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手越君と僕はフロンティア・ジャンキー

先日、手越祐也君がジャニーズ退所についての会見を開いていた。



その時、僕はオンライン会議中だかなんだか忘れたけど家のソファに座り、片手間に見ていたと思う。


僕は最近アイドルカルチャーについて勉強をしていた。これまでアイドルカルチャーと無縁の世界で生きていたが、市井の人々と関わる仕事をしている以上ここまで日本独自のカルチャーとして市民権得たものを無視はできない。

そんなこともあって、オンライン会議中にも関わらずチェックしていたのだ。



最初、衝撃だったのが、彼が32歳ということだ。

なんてこった!なかなかのお兄さんじゃないか。

異様なほどに若く見える。




会見は淡々と彼特有の正直さと軽いノリで進んでいった。

ジャニーズ退所や、自粛期間中の外出問題などいついての説明があり、内容については、まあいい。



いや、ビジネストークの場に女性を呼んだ話しはひっかかった。あれは無い。

何故、男性はビジネストークをする場に女性を「添え」なければならないのか。

これは社会人になって、ビジネスの飲みが増えてからから本当によく見る光景である。「花がないと」と言うのが理由らしい。

男性たちは女性置いてきぼりでマッチョなビジネストークに集中し、女性はただ笑って聞いているしかない。何故居るのかめちゃくちゃ気になって話しに集中できない。

「連れてこられたんですか?」なんて声をかけたりビジネストークの話しを振ったりしようもんなら、マッチョな上司から「ナンパしてる」「お持ち帰りしようとしてる」と冷やかされる(時には叱られる)始末だ。

とにかくマッチョを見せつける観客が必要なのだろう。

結果的に僕も黙ってニコニコその場にいる事もあるのだから、結局その場に加担している。だからこの件にあまり偉そうに批判はできない。ここはまた別の機会に取り上げたい。






とにかく手越君の会見は、それぐらいマッチョだった。

具体的な会見内容よりも、躁的とまで言える挑戦的で、意識高く、能動的なマッチョ思考の雰囲気にひっかかった。

歌詞の9割が「ビッグになりてえ」だけで成り立つギャングスタラップみたいだ。

多くの大人が「世間知らず」と笑ってるだろう。実際、翌日のワイドショーで大人たちに盛大に笑われていた。




ただ、僕は笑えない。むしろ他人事とは思えない。悲痛さすら感じた。



彼の姿に自分自身を見たのだと思う。

僕はいずれ失業する。


ここからの話しは「実直に臨床を積む臨床家」としてではなく、「1人のキャリアに悩む社会人」の側面から話しを進めていくことにする。



というのも僕は非常勤の組み合わせで生活しているので、更新回数が満期を迎えれば、失業し、もう一度就職活動が始まる。

大学院卒業の時に色々と計算し、常勤職かフリーランスかを考えたものだ。

当時、目につく常勤職の求人は、税金、奨学金、様々なローン、当てにならない年金に頼らない老後の蓄え、いずれ必要になる原家族の介護費用など諸々を考えると、やれないこともないのだろうがかなりストレスフルな生活になることは目に見えていた。これに加え、もし家庭を持ち子どもを育てるとしたら、考えるだけで胃に穴が空きそうだ。冷静に考えて、こんな博打に大切な人は巻き込めない。

「下積みを我慢すればいつか安定する」という話しも、よく先輩達から聞いていた。しかし、2018年の心理臨床学会職能委員会の調査でも明らかになったが、現在、社会経済的に安定した常勤ポストを獲得しているベテラン達に比べ、圧倒的に後進の方が多い。自然に考えて、安定したポストをそのままスライドできるはずがない。座席数に比べて座る人数が多すぎる。過酷な椅子取りゲームになるし、そのゲームを生き残ったとしても、その分誰かを弾かないといけない。

