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[短編小説]光出づる小さき国

 ***

『小さき場所から平和への兆しが出づる。
 兆しは光、光は闇のしがらみを解き放つ。
 しかし、その光は当の光さえも分からず。
 もたらされる災禍を贖うは、三回りした後。
 その後、針が動くよりも遅き速さで、世界に光がもたらされる』

 それが、関心を抱かなければ誰からも存在を認知されないほど小さき国である、チナエルに三百年伝わる伝説だ。

 チナエルは、人口も少なく、物資も少なく、領土も一望できる範囲だけと狭く、それ故に貧困が蔓延している国だった。
 しかし、それでも国民の表情に翳りは見えなかった。
 それは国民がいつか伝説が成就すると、心の中で希望を抱いているから。――という理由一つだけではなかった。

 確かに伝説が成されて、常に満たされる世界が訪れれば、幸せに苦労なく生きることも出来るだろう。しかし、伝説が宣布されてから、すでに三百年。ずっと待ち続けるには、骨身も折れる頃合いだ。机上の空論だけでは、人々の心に灯をくべ続けるのは難しい。
 現在のチナエルの国民の支えになっているもの一つとして、毎日絶えることのない行列が挙げられるだろう。

 チナエルで暮らす少年ポルタも、行列に並びながら、いつ自分の番が来るのかと嬉々として待っていた。その小さな両の手の中には、子供が持つには少しだけ大きく思われる器が、宝物のように抱えられていた。

 列の先頭から一人、また一人と離れていく。皆、満たされた表情を浮かべていた。その顔を見る度、他人のことなのにポルタも胸が満たされた。

 そして、とうとう自分の番まで迫ると――

「フォン爺、炊き出しください!」

 ポルタは嬉々と手に持っていた器を差し出した。「はいよ」と、ポルタから器を受け取ったのは、フォンという老人だ。フォンとポルタの間には、いい香りを放つ鍋がある。

 そう。この行列の正体は、フォンが個人的な趣味で行なっている炊き出しだった。

 資源も少ないチナエルで、フォンは毎日食材を持ち寄って、炊き出しの鍋を振る舞っていた。フォンによる炊き出しは、基本的に器を持参した者が対象だ。器を持って来た者に無償で温かな食事を与えるようにしているが、もちろん、仮に器を持って来なかったとしても、量を少なめにして炊き出しを振る舞っている。

 とは言え、フォンが炊き出しを振る舞うようになってから、十年が経とうとしていた。チナエルで暮らす者ならば、器を持っていない者は本当にごく稀だ。

「いつも綺麗に器を使っているねぇ」

 大人の手には丁度いい大きさの器を見つめながら、フォンは言う。フォンの言葉に、ポルタは純粋な反応で、鼻の下を擦った。

「へへっ。フォン爺のご飯は美味しいから、しっかり食べたいのさ」
「嬉しいことを言うね。今日は肉を一切れサービスしておいたよ」
「やったぁ」

 肉を多めに振る舞ってもらえる日は何か良い出来事が起こるというのが、チナエルの暗黙の了解だった。

 見てる者がつい微笑んでしまうくらい大きな挙動でフォンに礼を言ったポルタは、弾む足取りで家へと向かう。

「おーい、ポルタじゃないか」
「今日の炊き出しも、すごっく美味いぞ」
「本当に? 家帰ったらすぐ食べる!」
「おう。冷めないうちに食べなぁ」

 路上で炊き出しを食している人に声を掛けられながら、ポルタは家路を進む。

 フォンが振る舞う炊き出しを種にして話が弾むという光景は、もはや日常茶飯事だ。
 狭い国ゆえに互いに見知った仲ということもあるけれど、フォンの炊き出しを食べながら話をするおかげで、チナエルに住む国民はみな家族みたいなものだった。

 何もかも足りない国であるけれど、希望は潰えていなかった。

「う、美味っ!」

 家に帰ってフォンの炊き出しを口にしたポルタは、開口一番、料理への賛辞が口から漏れた。毎日同じ感想を口にしているけれど、フォンが作る炊き出しはまるで魔法が掛かったように美味しいのだから、仕方あるまい。そのまま炊き出しを食べていくが、口に運ぶ手は止まる由はなかった。

「今帰ったよ、ポル坊」
「オロ婆、おかえり」

 家の暖簾をまたいで来たのは、この町で占い師をしているオロだった。本来オロとポルタは血縁関係はないけれど、家族同然で一緒に暮らしていた。

 別の器に移し替えていた炊き出しをオロに渡す。

「あぁ、温まるねぇ」

 炊き出しを食べたオロは、その表情を綻ばせた。

 そして、暫くの間、二人は無言で炊き出しを食べた。会話という会話はなかったけれど、ポルタとオロは満たされていた。同じ空間で同じ食事を取るだけで、二人には十分だったのだ。

