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面白さの構造

技術的な問題で躓き、読者に面白さをうまく伝えられないという問題が「技術の壁」です。しかしそもそも伝えようしている「面白さ」についてわからないと、目指す場所もわかりません。

そのため、今回の記事では「面白さ」という漠然としたものを捉えるための考え方について書いていきます。そうして「何を目指して書けばいいのか」を把握しておくことは、目的地を目指すための羅針盤を獲得するということです。

世の中にはたくさんの羅針盤があるので、このマシュマロ式羅針盤を採用しなければならないわけではありません。ですがこのシリーズの対象である「書きたいけど書けない人」は羅針盤を持たずに創作の海に飛び出してしまった人だと思います。ですから遭難する前に、とりあえずマシュマロ式を採用しておくのをおすすめします。

あなたの面白さは実在する

まず何かを書くとき、それは何らかの「面白さ」を表現しようと思っているはずです。書いているうちに何が面白いかわからなくなってくることはあるでしょうが、少なくとも書こうと思ったときには目指す「面白さ」があると思います。

つまり、書き手の中には「面白さ」が存在しているのです。これは重要なことです。作品が評価されなかったり、「面白くない」と思われた場合でも、書き手の感じた面白さが否定されたわけじゃありません。うまく伝わらなかっただけなのです。

それでも情報伝達の問題と「面白さ」が否定される問題を混同してしまうのは、ひとえに自分の感性や価値観に自信がないからでしょう。ですが自分が「面白さ」を感じたのなら、その事実は誰も否定できません。

ですから「自分の感覚が間違っているんだ」なんて決して思わないでください。これは本当に重要なことなので繰り返します。自信があろうとなかろうと、あなたの感じた「面白さ」は面白いのです。語られる「面白い/面白くない」は常に読み手の中の話であって、書き手の中の「面白さ」は揺るぎないものです。「面白さ」に関して考える前に、まずはこの前提をしっかりと認識してください。

面白さとは何か

面白さの本質は「学習の快楽」だと考えています。だからこそ他者からは否定できませんし、同じ条件になれば誰でも同じ快楽が得られます。もし学習によって脳内で快楽物質が分泌されることを否定できる人がいたら、脳科学を塗り替える革命が起こります。それくらいあなたの感じる「面白さ」は揺るぎないものですし、また再現性の高いものです。

とはいえ、本質だけあっても使いこなすのは困難です。目的地の緯度と経度がわかることと、どの方角へ向かえばいいのかがわかることは少し違うのです。ですから「学習の快楽を与えればOKなのでやってね!」と言われて「よしやってみよう……できた!」となる人は滅多にいないかと思います。

そのため使いやすく調整した羅針盤として、「面白さ=文脈変化×納得感」を提案したいと思います。要は何かの文脈が納得感を持った上で変化することを目指せば、そこに「面白さ」が発生すると考える方法です。したがって読者に「面白さ」を感じさせるということは、作品の中に「文脈変化×納得感」の構造を作っていくということです。

この構造は文章、ストーリー、設定、キャラクター等、あらゆるものに適用できると考えています。ですからマシュマロ式小説マニュアルで語られるあらゆる技術は、「文脈変化と納得感を作っていく技術」と言っても差し支えありません。

ここでいう文脈というのは、「受け手の頭の中に形成された意味や予想」のことです。短い文章における文脈ならば、たとえば以下の文章を読んでください。

窓の外を見たら、地面が濡れていた。

この情報を受け取ったとき、以下のような思考が頭の中に出現すると思います。

・窓の外を見たんだな
・ということは家の中にいるんだな
・地面が濡れていたんだな
・雨が降っているとは言っていないな
・ということは通り雨でも降ったあとなのかな

これが文脈になります。例文の続きを書く際には、ここからいかに文脈変化と納得感を作っていくかを考えていくことになります。以下で具体例を交えながら、面白さの構造について詳しく説明していきます。

文脈確定

文脈変化と言うからには、まずは変化する前の文脈がしっかり確定している必要があります。でないと変化したのかどうかがわからないからです。

たとえば「右のやつを見たら、この前のやつが左だった」なんていう文章が与えられても、受け手の頭の中にはほとんど文脈が形成されません。こうなると変化させる文脈がないので、次にどんな文脈を与えても面白くなりにくいです。強いて言えば「意味不明」という文脈が確定しているので、それを活かすしかありません。

また、読者ごとに違う文脈を持っているので、最初に同一の文脈に揃えておく必要もあります。でないとABという文脈をCDに変えても、元からCDの文脈だった人は何も変化を感じませんし、MLという文脈だった人はなぜいきなりCDになったのか納得できません。まずは誰もがABという文脈を持ってこそ、CDという文脈に変わった時に面白く感じるのです。