ということもあり、「下積みすればいつか」という物語を素朴に信じられるほど、残念ながら僕はピュアではなかった。


一方、フリーランスは組み合わせ次第で無限の可能性がある。コネと契約時の交渉次第でいくらでも稼げるフロンティアに見えた。自由に動けるため、マーケットも新規開拓できる。

そう考えて、卒後の僕はフリーランスを選択したのだった。

しかしながら、無限の可能性を秘めていたように見えたフリーランスフロンティアも、思ったより早く行き詰ることとなる。



おそらく、現時点で(今自分が住む地域では)最良な組み合わせに運よくありつけた僕は、今後契約更新満期で転職したとして、最高で「現状維持」だが、おそらくほぼ「減収」に向かって行く。

いくらかけもったとしても、契約時の交渉が上手くても、業界のだいたいの相場を突き抜けることはできず、いずれ頭打ちになる。こうしてみると当たり前のことだが、当時この事態は全く考えていなかった。




そして気づく。

「おそらく僕にこれ以上の伸び代はない。」




手越君も同じ局面に来たのではないだろうかと思う。

ジャニーズ事務所という常勤職についていたとしても、タレントは水商売の不安定性から逃れられない。その点フリーランスとあまり変わらない。それに加え、「業界の相場」同様、コンプライアンスの問題で成長の幅は制限される。失業、減収と隣り合わせだ。度重なるスキャンダルや、コロナ禍でそれはより浮き彫りとなっただろう。

自分のいる業界で自身の社会経済的基盤の「成長モデル」はもう見込めず、むしろ「衰退」のダメージを如何に回避するかといったマインドになる。



こうなると、突破口が必要になる。

いずれ訪れるダメージを回避するべく、新たなフロンティアを求めざるを得ない。

そのため、僕はサイドビジネスを始めることにした。

始めるにあたり、思いつく候補はいくつかあった。

一つは自身がタレントになり演者として収益をだすことだが、これは早々に却下された。論文を書き、書籍を出し、名を売り、講演を行っていくという方法だが、エリートが物言うアカデミアの世界で、所謂「Fラン大卒」の僕がそれを目指すのはハードルが高すぎる。「色物」として勝負する鋼のメンタルもない。無理ではないだろうが、先行投資に比べて結果が未知数すぎる。大博打だ。

二つ目はイベントオーガナイザーとして研修やセミナーを企画することだが、これに関しても、やはり却下だ。(こんなことを言ったら怒られそうだが)そもそもここまで来るとセミナーや研修の意義も良く分からなくなってくる。

ユーザーの不利益にならない程度の自己メンテナンス、高度専門職の最低限のラインを維持するための「研鑽」はもちろん必要だが、それ以上に過剰に「研鑽」してどこに向かえばいいのだろうか。皆が皆三ツ星レストランでなくていい。町の定食屋ぐらいの方がちょうどいいというニーズもあるだろう。そこに収まるような努力すればいい。お客さんが三ツ星レストランを食べたいようだったら、三ツ星レストランをちゃんと紹介すればいい。

最近では様々な研修機会が、本当に増えた。とても喜ばしいことであるし、それを提供する人達には頭が下がる。
一方で、「研鑽」の過度な供給と理想化は、同業者の職業人としての不安や寄るべなさを煽り、そこにマーケットを開拓していくという搾取的構造と紙一重だ。
ここら辺が難しくて、あまり気乗りがしない。

この「研鑽文化」にはもっと言いたいこともあるが、なんにせよ、もし供給するとしても収益は考えないようにしている。





こうなると、もうこの業界内でマーケットを作るのは難しい。

ということで、全く異なる業界と積極的に繋がり、異なる業種でサイドビジネスを始めることにしたのだった。




僕は常勤職のラインから飛び出しただけでなく、自身の業界からも飛び出ることとなった。

そして、同時期に(選択や動機は異なるだろうが)手越君も会見でアイドルから飛び出るという宣言をした。





手越君、僕らはおそらく「フロンティア・ジャンキー」になってしまった。





「フロンティア・ジャンキー」は僕の造語だが、僕たちはもう、フロンティアを開拓していくことでしか、生き残れずにいる。

どこかに安住の地を探し定住するはずが、「安住の地を見つけ出す」ことが自己目的化してしまっている。安定を得るために安定から離れなければならない、安住するために安住せずにいなければならない、わけの分からない事態に陥っている。正にジャンキーだ。