「ねぇねぇ、オロ婆。伝説が成されるのって、そろそろ?」

 ポルタが最後の一口をグイっと飲み干すと、オロに問いかけた。「まぁたその話かい」、とオロは呆れるように肩を竦めながら返事をする。

「だって、伝説を目の当たりにしたいんだもん。伝説がどう現実になるのか、俺は見てみたい」
「ひゃひゃひゃ。相も変わらず威勢がいいねぇ」
「笑い事じゃないって、オロ婆。俺は本気だぞ」
「悪かった悪かった」

 オロはポルタの頭に、ポンポンと軽く触れた。それこそ子供みたいな扱いだったけれど、ポルタは深く言及することはなかった。ここで反論したら、また話が進まなくなってしまうからだ。

「でも、すまないねぇ。ワシも詳しくは知らんのよ」
「オロ婆で知らなかったら、誰が伝説について語れるんだよ」
「ひゃひゃひゃ。占いは万能なんかじゃないからのう。そもそも、ワシだって又聞きしているだけじゃ」

 オロはチナエルにおいて現存している唯一の占い師――であるものの、伝説に関してはオロが言及したものではない。三百年前のオロの先祖が記した言葉を、先祖代々語り継いでいるだけだ。

 伝説を語り継ぐ使命はあるものの、オロ自身が信じているかはまた別物である。

「だけど、そんなワシにも一つ言えることがある」

 途端、真面目な声を発したオロに、ポルタは思わず背筋を伸ばした。

「たった五行の伝説に縛られる必要はない。ポル坊にはやるべきことがあるはずさ。その時はワシのことなど気にせず、やるべきことをやるんだよ」

 そう言うと、オロはまたポルタの頭を優しく撫でると、食べ終わった器を片付けに行った。
 一人になったポルタは、糸が切れた人形のようにその場で背中から倒れ込んだ。

「俺にやるべきことなんてない。この国でやれることなんて、何もないよ」

 前述の通り、チナエルは小さな国ゆえに何もない。国民の最優先事項も、命を生かすことだ。それ以外に出来ることは存在しなかった。

 だから、嘘か真かは分からない伝説に縋ることだけが、ポルタの生きる希望だった。

 ***

「今日はフォン爺のところは行けないかなぁ」

 フォンによる炊き出しは、いつも人の列が絶えない。

 一連の流れとして、昼頃にフォンが作った炊き出しの匂いに駆られ、国民が列を成す。器を持参して来た国民に対して、フォンが炊き出しを延々とよそっていく。一応は時間制限を設けているのだが、ほとんどが食材の底が着いたことによって営業終了となることが多い。独自のルートがあるのか、フォンはいつも大量の食材を用意して来るが、その仕組みは知らない。深く問い詰めないことが、国民の中で暗黙の了解みたいなものだった。

「今日は諦めるか」

 長年の経験から、あの行列に並んでも炊き出しを貰うことが出来ないと早々に見切りを付けたポルタは、踵を返すことにした。
 遠目から見たフォンは、忙しそうにしているにも関わらず、充実感に満たされた表情を浮かべていた。炊き出しを食べずとも、ポルタはそれだけで十分力を受けた。

 しかし、そう思った途端、ポルタの中の腹の虫が存在を主張する。

「あー、ははっ、腹は正直だな」

 家に帰れば、オロが蓄えている食材もある。フォンの炊き出しに比べてしまえば、正直満足感は段違いではあるけれど、子供心ながら我が儘は言えないことは分かっている。

「そもそもの話、俺はオロ婆に対して感謝しかないんだ」

 チナエルで孤児であったポルタを家に迎え入れてくれたのは、オロだけだ。それ故に、この国の伝説が成就して、ポルタ自身だけでなくオロにも希望に溢れて幸せに暮らして欲しいと願っている。

 見上げた空は快晴。こんな晴れ渡った日にこそ、伝説の兆しが現れて欲しいと願っていると――、

「誰だろ?」

 ポルタの視線の先に、チナエルでは一度も見たことがない大荷物を抱えた青年がこちらへ向かっているのが確認出来た。

 チナエルで一番高い場所に上れば、一望出来るほどに小さな国だ。正直知らない人間はいないくらい、国民同士の顔は知れ渡っている。
 だから、目の前の青年が他所から来た人間だということは、容易く分かった。

 青年が歩み寄るにつれ、その顔だちがハッキリとポルタの目に見えて来る。
 整った目鼻、旅をしているには小奇麗な服に、多くの荷物を背負っている――、見るからに旅の途中の好青年と言った風貌だった。

