恐れもある。とはいえ、少女がプリンセスに憧れることも多様性の一つであり肯定されるべきと俺は考えているので、この件には立ち入らない。




 余談ながら、試写会の会場では主題歌「ユー・ニード・ア・フレンド 〜あなたには友達が要る〜」が延々とループ再生されていた。そこで俺は気付いてしまった。映画内で聴くぶんにはストーリーとリンクしている為に違和感は無いが、この曲は単体で評価すると若干コメントに困る。十数分に渡り「あなたは今幸せかな?」「友達が欲しい」と流れ続けていたのはある種の洗脳行為にも近かった(もちろん歌手も場内スタッフも誰も悪くない)。
“ミュージカル映画の楽曲は、作中で聴いてこそ輝く”と実感できたので、これはこれで貴重な経験だった。土屋太鳳氏の伸びやかな歌声については一切の不満が無いので、今後も沢山歌い続けて欲しい。




●理屈じゃなく、とにかくお薦めなんです




 ここまで俺は本作の魅力を語ろうとして、様々な理屈を付けながら色々と小難しいことを書いてしまった。本来であれば、ネタバレとなる為にあえて触れなかった細かい伏線やストーリー構成、物語のキーポイント“何故シオンはアンドロイドではなくAIと呼称されるのか?”という点についても書きたかった程である。しかし、結局その文章の大半は余計なのかもしれない。
 冒頭で書いた通り、俺は試写会の会場で、思わず拍手をした。理屈ではなく、俺は本作を楽しみ、心からの賛辞を送った。俺が「アイの歌声を聴かせて」に抱いた感動の全ては、その僅かな瞬間に詰まっていたのだと思う。
 本作の大ヒット、そして吉浦監督のさらなる飛躍と次回作に期待しつつ、ここに筆をくことにする。



見出し画像は公式サイトより。また、柔道着のスクリーンショットは予告編動画より引用しました。

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