そして考えてみれば、これはかなり資本主義経済的な生き方だ。
全く意図せず、(むしろ批判していた)資本主義のロジックを内面化した人間になっていたのだ。

というのも、資本主義経済もフロンティア拡大によって利潤を上げていくシステムである。
資本主義は資本拡大生産のため、新たなフロンティアでバブルを作り出す。
そうして常に「成長」していくことで利益を生み出す。

ところがグローバル化によって地理的なフロンティアは限界を迎えることとなる。そこで資本主義は電子・金融空間という仮想のフロンティアへ、実体経済から金融経済へシフトしていくほかなくなった。

ただ、実体のない金融フロンティアでバブルを引き起こし資本を拡大生産するというのは、実体経済の行き詰まりから目を背けるためのファンタジーである。そして、それも必ずどこかで頭打ちになる。
そしてこのバブル崩壊のダメージは、再び金融経済内でバブルを引き起こすことで修復される。
結果的に、実体経済の消滅という資本主義の限界を覆い隠すため、バブル経済とバブル崩壊を金融経済空間の中で、歪に循環させるしかなくなる。

バブル崩壊、リーマンショック、アベノミクスのラインはまさにそれだろう。

仮想のフロンティアを作り出して頭打ちになれば消滅させ、またその荒野にフロンティアを創造する、といった循環で「成長モデル」を基本とする資本主義は表向き維持されている。実体経済のフロンティアが消滅した今、幻のフロンティアを延々と回っている。
「変化しないため、変化し続ける」といったように、不安定でいることでしか、その姿を安定して維持することができない。

といっても僕は経済の専門家ではないし、上の理解はあまりに短絡的すぎるかもしれないので、詳しくは水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』を読んでほしい。



重要なのは、こうした日本資本主義経済の在り方が、僕らにかなり内面化されている、ということである。
文化にこころが形作られてしまっているのである。

僕らは、日本の資本主義経済と同様に、現在の社会経済的基盤を離れ、新たなフロンティアを創造し続けることでしか、社会経済的基盤を維持できない。

それは表向き「成長モデル」のため、一見、挑戦的で、意識高く、能動的で、まるでベンチャー企業家のようにマッチョな姿に映るだろう。

また、激化した矛盾と流動性に「若さ」を見る人もいるだろう。
「夢追い人」にも見える。
いや、ピーターパンにも見えるかもしれない。
滑稽だろうか。

しかし内実は、リニアに達成されることのない循環的な成長物語を繰り返しているにすぎない。延々と「大人」になれない「成長ごっこ」を続けているのだ。
そしてそのループは「衰退」や「限界」を回避するといった、かなりシビアなリアリティに動機づけられている。
失業しないために、新たなフロンティアを目指し失業し続けている、結構、絶望的な生存戦略なのだ。
本音を言えば落ちつきたい。
ただ、この生き方から降りて、今から常勤職にありつき、渋々「大人」になったとしても、「大人」として生きていけるのかも怪しいものだ。先に言ったが、「大人」のポストは少ない。できるだけ身内を蹴落としたくない。

こちとら必死なのだ。

だから僕は手越君を笑うことはできなかった。いや、手越君にこんなつもりは全くないかもしれないが。
でも、僕の心の中の手越君はそうだ(どうゆうこと)





手越君、僕らはいつかこのフロンティアジャンキーの世界から抜け出せるだろうか。
会見を見て、そんなことを考えてしまった。

いや、「テイッ!」じゃなくてさ、真面目な話。




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