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相関と因果を区別する科学的真摯さ~Geeks本読書感想文~

発売から2ヶ月ほど立ちますが、Geeks本こと「新時代の野球データ論 フライボール革命のメカニズム」(Baseball Geeks編集部著)の読書感想文を書いていきます。

『データ論』というタイトルのとおり、客観データや最新の研究を多く引用しており、野球というカジュアルな話題を扱いながらも硬派に話を進めている点が印象的でした。

各章の内容や具体的な感想は読書ブログやTwitterで書いていらっしゃる方がいるので、私は一番心に残った「相関と因果」について感想を書いていきます。

断言はせずに真摯に真実に近づく

Geeks本の特徴は、データの分析結果や考察を断言せずに、あくまで可能性として提示している点です。客観的なファクトと、主観的な推測をしっかり分けて書いています。
例えば、大谷翔平を分析した章では、打球速度という定量的に計測可能なデータについて以下のように述べています。

(大谷翔平の)外野フライの打球速度が8月以降に大きく向上している

一方、その原因については、「~かもしれない」と表現を用いて主観的な推測であることを強調しています。

スイングそのものやタイミングが変化し、
以前よりもより「強いフライ」を打つことに変化したのかもしれない


主観と客観と区別するのは当たり前だろと思う方も多いかも知れませんが、一般的な新書や野球論だと、ここまでこだわっているのは珍しい気がしました。(巻末見ると分かるのですが、章ごとにライター違うんですよね。でもまったく同じ書き方になっているのは、かなりの労力をかけて全編に目を通してる方がいるのでしょう!)
本の紹介文には「本書にはそんな野球の真実が詰まっています」と書いてありますが、真実に近づくためのプロセスがとても科学的に真摯です。

実は、フライボール革命を扱った章において「バットを最短距離で出す」例から「主観と客観のズレで誤解を招く指導を説明できる」との記述があり、指導者は主観と客観を区別すべきとの主張をしています。BaseballGeeksさんもある種の指導者として、主観と客観の区別を信条としているのかも知れませんね。

さて、このこだわりがどうして私の心に響いたか。
それは「相関と因果をしっかり区別し、セオリーにおける関係性を厳密に捉えようとする」点です。本書の素晴らしいと思うところで、読んで良かったと思えた点です。


相関と因果を区別して扱う

人間は相関関係を因果関係と早とちりしてしまう癖があります。例えば「朝ごはんを食べる児童は学校の成績が良い」との言説が流行り、朝ごはんは大事!ってなった時代がありましたね。実際には、朝ごはんを食べる児童と全国共通テストの点数の相関が強かっただけで、相関関係があることは因果関係があることを意味する訳ではありません。
しかし、この結果に対して、多くの国民は深く考えることなく因果関係を感じてしまいました。
(※朝ごはんの例は、擬似相関の例としてもよく挙げられますね。朝ごはんが大事なのではなく、本当は「時間や金銭的な余裕がある環境」が「朝ごはんを食べる割合」と「児童の点数」の双方に相関があるということです)

同様に、野球における多くの言説やセオリーも判明しているのは相関であり厳密には因果ではないと考えられます。。(例:外角低めは安全、上から叩くと打球が伸びやすい、眼鏡の打者は大成しないなど)

つまり、相関があるからと鵜呑みにせず、その相関が実際はどうなのかを検討しなきゃいけないはずなんです。例えば、さっきの例だと以下のようなことを検討しなければなりません。
・用語を厳密にして、客観的な形にする
(外角低めは安全の『安全』って何?)
・本当に常に因果関係があるのか?
(外角低めは常にホームランを打たれづらいの?)
・局所的に因果関係があるなれば、どういう場合に成立するか?
(打者の打撃特性で外角低めの被本塁打率は変化する?)
・実は別の要因が絡んでるんじゃないの?
(上から叩くという指導自体が過度なアッパースイングを矯正するための指導なのでは?)
・想定とは逆の因果関係なのではないか?(後述)
・まったく無関係なのではないか?思い込みや単なる偶然では?
(眼鏡の打者が成功しなかったのは単なる偶然では?)