 そして、ポルタの前に立つと、

「僕は大道芸人のロージ。色んな国や町を渡り歩いて、多くの人を笑顔にしているんだ」

 ロージと名乗った青年は、聞く者の心を掴むような、ハッキリでいて柔らかな声音で自分の身柄を口にした。

 いざロージを前にして発せられる独特な空気に、ポルタは心を掴まれるかのような錯覚を受けた。

 更にポルタがロージに感銘を受けたのは、その立ち振る舞いだけじゃない。
 ロージが語った言葉を耳にして、ポルタの心臓は警鐘を上げていた。
 ポルタは自分の中である可能性を見出していたのだ。

 それは、この目の前にいるロージこそが伝説として伝わっている人物ではないか、ということだ。

 たった数言だけであるものの、その語った言葉がチナエルに伝わる伝説を成し遂げる意味合いに聞こえたのだ。

「も、もしかして伝説の人?」

 そして、つい興奮のまま何も考えずにポルタは問いかけていた。

「伝説?」

 当然、チナエルとは無関係のロージが分かる訳もなく、ただただ首を傾げた。

 しかし、それもまた伝説の兆しなのではないかという予感を助長させた。伝説の中で、光であろうとも当の光さえも分からないと、語り継がれているからだ。
 首を傾げるロージの仕草が言外に先を促しているようで、ポルタは意気揚々と三百年語り継がれる伝説について話し始めた。

 興奮気味ゆえにたどたどしく話すポルタを前にしても、ロージは嫌な顔一つ見せずに、しきりに頷いていた。その包容力のある態度にも、ポルタは伝説の兆しを垣間見ていた。

 そして、ポルタが全てを語り終えると、

「この町で笑顔を届けたい。ポルタくん、と言ったかな。どうか僕の手伝いをしてくれないか?」

 ロージは視線を逸らすことなく、そう語りかけた。

 人当たりも良く優し気な青年、それでいて伝説を成してくれる可能性がある人物。その言葉を誰が疑い、否定することが出来るだろう。

「もちろん!」

 二つ返事で頷いたポルタを見て、ロージは満足気に笑みを浮かべた。

「ありがとう。ちなみに、この国で一番活気のある場所って、あそこで間違いないかな?」

 ロージが指さした場所は、フォンが炊き出ししている場所だった。

「そうだよ」
「あれは何をしているんだい?」
「フォンっていうお爺ちゃんが、みんなに炊き出しを配っているんだ」
「へぇ。美味しいのかい?」
「あぁ、最高だ! この国にはフォン爺が必要なんだ」
「そっか」

 ポルタの話を一通り聞いたロージは、口角を上げた。

 子供独特の純真さからか、ポルタはロージに対して僅かな違和感を抱いた。しかし、次の瞬間には柔和な笑みを浮かべていたため、ポルタは気のせいだと割り切ることにした。

 ロージは背負っていた荷物を下ろすと、ガサゴソと中を探し始めた。そして、手ごたえを感じたのか、「お、あったあった」と目当ての物を荷物の中から取り出した。

 ロージの手に握られていたのは――、

「これを炊き出しの中に、そっと入れて欲しい」

 白い物で満たされた瓶だった。

「粉?」
「そう、みんなをもっと笑顔にする魔法の粉さ。そして、君には迫真の演技でこう言って欲しい。口にした者に魔法の国を見させる粉が入っているぞー、ってね」

 ***

 チナエルは貧しく小さな国だ。それでも、人々の心はいつも充足感に満たされていた。それは国民同士で対話があり、笑顔があり、活気があったからだ。

 しかし、その空気が今や変わりつつある。
 互いに集まって近況を話し合うような環境はなくなり、みながどこか素っ気ない。顔を見合わせることがあったとて、笑顔を見せる余裕すらない。

 チナエルが変わったキッカケを、ポルタは分かっていた。

「……俺のせいだ」

 いつも活気が溢れる要因であったフォンによる炊き出しが行なわれていたスペースは、今やぽっかりと穴が空いたように閑散としていた。炊き出しの元のスペースを避けるように、隣ではロージが大道芸を披露している。

 大道芸は、楽しいことは楽しい。しかし、始まりから終わりまで、終始ロージの独壇場だ。ロージの大道芸が終わると、人々は電池が切れたように各々の仕事に戻る。
 このような流れが、最近のチナエルの決まり事だった。

 フォンがいなくなり、代わりにロージがチナエルで不必要不可欠な存在になった理由を語るのに、ポルタの存在を取り除くことは出来ない。

 話は、ポルタとロージが出会い、魔法の粉と呼ばれる代物を受け取った日にまで遡る。

「期待しているよ」

 魔法の粉を手渡したロージは、ポルタの肩に手を置いて、そう力強く言い切った。

 ロージの言葉を疑わなかったポルタは、次の日、早速行動に出た。準備を終えたフォンが、炊き出しから目を離した隙に、ロージから受けた指示通りに魔法の粉を炊き出しの中に投じた。

