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スポーツは人を作り、人をつなぐ


はじめに

こんにちは!!

今回も読んだ本から感じたことをエッセイ風に綴っていきたいと思います。

テーマは「スポーツは人を作り、人をつなぐ」です。


実体験など交えながら、話していきます。

ちなみに読んだ本は

こちらです。


野球の話なので、興味のある方は読んでみてください。


スポーツは人を作り、人をつなぐ


少し昔話をさせてもらおうと思う。

僕は小学4年生から高校3年生まで野球をしていた。

野球選手として優れてはいなかったけれど、野球を通して多くのモノを学び、多くのモノをもらった。


野球を始めたことで共通点をもった仲良くなれる友人が無条件ででき、関わるはずのない友人の保護者や指導者という大人の方と関わることができ、先輩・後輩という上下関係を知った。


練習すれば、上達すること。負けたら悔しく、勝ったら嬉しいこと。理不尽というものがこの世界にあること。


多くの経験をし、多くの学びを得た。


それに気づけたのは、ここ2,3年くらいだ。

小学校から高校まで当たり前のように野球をやってきたからこそ、大学生になって野球をやめたとき、このことを実感した。


大学生になり始めのころ、気のおける友人があまりできなかったことや毎日の生活をつまらないものだと感じたこと、何も変わらない生活の中で自分自身と対話する時間が多くできたことで気づけた。


僕という存在はずいぶん前から野球によって形作られていたんだなと。


野球をやめた今、自分が何のために生きているとか、どういう存在なのか、とかが分からなかった。


それまでは次の野球の試合が楽しみで生きていたのだろう

それまでは自分は野球部の○○という記号を持っていたのだろう


今では目標も記号も持ち合わせていない


自分に何もないと気づいていても、目をそらし続け、日々を惰性で生きていた。


学校をさぼり、昼まで寝て、アルバイトをして、深夜までYouTubeを見る。

楽しくも何もなかった。


そんな自分を変えようと、刺激を求めて短期留学をして、そして、その勢いのまま就職活動を始めた。


メモの魔力という本を読んで、たくさんの自己分析をした。

過去の自分と向き合った。


そこで出てきたのは、やっぱり野球で形作られた自分だった。


例え、

野球をしていなくても野球で培ったものは自分の中に生きていて、自分は空っぽではなく、野球が残していったものがたくさんあった


なんかなくなったものばかり考えて、残っているものを分かっていなかった。

ワンピースのジンベエというキャラの名言で

失ったものばかり数えるな。ないものはない。お前に残っているものは、なんじゃ

というのがあるが、

悲しみに暮れていると、やっぱり自分の嫌なものばかりに目が行ってしまうけど、自分のプラス面に目を向けるのが大事だなと心底思う。


自分に残っているもの、それは、自分の中にある長所とかだけでなく、野球を通して仲良くなった友人たちもそうです。


野球が自分という人間を作り、自分以外の他人とつないでくれた。


今はそれを大事にしたいなと思う。


もちろん、これは野球に限らず、どんなスポーツにも言えることのはず。

スポーツだけで生きていける人間なんて、一握りしかいない。

ということは、ほとんどの人はスポーツを高校ないし大学でやめる人が大半なわけだ。


その辞めた人の中にはそのスポーツをよりどころにして生きてきた人たちも大勢いて、それを辞めてしまったとき、何のために生きているのかとか、迷うと思う。


だって、自分にとってのそれは生きがいだったわけだから。


そういう時は、自分を見つめなおすいい機会だと思う。

頭で考えるのではなく、ノートに書きだした方が良い。

思考が整理されるし、客観的に自分を見れるから。


自分を客観的に見たとき、自分の長所だったり、自分の親友だったりは、そのスポーツが作り、つないでくれたものが多いはずだ。

間接的だけど、自分とそのスポーツはつながっている。


それを認識するだけで自分の心は楽になると思うし、また、新しい生きがいを探すためのいい脚掛けになるはずだ。


そのスポーツで生きていかない限り、絶対に他の生きがいがみんな必要になる。

けれど、そのスポーツをしていたころの自分が消えるわけではない。


そのスポーツに教えてもらったもの、もらったものを大事に、そして、それを強みに生きていけばいい。


僕は野球はへたくそだったけど、ひたすら野球の話をして、就活上手くいったよ!!

苦しいこともあったけど、野球やっててよかったとホントに思う。



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