上の例の中で、外角低め上から叩くの例は実際にGeeks本で扱われていた内容です。このように、主観と客観を極限まで切り分けることで、セオリーと呼ばれるものはあくまで相関関係であり厳密な因果関係とは限らないことを示しています。また、厳密な因果関係と限らないからこそ、単純な理解で納得せずに更に深く分析をして少しでも真実に近づこうという姿勢が見られます。


特に私が感動したのは、「ボールを押し込む」の章です。
実際の野球指導では「ボールを押し込め!」と指導されるようです。これは指導者の中で「インパクトの瞬間に力を入れる→ボールが強く飛ぶ」という因果関係を読み取っているからでしょう。
この章では物理学者の先行研究をもとに、インパクトの瞬間に力をいれることが不可能であることを指摘しています。さらに、物理な知見をもとに、芯でボールをとらえると振り抜いたあとの感覚が良くなることを指摘しています。つまり、何が言いたいかといいますと、「芯でボールを捉える(=ボールが強く飛ぶ)→インパクトの瞬間に力をいれる感覚になる」という逆因果を提案しているのです!
従来のセオリーが逆因果かも知れないという指摘は、とても鋭く興味深い現象に思えました。

ボールを押し込むの章にはこうも書いてあります。

「(感覚に頼らずに)客観的事実を理解し、様々なアプローチを考えることができれば、パフォーマンス向上への近道になるのではないだろうか」

Geeks本は、主観と客観を限りなく区別し主観を再検討しているからこそ、従来のセオリーについてインパクトのある考察をすることが可能になり、将来的には感覚(=主観)だけに頼らないアプローチが可能になっていくのでしょう。

Geeks本読了後は「我々野球ファンが普段セオリーとして言い切ってしまうものの多くは、単なる相関でしかなく、再検討の余地がかなり残っているのだなあ」と心洗われる気分になりました。まだまだ分からないこと、詳細に踏み込まなきゃいけないこと、たくさんあるんですね。

真実を解明する上で、どうして科学的な方法にこだわり、カジュアルな話題を硬派に扱っていくのか、その秘密はエピローグに書いてありました。


科学の方法

本書を監修された神事努氏(國學院大學人間開発学部准教授)は、エピローグにて以下のように書いています。

このように本当かどうかを確かめるには科学の方法に則ったやり方で検証しなくてはなりません。
でも、人を対象とした研究は、同じ状況を再現することが不可能であるため、
断言ができない部分が多く、結果が限定的でどうしても回りくどくなってしまうのです。

ここまで感想文で書いてきた通り、Geeks本は断言している部分が少なく、どう解釈するかは読者側に任されています。一般的な読者や視聴者は、「こう!」と断言してくれた方がわかりやすいし説得力も感じるものです。事実、野球に限らず多くの解説者や論者はズバッと断言する方がほとんどですよね(自信が生む説得力については「ジェニファー・トンプソン」などで検索するより実感できると思います。)

こうした理由から、Geeks本は答えだけを知りたい人には回りくどくなんかモヤモヤした印象を与えるのかもしれません。実際神事氏はTwitterで以下のような発言をしています。

Geeks本の「データ論」は、分かりやすさや視聴率を求めるメディアとは相容れないのかも知れません。しかし、真理を求めるのであれば、科学の方法に則ることが一番であることもまた事実です。
Geeks本は、科学に対して真摯でありつつも、かつカジュアルな話題に踏み込んでいく、チャレンジ精神あふれる一冊だと思いました。誇張表現で周目を集めることが横行する世間の風潮に負けない点は素晴らしいと思いますし、これからもWebコラムは絶対全部読むぜと思いました。


広まるカジュアルな野球科学


以前のお股本の感想文でも書きましたが、最近は野球の真理にたどり着く手段がお茶の間に届くようになっている印象を受けます。今までの野球について論じている本は、主観的でカジュアル重視の野球論や、または超硬派アカデミックゴリゴリな論文集などがほとんどで、一般野球ファンが本屋で手にとって野球科学できるような本はほとんどなかったと思います。Geeks本は日本人メジャーリーガーや有名アマチュア選手の分析も載っていて、それで手に取る人も多いでしょう。読んでみたら科学の方法の魅力に気づいてギークの輪が広がるなんてことも十分にあるでしょう。野球を科学することの楽しさに気づいての裾野が広がることは、うれしい風潮ですね。

科学の試みは、論じる側も論じられる側も多くのコストが必要で、時に両者を大きく疲弊させるものでもあります。読んだだけで終わりにせず、我々読者もああだこうだ感想を言い合って、いい意味で疲れる必要があるのかなと思います。時に疲れた時には分かんないよと唸りながらも、たかが1歩ずつ、されど1歩ずつ野球科学が進歩していく様を見たいし加わりたいものです。



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