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フィリップ・K・ディック著『マイノリティ・リポート』の冒頭の見事さ




1、海外SF小説と俺


 「#海外文学のススメ」というタグを見て俺が真っ先に連想したのは、フィリップ・K・ディック氏(以下 PKD)が著し、浅倉久志氏が訳した『マイノリティ・リポート(旧題:少数報告)』だった。


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 学生時代、メジャーどころの海外SF小説を読むことにハマっていた。
 当時、通学に使っていた地下鉄のトンネル内では携帯電話の電波が届かなかった。今日のように好き放題スマホで時間を潰すことができなかったので、通学中は専ら文庫本──特に海外SF小説を読む習慣があった。“読書好き”“小説好き”というよりも、SF映画が好きだったことの延長線上にあった行為だ。
『2001年宇宙の旅』『宇宙戦争』『星を継ぐもの』『華氏451度』『タイムマシン』『われはロボット』等々…。いずれも過去に書かれた故に時代感を感じる※こともあるが、世界的ベストセラーとなったのが頷ける面白さだった。今よりも想像力豊かで柔軟だった俺の脳に、それらの小説は強烈なインスピレーションを与えてくれていた。

 ※例を挙げると、1898年に出版された『宇宙戦争』において、宇宙人から逃げる手段は、何と自動車ではなく馬車だった。世界最古の蒸気自動車誕生は1769年、ガソリン自動車誕生が1886年だったそうなので、まだまだ家庭用の自動車が普及していなかったことは想像に難くない。




 こうして様々な作家の作品を読んできたが、特にPKDの作品を手に取る機会が多かったように思う。氏の代表作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を翻案した名作映画「ブレードランナー」が大好きだったのがきっかけだ。
 PKDの小説は難解なものが多い。できれば本稿では『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』について取り上げたかったところだが、大ファンの俺でもまだ理解が追いついていない部分がある。知ったかぶりを晒す危険な道は避けて通りたいところだ。
 そんなPKDの作品群から、本稿では文庫本にして約70ページ程の短編作品『マイノリティ・リポート』の、とりわけ冒頭部分について語っていきたい。


2、『マイノリティ・リポート』について



 『マイノリティ・リポート』は、以下のような内容のSF小説である。


 プレコグ(予知能力者)の助けを借りて犯罪を取り締まる犯罪予防局が設立され、あらゆる犯罪行為を未然に防ぐことができるようになった社会。

 ある日、主人公:犯罪予防局長官アンダートンが、いつものようにプレコグの予知を分析したカードをチェックしていると、その中に自分が翌週までにある男を殺すというカードを見つけてしまう。これは自分を陥れる陰謀に違いない…とアンダートンは確信する。

 カードに細工をするには内部に共犯者が必要だが、それは果たして誰なのか。新しく赴任してきたウィットワー、局の高官でもある妻のリサ、部下のペイジ、それとも…。警察に追われながらも真相に迫っていくアンダートンの前に、突然謎の男が現れる。

Amazon 商品説明より引用。一部改変。


 この作品は1956年に発表されたにもかかわらず過剰な“犯罪の未然防止”を扱っている先見性があり、今読んでもなお新鮮味がある。“自分が信じている物事への疑念”といったPKD作品に通底するテーマも内包しており、わずか約70ページ程の分量なので初心者にもお勧めしやすい。数年前に流行した日本のSF刑事アニメ「PSYCHO-PASS 」の元ネタとしても有名なので、そちらのファンの方にも是非お勧めしたい。




 PKDの作品は映像化されたものが多い。先に挙げた『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のほか、『追憶売ります(映画化名「トータル・リコール」)』・『暗闇のスキャナー(映画化名「スキャナー・ダークリー」)』・『報酬(映画化名「ペイチェック 消された記憶」』等、挙げたらキリが無い程だ。
 本作も2002年に映画化された。しかも、PKD作品の中でも屈指の超大作として。監督はスティーブン・スピルバーグ氏、主演はトム・クルーズ氏。PKDの名を知らずとも、この映画を知っている方は多いのではないだろうか。




 映画版はアクション要素を多く盛り込む、プレコグの一人をヒロインに据える、GAP等の実在企業を登場させリアリティある近未来世界を表現する…といったように、小説とは異なった切り口の魅力を楽しめる。スピルバーグ監督は「A.I.」「レディ・プレイヤー1」といった近未来SF作品を撮っているが、個人的には本作が一番好きだ。
 なお、2015年には映画版の続編となるドラマも放映されていたそうだ。こちらは未見だが、参考として予告編を貼っておくことにする。予告編冒頭には映画版「マイノリティ・リポート」の映像も収録されているが、どれ程映画と関連性があるドラマなのだろうか…?




 そんな小説『マイノリティ・リポート』で個人的に特に印象深いのは、冒頭でも述べた通り、最初の一〜二行目:書き出しの部分だ。以下より、その内容について触れていきたい。

3、『マイノリティ・リポート』の書き出し


 この壮大なSFストーリーは、以下のような淡白な文章で幕を開ける。


 その青年を見たとき、まずアンダートンの頭に浮かんだのはこんな考えだった。おれは禿げてきた。そして老けてきた。禿げて、腹が出て、老け込んだ。

『マイノリティ・リポート──ディック作品集』(ハヤカワ文庫SF)  p.9より引用


 物語の根幹に関わるような重大情報でもなければ、美麗字句で彩られた文句でもない。冴えない中年男性の胸の内を述べただけ、たったそれっきりの文章だ。
 しかし、この文は俺にとってまぎれもない名文だ。とてつもなく素晴らしい書き出しだとさえ感じている。




 この文章だけで読み手は、
・主人公の外見的特徴
・“昔は”そうではなかったらしい
・主人公は自身の外見にコンプレックスを抱いている
・相手はハツラツとした若者である
・主人公は相手と自分を比較してしまっている
・いま主人公は好感情を抱いていない

 といったように、大変多くの情報を得ることが可能だ。俺よりも読解力のある読書家の方が読めば、更なる重層的な意味を感じ取ることができるのだろう。
 物語に引き込むための文章がこれでいいのか?と問われれば返答に困るし、「この役トム・クルーズと別人じゃない?」と言われたらぐうの音も出ない。しかし挿絵が存在しない小説という媒体である以上、主人公の外見・パーソナリティーを仄めかせておくことは重要であるはずだ。その立場で考えると、この書き出しを名文と呼ぶことに差し支えはないだろう。




 そんな冴えない主人公が、右往左往しながらも事件の真相に近づいていく『マイノリティ・リポート』。文章を読むだけでも映画との差異を比較するのも楽しいので、PKDに興味がない方にも是非お勧めしたい。
 また本作が収録されたPKD短編集『マイノリティ・リポート──ディック作品集』には『追憶売ります(映画「トータル・リコール」原作)』も収録されている。SF洋画ファンにとっては更にマストな一冊であるはずだ。

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