 美味い美味いと食する人々を目にして、達成感を得たポルタは、ロージから言われていた次の行動を取った。すなわち、「口にした者に魔法の国を見させる粉が入っているぞー!」と一言一句違わないように、皆の前で大声で言った。
 すると、状況が変わった。転じた状況は、全くポルタが願ってもいないものだった。

 ある者は炊き出しを口から吐き出し、ある者は炊き出しをその場で捨て、ある者は炊き出しの列から逃げた。
 そして、発言者であるポルタを責めるのではなく、炊き出しを作ったフォンに対して、チナエルの民は攻撃を始めた。
 あれほどフォンを慕っていた国民は、「変なものが入った炊き出しなど食えない!」、と手の平を返したようにフォンの列に並ばなくなった。酷い場合は、物理的に攻撃を仕掛ける者もいた。

 炊き出しという機会を失った人々の前に現れたのが、ロージだった。ロージは自身の大道芸によって、怒りに満ちていた国民を笑顔へと変えた。ロージの大道芸に、人々から賛辞が注がれる。

 ロージの大道芸は、一回で終わらなかった。次の日も次の日も、人々の心を支えるように大道芸を披露した。
 結果、フォンの炊き出しに並ばなくなった代わりに、ロージの大道芸で心を満たそうと人波が集うようになった。

 どうしてロージがフォンを貶めたのか、ポルタには分からなかった。抱いた疑問は、胸の中で膨らんでいった。

「……聞かなきゃ」

 大道芸を終え、人だかりが少なくなった頃合いを見計らって、ポルタはロージを尋ねた。

「あー、お前、なんて言ったっけ。まぁ、いいや。なんだ、ガキ。俺に用か?」

 ポルタを一瞥したロージからは、興味がないことがハッキリと窺えた。ロージを尋ねたことを後悔しそうになったが、ポルタは勇気を振り絞る。

「あの粉って……」
「教えただろ。魔法の国を見させる粉だ。まぁ、国によっては犯罪一歩手前だけどな」

 魔法の粉の正体は、大量摂取することにより人々に望む幻覚を見せ、幸福感を与えるという効能を持つ物質だった。国によっては、薬物と指定される危うい代物である。
 チナエルでは珍しい物質で、出回ることはほとんどないけれど、その危険さは周知されている。

 だから、ポルタの言葉を耳にした国民達は、ポルタの発言と知識を照らし合わせて不信感を抱いた。一度抱いた不信感は、消えることはおろか、更に加速していく。美味しい美味しいと食したフォンの炊き出しはずっと魔法の粉が混入していたのではないか、という疑念がどうしても国民の中に芽生えてしまったのだ。
 困苦の中、わざわざ炊き出しを用意する理由も分からないし、今まで食したこともない味をしていることも理解が出来なかった。しかし、全て魔法の粉のせいだとすれば納得だ。
 そんな怪しい代物をどうして口にしたいと思うだろうか。フォンの炊き出しから人々の足が退いていくのは、自然の成り行きだった。

 ――もちろん、ここまでの流れは全てロージが思い描いた通りのものだ。

「娯楽を失った人間が求めるのは、更なる娯楽だ。そこに俺が大道芸を披露すれば、人々から求められるようになる。そして、そこで受け入れられることが出来れば、俺はこの小さな国で必要不可欠な存在となれる。まぁ、大道芸っていう一本鎗だけじゃ心許ないから、バレないように魔法の粉を撒き散らして、少しずつ意志を奪ってはいるんだけどな。実際その通りになっただろ?」

 ロージは自分の自己顕示欲を満たすためなら、見知らぬ土地であるチナエルで暮らす人々がどうなろうと、どうでもよかったのだ。

 大道芸で人々の興味を惹き、魔法の粉で人々の心を魅了したロージは、これから自分の思い通りに、チナエルから搾取していくようになるだろう。

「あ、あの……」

 目の前にいる人間は確かにロージなのに、初めて出会った頃のロージの姿は見受けられなかった。あまりの豹変ぶりに、ポルタは上手く言葉を告げないような感覚に苛まれる。

 違いに動揺を隠せないものの、話を聞いている内、むしろ今のロージの方が本性だったのだと悟った。ロージから不穏な雰囲気を感じたことがあったポルタだが、その直感は正しかったのだと今更ながらに思う。

 しかし、気付いた時は、すでに手遅れだ。ポルタがチナエルでやらかしたことは変わらない。

 ポルタが実質的に行なったことは、魔法の粉と称された正体不明の粉をフォンの炊き出しの中に投じて、虚言を言っただけ。それだけを切り取れば、子供の可愛い悪戯と受け流すことも出来よう。
 問題は、ポルタの行動によって及んだ実害だ。
 炊き出しに対して疑心暗鬼になったチナエルは、フォンと関わらない道を選んだ。その結果、チナエル全体に余裕はなくなった。

