住みたい場所で働くということ

大学院を卒業してから外資系コンサルティング会社→新規事業支援チーム→スタートアップと渡り歩いてきましたが、働く場所はずっと東京でした。
それぞれがけっこう忙しい職場だったこともあり、職場までDoor to Doorで30分くらいのところに住み続けていました。

「働く場所に住む」

その考え方に疑問をいただくことはなく、
・どんなキャリアを歩んでいきたいか
・将来何がしたいか/達成したいか
・どんな事業がおもしろそうか
・誰と働いているのが快適か
のように、"働く"をまず考えて、その結果を前提にして「じゃあどんな生活にしよっかな(住む場所とか食べる場所とか)」を考えていた日々。

神戸へのお引越し

最初は楽しかった東京での生活も、去年くらいから「なんとなくしんどいなー」と思うことが増えました。週末に街に出るとどこも混んでいるし、平日の電車はパンパンだし、働いている人もくたびれているかやたらギラギラしているかのどっちかのことが多いし。。

そんなこんなでこの6月。神戸に引っ越しました。
「なんで神戸なの?神戸でどんな仕事をするの?」
周りからけっこう聞かれたんですが、別に神戸に仕事があるから引っ越しをするわけではなかったです。

「ここに住み続けたいから、この場所に仕事をつくる」

そんなことを決意して移ってきて、今です。

兄の進学先選択基準

私には2歳離れた兄がおりまして、彼が18歳、私が16歳まで長野のど田舎にある実家で一緒に暮らしておりました。
彼は勉強ができるタイプで、進学できそうな高校の幅も結構広かったんですが、
「ゆっくり寝たいから。朝急ぎたくないから」
という理由でとにかく家近の高校に進学しました。公立学校ばかりの長野、勉強ができる学校に行こうと思うと電車に揺られて片道1.5時間、みたいなことも珍しくありません。進学だ就職だいろんな事を考えて悩んでいる人が多いなか、睡眠時間の確保に振り切った進路選択をした彼を、私はけっこう尊敬しています。

働く、より前に、生きる

寝ること。食べること。歩くこと。音楽を聞くこと。香りをかぐこと。旅をすること。人と話すこと。服を選ぶこと。
生きることにはいろんな要素が入っていて、どれもそれ自体が素晴らしいことなんだと思います。

一方で、「しっかり働くために」という枕詞がついてしまうような風潮もあって、
・仕事の効率を上げるためには●●を食べたほうがいい
・「できる人」とみられるためには○○のような服装を
・良い仕事をするために、良い旅をしよう
みたいな記事・本をたくさん見ます。生活のうちの一部でしかなかった仕事・経済、という側面が、生活そのものを上回ってしまっているような気がします。
(元WIRED編集長の若林さんの著書にもそんなお話がありました)

生きることの中で、働く、ということは大切な要素の一つだと思います。しかし、それをすべての前提にしなくてもいいのでは、とも思います。

「暮らす場所」という人生の中でも大切な要素を、会社や営業所の所在地を前提にして考えるのは悲しいことで、住む場所を決めて、そこで仕事を探す・つくる、という生き方もあると信じています。

「ここに住み続けたいから、この場所に仕事をつくる」

神戸、住みよさでいうと、これまで住んだ街の中で圧倒的1位です。
この街にずっと住み続けたい。そのために、自分自身の、更にまわりの人の仕事を作り続けていく。そんな姿勢でも頑張っていきたいなと。

この文章を書いている最中に、↓の記事を読みました。

コストダウンをしていた時期は、山がきれいに見えるために何億かプラスしようみたいな発想って、やっぱり途中は生まれなくなっちゃったんですけど、結果として一番きれいな場所にオフィスを作ることのために、相当なお金をかけたという背景が、実はあります。
 省エネやAIに最適なデータセンターといった文脈もありますけれども、やはりそこで誰が働くのか、どういった人がそのサービスを支えているのかが非常に重要になってきます。
 こういったことから、働き方を変えるために、(働く)場所まで変えています。やはり、人への依存がますます高まっていって、いい人をちゃんとのびのびと働かせることが重要になっている。いわゆる知識集約型ビジネスというのが背景にあります。

都市だけじゃなく、自然もいろんな思考を人間に運んできてくれますね。
神戸から、良いお仕事を全国に届けていけるように、今日もやっていきます。

ではでは。

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