記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

あの慟哭の理由を知った─ 「ゴジラ-1.0 マイナスワン」

●夢中になった「ゴジラ-1.0」



 現在、時刻は21時20分。
 1時間半ほど前、俺は待望の国産ゴジラ最新作「ゴジラ-1.0」を鑑賞した。帰宅し、食事を済ませ、シャワーを浴びた後、先程の熱が冷めやらぬうちにキーボードを叩いている。
 結論から言って、本作は個人的に事前の予想・期待を遥かに上回る、非常に満足できる怪獣映画だった。



 まずCMでも披露されていた通り、CGで表現されたゴジラが白昼堂々大暴れする様は圧巻であった。巨大感・質量感もしっかりと味わうことができ、最早ハリウッド版ゴジラこと「モンスター・ヴァース」シリーズにも引けを取らないクオリティの絵作りが出来ていたのではないだろうか。
 戦時中末期〜戦後直後と設定された舞台設定も、しっかりと物語に生きていた。徐々に生活水準が高まっていく様子、軍解体後僅かに残された兵器、戦争を引きずった元兵士、戦場を知らぬ若者、それらを蹂躙する慈悲のない怪物……。全て物語上の必然性が感じられ、単に「今までにない舞台設定だからあえて選んだ」といった安易な考えとは思えなかった。
 また戦後期の技術レベル的に実現可能かはさておき、「少ない物資と人員でゴジラに対抗する為の作中ロジック」が積み重ねられていた件は大変好印象であった。ノリや気合い一辺倒では成し得ない「ロジカルな勝利」に俺は弱い。


 一応、冷静に考えると様々な突っ込み所(対策班に生物学者らしき人物が不在、流石に政府が動かなさすぎるのでは?等々……)が存在するものの、鑑賞中はとても冷静になれない程の熱量を持っていたことは、紛れもない事実である。「とにかく作戦が上手くいくように!」「ゴジラを討伐できるように!」そのような願いを込めつつ、俺はスクリーンに齧り付いていた。


●涙と叫びの裏にあるものは


 予告編が公開された時、俺にはどうしても気になるシーンがあった。
 それは下に引用した動画の54秒頃、神木隆之介氏の絶叫が響き渡る場面である。


 海戦を思わせる映像・作戦会議と思わしき場面など、情報量が多いPVである。しかし、とりわけ俺の目が意識したのは、廃墟の中で泣き崩れる主人公の姿であった。そのワンカットを見て、「なるほど、今回はこのテンションで行く作品なんだな」と、俺は独り合点した。



 このテンション──即ち「三丁目の夕日」シリーズ等、様々な山崎貴監督作品で多く見受けられた、エモーショナルさが強めの演技・演出。れっきとした一つの演出方法であり、好まれる方も多くいらっしゃるはずなので、決して悪し様に言うつもりはない。ただ、個人的には「スペクタクルシーンには見応えがありそうだが、人間ドラマ部分はノットフォーミー」かもしれない……と考えてしまった。
 庵野秀明監督らが手掛けた国産ゴジラ前作にして個人的傑作「シン・ゴジラ」がわかりやすい感情の発露を極力排した(冷静な人物達が繰り広げる群像劇スタイルの物語だったから、との理由もあるが)作風だったため、尚更そのように感じてしまったのかもしれない。
 とはいえ山崎監督に「シン・ゴジラ」の、ひいては庵野監督の方法論を踏襲してほしい、とは一切考えなかった。それでは単なる二番煎じに終わってしまう。山崎監督は自身なりのやり方で「ゴジラ」を撮ればいいし、実際そのような作風となっているのだろう。もしかしたら直近に撮った「アルキメデスの大戦」並に、比較的抑えたテンションの映画になっている可能性もありうる……。俺はそのような事前予想を持った状態で鑑賞に臨んだ。



 鑑賞を終えた直後の記憶の限り、エモーショナルさが強めのシーンは確かに多かった。数分に一度は誰かしらが叫んでいた印象さえある(測った訳ではないので、実際はそれ程でもなかったかもしれない)。
 だが、PVで気になっていた神木隆之介氏こと元特攻隊員:敷島浩一の慟哭。この点に関して、俺は全面的に肯定的な捉え方をしたい。これまでに観た「邦画の慟哭シーン」の中でも屈指の「納得のいく慟哭」だったためである。



 この慟哭は中盤、銀座でゴジラが破壊の限りを尽くした直後に発生する。建物を破壊し、人間を踏み潰し、挙げ句の果てには放射熱線を炸裂させ、遠方に浮かんだキノコ雲から爆風が襲い来る……。これでもかと絶望が襲い掛かってきた凄惨なシーンだ。ただ、これは「社会的に発生している絶望的状況」であり、その上に敷島個人の絶望が上乗せされる。



 さて、この場面に至るまでの、敷島の人生の一部を振り返ってみよう。
 敷島は戦時中、特攻から逃げ出した先でゴジラと遭遇。機銃掃射を躊躇ためらったため実質的に整備兵を見殺しにし、生き残りった兵士から痛烈な怒りを向けられる。戦争が終わり復員した後、両親は空襲で帰らぬ人となり、同じく空襲で我が子を失った隣人からは、「(むざむざ生き残った)恥知らず」とのそしりを受ける。
 偶然出会った大石典子(浜辺美波氏)と典子の子(孤児)との三人で擬似家族的な束の間の平和を過ごす中、遂に東京・銀座へゴジラが来襲。銀座で働く典子を助けようと敷島は手を引いて逃げるが、放射熱線の爆風から敷島を守ろうとし、典子は爆風に吹き飛ばされてしまう。
 爆風が止み、眼前に典子はいない(結果的に生存しているが、無論この段階で敷島は知らない)。無人の瓦礫の山の奥にゴジラ。そして、CMの慟哭。忌まわしき「黒い雨」にまみれながら……。



 以前はたかを括っていた慟哭だったが、実際に観た後では「あれだけ酷い目に遭えば泣き叫ぶしかない」と納得せざるを得ない。それ程までに作中で敷島は追い込まれ、絶望の淵に立たされるのだから。
 「戦争を引きずっている元特攻隊員、そして自身から全てを奪ったゴジラを憎み“ある行動”を決意する男」……。凄く難しいと思われる役柄を、神木隆之介氏は非常に良く好演したと思われる。


 CMは前後の文脈を考慮しない、いわば「切り抜き」である。やはり切り抜きで全てを判断・予想してしまうのは危険だ……。そのような自戒を込めながら、上記の通り筆をとった次第である。
 本稿には「ネタバレ」タグを付しているため、恐らくご覧になる方は既に本作を鑑賞済みだろう。だがもしも本作を未見で、鑑賞を迷っている方がいらっしゃるとしたら……。極力大きなスクリーンの見易いシートを予約し、是非とも連休中にご覧になって頂きたい。絶望にまみれた敷島の叫びを、どうか全身で受け止めてほしい。


 さて、現在の時刻は22時50分。執筆を始めてから1時間半経ったが、まだ鑑賞後の熱は消えていない。明日になっても明後日になっても、消えることはなさそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?