 足だけでなく、ポルタの全身が震えていた。その震えは、ロージに臆しているからだけではなく、自分の責任の重さを感じ取っているからだ。

「俺のこと、誰にも言うなよ。言ったら、お前を魔法の国に引きずり込んでやる」

 そんなポルタに念押しをするように、ロージは肩を強く掴む。思わず「ひっ」と喉が鳴ると、なんとかロージの手から逃れ、その場から逃げ出した。
 勝利を確信したようなロージの下卑た笑い声を振り払うように、ポルタは必死に走る。

 けれど、どこに逃げたとしても、ポルタは自分が責められている感覚を拭うことが出来なかった。

「ポルタ?」

 そして、逃げた先に出会ったのは、炊き出しの道具が積まれた荷車を引くフォンだった。チナエルの国境まで逃げていたことに気が付いて、フォンはいつも食材をチナエルの外から調達していたのかと思ったけれど、今更な疑問だった。

 荷車から手を離したフォンは、「どうしたんだ? そんな慌てて」とポルタに優しく声を掛ける。フォンは炊き出し前と変わらない態度だった。

 何も問い詰められないということは、無意識に自分を責めているのではないか。もしくは、完全に呆れられて物も言えなくさせてしまったのか――、そう罪の意識がポルタに自責の念を生み出す。

「……フォン爺、ごめん。俺が、あいつの言うことを真に受けたから」
「いや、ポルタのせいじゃないよ。遅かれ早かれ、こうなる運命だったんだ」

 頭を下げたポルタに対して、フォンは笑って許してくれる。いや、フォンの口ぶりからは、そもそもポルタのことを恨んでいる由は感じられなかった。
 それでも許されたという思いは、ポルタの中に芽生えていた呪いに近い感情を、緩やかに解いてくれる。

「これからどうするの?」

 だからこそ、そうフォンに対して問いかけることが出来た。

「私は別の町に行くよ。そこで、もしかしたら温かな食事を求めている人がいるかもしれないからね」

 フォンが国境付近にいた真の理由に、ポルタはようやく気が付く。

 これまでの間、炊き出しの調達はチナエルから離れた場所で行なっていたのだろう。しかし、荷車の向きがチナエルとは反対であることから、フォンはこの町に帰って来たのではなく、この町を去ろうとしていることが分かった。

 ――今の俺がやるべきことは。

 拳を強く握り締めながら、ポルタは自分自身に問いかける。

 思い出したのは、いつしかのオロとの対話だ。

「俺も、ついて行きたい!」
「え?」
「俺もついて行って、フォン爺のために――ううん、誰かのために頑張ってみたい!」

 ――伝説に縛られることなく、自分のやるべきことをやった方がいい。

 オロの言葉はつまり、チナエルに留まる必要はないのではないかという可能性をポルタに芽生えさせた。

 一度チナエルを出て、別の町を見てみるのも悪くない。
 そもそもの話、だ。チナエルから日常を奪ってしまったポルタには、伝説を間近で見る資格なんてなかった。

「この町にいつ帰って来れるか分からないけど、いいのかい?」
「うん、大丈夫!」

 ポルタに迷いはなかった。

「分かった。じゃあ、早速行こう」

 フォンは炊き出し用の道具が積まれた荷車を引いて歩き始めた。向かう先は分からないけれど、ポルタはフォンの後について行こうと踏み出す。
 しかし、その前に一度立ち止まって、自分が生まれ育った故郷を網膜に焼き付けた。

 ロージの策略によって、ポルタはフォンを貶めてしまった。フォンを信じられなくなった人々は、ロージを慕うようになっている。今はただの大道芸人として慕われているロージだが、いつ本性を見せて、暴君のように君臨して、この町を食い物にするかは分からない。
 ロージの狙いを知っているのは、ポルタだけだ。

 けれど、ポルタはまだ少年で、何の影響力も持たない。ここでポルタが声を大にして叫んだとしても、人々の心を動かすことは出来ないだろう。

 そもそも、ポルタ自身、判断力が幼く誤った選択をしてしまったのだから、口にする資格はない。

「みんな、元気でいてくれよ」

 あわよくば、この町の人達が自身でロージの本性を見破ってくれることを願うだけだ。

 もしいつかどこかでポルタが故郷に帰って来ることがあって、状況が悪化していたら、その時は。

「――俺が、絶対に故郷を助けてみせる」

 小さく決心を口にすると、ポルタは一歩を踏み出した。

 まずは、フォンと旅することで大きな世界を見て、自分の小ささを実感することだ。それが自分を変えるキッカケになるはずだ。

 ***

 チナエルには伝説があった。
 その内容を要約するのであれば、いつか光が訪れて、チナエルの状況を覆してくれるといったものだった。

 伝説が宣布されたのは、今から三百年ほど前の話。小さく貧しい国ではあったが、国民の間には希望が満ち溢れ、活気があった。

 しかし、今や――。

「ここは、どこだ?」

 三年ぶりに帰って来た故郷、けれど記憶と違う故郷を前にして、思わずポルタは疑問符を口にしていた。

 今のチナエルに活気はなかった。表に出ている者はいるも、基本的に誰とも関わることなく、黙々と自分の作業だけに没頭している。そこらへんに生えている草木も手入れはされておらず、もはや無法地帯と称するに相応しかった。 
 フォンが炊き出しをやめ、ロージが大道芸を披露するようになってから空気が変わり始めたけれど、ここまでは荒んでいなかったはずだ。

