野安の電子遊戯工房 ~テレビゲームとは「時間を制御する娯楽」のことである(その2)~
I'm the king of the world!
映画「タイタニック」の中で、ディカプリオが演じる貧乏青年ジャックは、行く手を遮るものなどなにひとつない、見渡す限りの大海原に向かって叫びます。
うん。この気持ち、よくわかるなぁ。
閉塞気味の欧州を出港し、新世界アメリカに向かう船の上。地位もお金もないけれど、希望だけは持っている青年ジャックの、「行く手を阻むものは、なにもない! 世界はすべて、ぼくのためにある」という思いを込めた叫びは、みんなが共感できるものだったからこそ、多くの人々の心に残り、いまなお語られる名シーンのひとつになっているのでしょう。
なんていうのかな。結局のところ、ぼくたちは、みんな王様になりたいんですよね。きっと。
世界そのものを支配し、好きなように行動できるような権利を持つ、そんな立場になりたいよなぁ――と、心のどこかで願っているのでしょう。
テレビゲームというのは、そんな願いを叶えるための娯楽なのかもしれないなぁ、と、わたしは思っています。
しかも、現実の世界では絶対に不可能である「時間の流れ」そのものすら支配できるようになりますからね――という話を、前回のコラムで書きました。
野安の電子遊戯工房~テレビゲームとは「時間を制御する娯楽」のことである(その1)~
その典型例がRPGにおける中ボス戦です。一般的なRPGにおいて、世界のあちこちにいる中ボスたちは、「勇者が訪れるまで、物語が進むのを待っていてくれる」わけです。わたしたちには、好きなタイミングで、中ボスに挑む権利が与えられています。
逆に言うと、中ボスのところに行かなければ、その間、中ボスにまつわるイベントは進行せず、物語を進めないままでいることが可能になるわけです。これって、つまりは「時間を止めることができる」ことと同義なんだよね――という主旨のことを、前回のコラムで説明しました。
さて。本日は、その続きです。
テレビゲームは、いつから「時間を制御できるようになった」のか、まずは、その歴史を紹介したいと思います。
テレビゲームは「ブロック崩し」とか「スペースインベーダー」などの、古典的なテレビゲームの登場によって、その歴史をスタートさせます。
この時代のゲームには、プレイヤーに時間を制御する権利は与えられていません。いざゲームがスタートしたら、そのゲームの中では、つねに時間が流れ続けます。プレイヤーには、時間を止める権利はありません。
つまり、そこでは現実世界のスポーツの試合と同じように、時間を止めることなんかできるわけないでしょ! というルールが適応されているのだと考えていいでしょう。
そこに変化が見られるようになったのは、家庭用ゲーム機の登場以降のことです。RPGなどが登場し、大衆にヒットすることによって、「プレイヤーが、時間の流れを制御できる」というタイプのゲームが、一躍、主役の座に躍り出るのですね。
こうして、世の中には、大きく2つの種類のゲームが共存するようになるのです。それは一般的には「アクションゲーム」と「非アクションゲーム」といった言葉で分類されたりするのですが、それは同時に「プレイヤーが時間の流れに支配されるゲーム」と、「プレイヤーが、時間の流れを制御できるゲーム」と分類することも可能なんですね。
「プレイヤーが時間の流れに支配されるゲーム」は、いまなお脈々と歴史を積み重ねております。たとえば、e-Sportと呼ばれる大会で行われるゲームは、こちらのタイプのものが主流です。
こちらのゲームは、世の中にあるスポーツと同じように、「時間に支配されている中で勝利を目指す」という形式になっていますから、スポーツという言葉との親和性が高いのでしょう。
一方、「プレイヤーが時間を制御できるゲーム」は、競技化するのが難しいのです。こちらを競技化するためには、「最短時間でクリアを目指す」とか「制限時間内に得点を競う」とか、そこに「時間」という概念を持ち込み、プレイヤーが時間に支配されるようなルールを付加することによって、やっと可能になるのですね。
このあたりの、「プレイヤーが時間に支配されるか、プレイヤーが時間を制御するか」の違いは、e-Sportsという文化を考える上で、じつは大切なポイントだったりするのですが、それについて語ると長くなるので、ここでは書きません。
また、映画「レディ・プレイヤー1」が、なんか心に響かなかった方がいらっしゃるのは、あのバーチャル世界で行われているゲームが、基本的には「時間に支配されるタイプのもの」ばかりだったことが、その要因のひとつなんだろうな――と、わたしは分析していますが、この話も詳しく説明すると長くなるので、ここでは書きません。
さてさて。
やっと、ここからが本題です。
アクションゲームは、プレイヤーが時間に支配されるゲームであることが多いのですが、その例外もあるんだよね――という話をしたいと思います。アクションゲームでありながら、「時間を制御する遊び」を取り入れているゲームもあるのです。
その典型例が「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」です。
このゲーム、モンスターとの戦闘中に、敵の攻撃をどんぴしゃのタイミングで(バク宙やサイドステップで)かわした場合のみ、その瞬間、時間の流れがスローモーションになるんです。
それまで一定のスピードで流れていた時間が、いきなりゆっくり流れるのですね。トップアスリートの方々が、集中力が極限まで高まったときに「週の動きがゆっくりに感じられた」というのもに似た、ゾーンに入った状態がゲームで再現される、と考えてもいいかもしれません。
ゲーム内の時間がゆっくり流れていても、モニターの前にいるわたしたちには、そんなことは関係ありません。時間がゆっくり流れている間に攻撃ボタンを連打すればいい。すると、ふっ、とスローモーションのような状態が終わった瞬間、わたしたちは敵モンスターにラッシュ攻撃をしかけることが可能になるのです。一気に大ダメージを与えることができて、すっげぇ気持ちいいんです。
うーむ。この感覚、未プレイの人に、伝わるかなぁ。
ようするに、「ジョジョ」におけるスタープラチナ状態になるってことですね。と書いても、わからない人にはわからないままですね(笑)。
よーするに、敵の攻撃をドンピシャのタイミングでかわすテクニックさえ身につけると、時間の流れそのものを制御できちゃうって、ある意味で無敵状態になっちゃうってことです。最初の頃は、出すのが難しいんだけどね。
というわけで、「ゼルダの伝説」は、アクションゲームでありながら、こうして時間の流れそのものを制御する仕組みを採用していて、それが魅力的なんだよね、ってことです。しかも、とびきり気持ちがいい。なんというか「自分が、ゲームの中の時間の流れを支配してやったぜ」という感覚になれるのですよ。プレイした方には、たぶん同意していただけるでしょう。
でね。
この「アクションゲームの中で、時間の流れを制御する」という仕組みは、あまりに気持ちいいから、きっと未来のゲームのスタンダードになっていくんだろうなぁ、とわたしは思っています。
――といったところで、本日は、いったん切ることにしましょうか。この続きは、次回以降に書きます。
(2018/06/05)
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