そしてこの文脈確定こそが、タイトルや書き出しが最優先で果たすべき役割です。もちろん人の感覚は千差万別ですので、読み手の持つ文脈を完全に統一した状態で確定するのは難しいでしょう。しかしその考えは上手くいかなかった時に立ち直る際に使うものです。これから書こうという時には、可能な限り読み手の文脈を確定することに心血を注ぎましょう。それ自体で美しいタイトルや書き出しだとしても、作品全体を面白くするための役割を果たせなきゃ無意味です。

文脈変化

文脈が確定したら、それをいかにして変化させるかで面白さが決まります。この文脈変化を、前述の「窓の外を見たら、地面が濡れていた」という文章で考えてみます。

この場合、受け手の頭の中には「文章の主は建物の中にいて、気付かないうちに通り雨が降ったのかな」という文脈が形成されています。もし次に続く一文を考えるとしたら、新しい情報でこの文脈と全く違う文脈が形成されるように試みると面白くしやすいと考えられます。

まずは試しに文脈通りの内容を書いてみます。

窓の外を見たら、地面が濡れていた。私は建物の中にいたので、気付かないうちに通り雨が降ったようだ。

まるで面白くありませんね。面白さの要素は文脈変化だけではないので面白さ皆無と言い切ることはできませんが、とても微妙な文章です。

そこでもっと大きく文脈を変えてみます。

窓の外を見たら、地面が濡れていた。ダムが爆破されたせいでこの街は濁流に飲まれつつある。

ちょっとした日常の文脈が、一気に危機感で上書きされました。先程の微妙な例よりも面白くなったはずです。

さらに違う方向から攻めてみます。

窓の外を見たら、地面が濡れていた。この火星に雨が降ったという事実は通信ラグを超えたのち、地球で大ニュースになるだろう。

今度はどうってことない文脈を、SF的ワクワク感の文脈で上書きしてみました。これも微妙な例よりも面白くなったと思います。

こうして作られた新しい文脈が受け手の中で確定したら、今度はそれをまた変化させて……と繰り返していくことで面白さが持続したり、大きくなっていきます。

整合性での納得感

面白さの構造を作る要素は文脈変化だけではありません。 文脈変化×納得感なので納得感も極めて重要です。いくら文脈が変化しても、そこに納得感がなければ面白くならないのです。

特に重要なのが整合性です。整合性とはつまり論理的におかしくないということです。納得感を与えられれば整合性がなくても構わないのですが、整合性は納得感をもたらす最大の要素ですから優先的に考えていく必要があります。

たとえば「窓の外を見たら、地面が濡れていた」という文章で再度考えてみます。

窓の外を見たら、地面が濡れていた。きっと今日の朝食は美味しい。

これだと新しい文脈が与えられているものの、あまり面白くありません。「地面が濡れていた」と「今日の朝食は美味しい」の整合性が弱く、納得感がないからです。

整合性の弱さによる納得感の欠如が問題ですから、ここに文章を足してみて、強引に納得感を加えてみます。

窓の外を見たら、地面が濡れていた。きっと今日の朝食は美味しい。夜中に雨が降った日はあの人が朝食を作ってくれるから、僕は目が覚めるといつも真っ先にカーテンを開ける。そして今日みたいな雨上がりの朝には、地面が濡れているのを見ただけで幸せな気持ちになってしまう。

こうすると文脈変化に納得感が加わり、その分だけ面白みが出てきているように感じます。

翻って最初に挙げた微妙な例を再度見てみます。

窓の外を見たら、地面が濡れていた。私は建物の中にいたので、気付かないうちに通り雨が降ったようだ。

この文章はあまり面白いものではありません。しかし面白さというのは度合いですし、面白くなくても「面白さ0」は存在しないと考えるべきです。ではこの文章に残る砂粒のように小さな面白さは何かというと、納得感だと思います。文脈変化はほとんどありませんが、ある程度の納得感はあります。

リアリティでの納得感

整合性ともかぶる部分はありますが、納得感をもたらすもう一つの主な要素がリアリティです。よく「作品にリアリティが必要」と言われますが、リアリティを持たせることがなぜ必要なのかも、納得感で考えるとわかりやすいと思います。

現実に起こった「事実」なら、納得するしかありません。そのため、たとえ虚構でも表現が現実に近いほど、納得感を抱いてしまいます。だからリアリティは出来る限り持たせたほうがいいでしょう。