「もしかして、ポル坊かい?」
「オロ婆!」

 久し振りに再会した占い師のオロは、やはり以前の記憶よりも瘦せこけているように見えた。

「急に挨拶もなしに出て行ったから心配したよ」
「う、そうだけどさ。自分のことは気にするなって、オロ婆が前に自分で言ってたんだよ?」
「ひゃひゃひゃ、冗談さ。フォンと一緒にいなくなったから、なんとなく察していたよ。それに、占いでも分かっていた」

 オロは屈託なく笑った。一緒に暮らしていた時と変わらない態度に、ポルタは胸がじんわりと温かくなるのを感じた。

「三年ぶりだね、オロさん」

 今まで言葉を発しなかったフォンが、ここでオロに対して声を掛けた。

「おや、フォンも一緒だったのかい? ひゃひゃひゃ、お互い長生き出来ているもんだ。あんたは全く変わらんねぇ。で、この国に何しに来たんだい?」
「この先の町に行くのに通り道だったから、様子だけでも見に来たんだけど」
「なるほどねぇ。国の離れからでも分かるように、チナエルは死んだよ」

 オロの視線が、チナエルの中心部に注がれる。ハッキリと言葉にせずとも、その視線を追うだけで、オロの言いたいことは全部伝わって来る。「……全部ロージのせいさ」、そして悔し気に呟いた。

「……オロ婆」

 ポルタは簡単に声を掛けることが出来なかった。三年もの間ポルタとフォンがチナエルを離れていた際、チナエルで残った人々がどれほど辛酸を舐めたかは完全に理解することは出来ない。

 オロは視線をフォンに向けると、

「あんたがやっていたことは、この町に多大な影響を及ぼしていたようだね。あんたの炊き出しを皆当たり前のように受け入れていたけれど、なくなって初めてその価値に気付いたよ」
「私は、ただご飯を提供していただけだよ」
「謙遜だねぇ。あんたが提供していたのは、ご飯だけじゃない。人々が安心して交流出来る場所を提供していたんだ。温かい料理を食べながら、何気ない雑談を交わせること。それは生きる上で、とても大切なことだったのさ」
「……恐縮です」

 フォンが頭を下げる一方で、ポルタは何も言葉が告げなかった。

 チナエルの国民が交流できる場所を奪うキッカケを作った張本人、それはポルタだ。清算したはずの過去が、ポルタの胸を抉る。
 幼かった、という理由だけでは許されないことを、ポルタはやらかした。

 いたたまれなくなったポルタは、

「オロ婆、ロージは今……」
「中心地に行けば、すぐ分かるよ。今は大道芸をやめて、自分の我が儘を周囲に撒き散らしている。さながら羊の皮を被った狼だったという訳だ。まぁ、本性を露わにしたとて、あいつに陶酔している人間は、疑う頭すら残っていないだろうがね」

 もしもオロのようにロージの狙いに気付いている人間が多くいれば、ここまで酷い状況には追い込まれていなかっただろう。しかし、現実は違う。
 チナエルの国民の目を覚ますためには、何が必要だろうか。

「師匠。少し自由時間をください」
「いいよ。久し振りの故郷だからといって、羽目を外し過ぎないようにね」
「はい」

 フォンとオロに対して頭を下げると、ポルタはチナエルの中心部に向かって走り出した。

 そして、フォンとオロが二人だけになると、

「師匠なんて呼ばせているんだね」
「勝手にそう呼んでくれているだけさ。私は何もしていないよ。この国を出てから、ポルタは自分の力で変わったんだ」
「ひゃひゃひゃ。そんなもん、あの子の姿を一目見た時から分かったよ。時間は怖いね。同じ三年なのに、荒んでいくものもあれば、一方は成長して生まれ変わっていく」

 ポルタが去った方角を、オロは愛おしそうな眼差しで見つめていた。その様子を見て、フォンはにこりと笑った。

 フォンとオロの交わしたやり取りを当然ながら知る由もないポルタは、チナエルの中心部に向かって走りながら、変わった町並みを見つめていた。

「……ごめん」

 何百回目になるか分からない、謝罪。

 フォンから許しの言葉を貰ったとはいえ、ポルタがやったことが消えた訳ではない。
 だからこそ、ポルタはこの状況を打破するために何が出来るかを、駆けながら必死に考えていた。

