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精神疾患と闘い、社会復帰までの道のり…part➁

続き・・・♪高校時代から


高校にはいってからは目立つが故に同じような輩に目を付けられて

リンチに合うこともありました。


濃い小中高と過ごし、

大学では「変わりたい」と意識をしていましたが

人間はそんな簡単に『変わらない』です。


いじめた経験、いじめられた経験を知り、

出た答えは「自分を犠牲にすればいい」


ここがうつ病に近づく始まりだったと思いますね。

大学は誰も傷つけたくないし、自分が避けていれば誰も傷つけない

と一人で行動をしていました。

保健室通いですね。

今は定年で退職されましたが、保健の先生には感謝をしています。

いなかったら僕は孤独でなにもできなかったと思います。

ぎりぎりで過ごしながら

就職先も大学の先生の紹介があるからとなにも考えず、

てきとーに選びました。


そんな人生の選択をしていれば

蓋をあけたらビックリなんて

当たり前ですよね。

入った保育園は超体育会系で

言葉がすべてきつい、罵倒の日々でした。

どんな言葉かというと

「これ掲示したの子ども?」

「見たらわかるでしょ」

「なにもできないの?」

僕の仕事への甘さもありましたが

毎日のように言われると…

「一生懸命していても無意味なんだな」

そう思うようになり、気づいた時には

子どもの前でも笑えなくなってしまったのです。

次第に足や手が震え、吐き気、頭痛、など

体に症状が表れました。


こうnoteに書いているとあの頃の苦痛が感じられ、涙がでてきます。

でも、僕の記事で救われる人が一人でもいるなら書きます。

『救いたいです。』


体も心もダメになり、心療内科へ受診。

診断名「抑うつ性障害」いわるゆ【うつ病】です。

処方された薬は3種類ほどから始まり、飲みながら

無理をして働きました。


それが、更なる深みに連れていき、「不眠症」「対人恐怖症」と

複数の精神症状が表れてきました。

薬の量も10種類以上になり、以前の自分にはもう戻すことができなくっていました。

仕事はドクターストップで休職、1ヶ月後には解雇宣言をされ、ニートへ。

家から出ることもできず、家族にも「気合いが足りない」と理解してもらえず、本当に苦痛でした。


そんな日々を過ごしていき、

当時、自分が変わる出来事が2つありました。

それは、「本」と「一人暮らし」です。


ここから僕の人生はガラッと逆転していきます!


次回、「精神疾患と闘い、社会復帰までの道のりpart③」 




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