 一度口にした言葉は覆せない。そして、一度受け入れたものは、よほどのことがなければ覆せない。

 ロージがフォンを貶めた時、「魔法の粉」という人々の心を惑わす嘘の情報を伝達することで、人々の脳髄に金槌を叩いた。
 その結果、フォンの炊き出しを信じていた国民は、ロージの操り人形となって発したポルタの言葉を受け入れてしまった。そして、手のひらを返すように、フォンを排斥してロージの大道芸を指示するようになった。

 ロージの悪どいところは、大道芸を純粋に楽しみに来た国民に対して、微々たるものではあるが魔法の粉を摂取させたところだ。一度で摂取する量は微量とはいえ、何度も摂取すれば適量を超えることになる。

 あれから三年が経過したと考えると、チナエルの国民達がどれほど接種し、魔法の粉を影響を受けてしまっているか。想像することさえ怖ろしい。

「魔法の粉の影響をなくすためには、現実を認めさせること……だったよな」

 フォンと旅に出てから、ポルタは魔法の粉について調べた。

 魔法の粉を吸引した者は、基本的には思考を放棄することで現実との境を失くしてしまう。だから、現実を思い出させるような強烈な何かを突きつけることが出来れば、魔法の粉から解放されるはずだ。

「一発勝負、だ」

 チナエルを救うためならば、自分が汚名を着せられようと関係がなかった。むしろ、その覚悟は出来ている。

 皆の心に衝撃を与える一言は、なんだ。

 まだ考えが纏まらない中、ポルタはロージの前に到着してしまった。ロージの周りには、かつてポルタにも良く接してくれていたチナエルの民がいる。

 まさしく王のような扱いを受けていたロージは、

「お前、あの時のガキか……?」

 目を見開きながら体を前のめりにさせた。

「この国からいなくなったガキが、今更何をしに来たんだ? ここはもう俺の国だ。お前の居場所はどこにもないんだよ」

 ロージの口調は、まるでポルタを挑発するように、人のことを小馬鹿にしたものだった。

 三年の間でポルタが成長したとはいえ、ロージの中では子供そのものだ。何も出来ないと見くびっている。
 実際、肩で息をしているポルタに対して、ロージは悠然とした態度を貫いていた。客観的に見たとしても、余裕があるのはロージだ。

「……」

 無策のまま勢い込んでロージの前に出て来たポルタだったが、チナエルの現状を前にして分かったこともある。

 正気を取り戻すには至らなかったものの、束の間チナエルの国民の瞳に動揺の色が滲んだことを、ポルタは見逃さなかった。
 皆の心を取り戻すための取っ掛かりが残されていることだ。

 ポルタは覚悟を決めた。ロージの手からチナエルを取り戻すため、再び嘘を吐き、汚名を被ろう。

 ふぅと小さく息を吐くと、

「兆しが、ここに現れた」

 ――この国民が何よりも信じているもの、それは伝説。

 伝説を利用しているようで嫌だったが、ポルタが思いつく最善策は、どう考えてもこれしかなかった。

 あれほど待ち続けて希望を抱き続けた伝説の到来を目の当たりにすれば、天地が震えるほどの衝撃を受ける。ポルタは、そこに一縷の望みを託すことにした。

「三百年の時を経て、ようやく伝説を成す時が訪れた。今まで小さき者の中に閉じ籠っていたがゆえ光を露わにしなかったが、ここを離れ三年、闇から救うため現れた」

 威厳を持って語るポルタを、ロージは狂気でも見るように唖然と見つめていた。その一方、チナエルの国民は半信半疑といったように、お互いの顔を見合わせている。

 ポルタは臆さない。揺れない。逸らさない。
 己さえも信じなかったら、これらの言葉に力は宿らない。
 だから。

「天命に逆らう者がどのような目に合うか分かろうか?」

 ――自信を持って、言え。

「国が再生するためには、民が革命を起こさなければならない。その意味が分かるか?」

 ――皆の心が動くように、語れ。

「現状に満足するなら、それで良い。しかし、だ」

 ――この国を貶めてしまったのが俺の責任なら、この国を救うのが俺の使命だ。

 言葉を発していく度、ポルタは自分が自分でないような感覚に陥った。この感覚は悪いものではなかった。熱い火にくべられて、自分が新しくなるようだ。

「僅かにでも打破したい思いがあるのなら、動け。行動することで変えるんだ」

 ここで、ポルタは息を止めた。次の言葉に、全身全霊を込めるためだ。

 そして――、

「今一度、問う。成すべきことは、何だ?」
「うぉぉぉぉぉおおおぉぉぉッ!」

 ポルタが力強く問いかけた瞬間だった。今までロージの横で人形のように黙り込んでいた国民たちが、魂を取り戻したように吠えた。その勢いのまま、ロージに詰め寄っていく。

 今まで余裕綽々とした態度を貫いていたロージは、突然の反逆に後ずさりをした。しかし、後ろを見なかったことですぐに転げ、そのまま尻もちを着いた。

「お、お前ら……、落ち着け」

 完全に腰を抜かしてしまったロージは、両手を前にして、チナエルの国民達に訴えかけた。しかし、ロージの意志に反して、どんどんと距離が詰め寄られ、人々の圧迫がなくなることはない。

 ロージの訴え――否、ただの命乞いに等しい叫びは空振りに終わろうとしている。
 それでもロージはまだ許しを請うことはしない。プライドが邪魔をしていた。

「俺が何をして来たか、分かってるのか? 炊き出しの楽しみを失ったお前らに、楽しさを提供したのは誰だ? 生き甲斐を提供してやったのは誰だと思ってる?」
「もういい!」

 ロージを一喝したのは、チナエルの国民の中で最も頑強な体を持つミュールだった。

「お前だけに都合の良い御託は、もう御免だ! ロージ、お前はただ自分の言うことを聞くコマを欲しがっただけだろう」
「そうだ! この国は、お前のものじゃない!」
「ぐっ」

 ミュールの後に続く国民の声に、流石のロージも息を呑む。そして、ロージが怯んだ瞬間を見計らって、

「十秒くれてやる」
「……はぁ?」
「十秒で、俺達の前……いや、この国から消えろ! でなければ――」
「ひぃ!」

 ロージは言葉を最後まで聞く前に、その場から逃げ去った。悪の元凶がいなくなったことで、チナエルの国民は喝采を上げた。このように喜びの声が響くのは、実に三年ぶりのことだった。

 これで少しずつではあるけれど、チナエルの町にも昔のような活気が取り戻されるだろう。

 ロージが去っていった方角を見て、ポルタも自分のことのように喜んでいた。しかし、安堵したのも束の間、すぐにポルタは別の問題の処理に頭を悩まされることになる。

 その問題とは、ポルタが伝説を勝手に騙ったということだ。

 チナエルにおいて、伝説とは神聖視されるべきものだ。それを昔からの顔なじみである地元の少年が騙ってしまったら、伝説が穢されたと叱責されても仕方がない。
 そもそも、このやり方が正解ではないことは、ポルタ自身分かっていた。

 人助けをするということは、自分を犠牲にしてでも寄り添ってあげること――、フォンと旅した三年の間で、ポルタの中でそう結論付けていた。
 ポルタは誰に寄り添うでもなく、自分の考えで全てを行なった。

 魔法の粉を利用していたロージからチナエルを救うために仕方がなかったとはいえ、さてはてどうしたものか。

 この先の展開を想像して頭を悩ますポルタに対して、

「すまなかったな、ポルタ」
「へ?」

 ミュールを筆頭にして、チナエルの国民が頭を下げた。自分がそうされることに、ポルタは理解が出来なかった。むしろ、謝るのはポルタの方だとさえ思っているくらいだ。

「お前に嫌な役割を背負わせてしまった。俺達がもっとハッキリと自分の頭で考える力を持っていれば、ここまで酷いことにならなかったのに」
「いや、別に……。だって、そもそも俺のせいで、ロージが……」
「なんでお前のせいなんだ?」

 ポルタがずっと抱いていた罪悪感――、それをチナエルの国民たちは一息で笑い飛ばした。

 ――皆の前で罪を告白して許されたこと、加えて悪の元凶を自身の手で清算したこと。

 三年もの間胸を占めていた罪悪感が、ようやくポルタの中から完全に消え去った。

「ありがとう、ポルタ。力を合わせれば何とかなるって分かったよ。お前のおかげだ」
「あ、う、うん」

 少々の照れくささを感じ、ポルタは自分の頭を掻いた。その仕草は、まさしく子供のようだ。

「ははっ、この国を救った英雄なんだから、もうちょっとシャキッとしろよ」
「いてぇっ」

 加減を知らないミュールに思い切り背中を叩かれたことで、ポルタはその場でよろけてしまった。しまらないポルタに、この場にいる全員が笑う。

 皆の笑い声につられ、ポルタも声を上げて笑った。

 何も気にすることなく声を出すこの空間は、まさにフォンが炊き出しをしていた時に戻ったかのようだ。

 ――これが、たったこれだけの出来事が、預言されていた伝説なのかは分からない。

 もしかしたら、また今後、更なる困難がチナエルを襲うかもしれない。

 しかし、それでも何とかなる。

 チナエルの国民たちは、小さかった少年の成長した勇ましい姿を見て、確かにそう思った。

<――終わり>

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