とはいえ、「リアル」な表現が多いほど面白いのかというと、そういうわけでもありません。リアルすぎて受け手のキャパシティを超える情報量になってしまったら、そもそも文をきちんと読んでもらえません。あくまで「リアル」ではなく「リアリティ」の範囲に収めないといけません。

また、受け取りやすいよう調整していても、リアリティを作るための表現をダラダラと連ねてしまったら文脈変化が緩慢になるのでいけません。緩慢すぎると受け手に変化を変化と感じてもらえなくなってしまいます。そのため、受け手が受け取りやすく、なおかつ文脈変化を損なわない範囲に限定しつつリアリティを最大化させるのがいいでしょう。

小説においてリアリティを作る最大の要素は描写です。そのため、文脈変化を阻害しない限り描写は納得感を高め、面白さを向上させる効果があります。

これもまた例文で試してみます。文脈通りに書いただけの微妙な例に、描写を付け加えてみます。

窓の外を見たら、地面が濡れていた。私は建物の中にいたので、気付かないうちに通り雨が降ったようだ。遊歩道にはところどころ水たまりができており、その淵では雀が数羽、鳴き声を交わしながらせっせと何かをついばんでいる。風で水面がきらめくと雀たちが一斉に飛び立ち、少し遅れて金木犀の香りがした。うっすらとした肌寒さを感じつつも、そろそろ秋なのだと思うと胸の内には穏やかな暖かさが灯った。

文脈変化がないので特別面白くなるわけではありませんが、描写によって納得感が大幅に強化されたかと思います。ここでは何の主張もなく、ただそれらしい表現を書いているだけです。それでもリアリティを加えることで、質が大きく変わります。

まれに文脈変化もほぼなく淡々と書いているだけなのに、大きな面白さが生じる作品があります。そういう作品はこのリアリティや整合性で大きな納得感を作っていると思われます。文脈変化×納得感ですから、納得感を軸にして面白さの構造を作っていくことも可能なのです。実際ここまでの例文では、大喜利的に文脈変化を重視したものより、描写による納得感を重視したものを一番面白く感じた人もいるかと思います。

ストーリー

ストーリーの面白さに関しても、文脈変化×納得感で考えられます。

多くの作品はハッピーエンドなので、まずはハッピーエンド作品で考えてみます。ハッピーエンド作品というのは、最初からハッピーエンドだと予想できます。そのため、冒頭と結末を比べたら文脈変化は起きていません。ですがその途中に文脈変化を起こすことで面白さの構造を作っています。

ハッピーエンドの構造を整理すると、だいたい以下のような構造になっています。

・冒頭でハッピーエンドの文脈を確定
・「ハッピーエンドじゃないかも?」と思わせる文脈に変化
・「ハッピーエンドにならない」という文脈を確定
・再度ハッピーエンドの文脈に変化
・ハッピーエンドの文脈を確定して終了

結局最初から予想できた結末に落ち着いてしまうわけですが、これこそがストーリーの基本形です。

この基本形をまさに体現している一場面が、とあるテレビ番組にあります。それは値段が伏せられた料理を注文し、いかに目標金額に近づけるかを競う企画です。目標金額から最も遠い人が全員分の支払いをすることになり、目標金額通りになった人には「ピタリ賞」として賞金が贈られます。ピタリ賞は滅多に出るものじゃないので、ピタリ賞はほぼ毎回「該当者なし」という残念な結果で終わります。もはやその場にいる全員が期待していません。そんなピタリ賞の発表こそが、ストーリーの基本形を体現しています。

ピタリ賞の発表はワンパターンで、いつもこんな感じです。

「ピタリ賞ですが……なんと! 今回は! ピタリ賞が! ついに! まさかの! ピタリ賞が! 出ませんでした〜」

結局「今回もピタリ賞が出ませんでした」と言うだけですが、その途中で声のトーンを変えます。そうしてどんどん声を張り上げ強引に納得感を作り出し、「あれ? もしかして今回は出たのかも」という雰囲気になって緊張が漂い出したところで、極めて緩い調子で「出ませんでした〜」と言います。本当にワンパターンなのですが、ここで一気に場が盛り上がります。

このピタリ賞の発表はハッピーエンドではありませんが、これはハッピーエンドの構造と全く同じです。冒頭で予想できる結末に落ち着いてしまうわけですが、途中で「違うかも?」と思わせることに全力を尽くすのです。

ですからストーリー構成を感覚的に把握したい場合は、「ピタリ賞の発表と同じ」だと思ってください。たとえばこのピタリ賞メソッドでハッピーエンド作品の流れを説明するとこんな感じになります。

「まぁ最初から明らかにハッピーエンドになりそうな流れなんですが……あれ? いやそんなはずは……ああ、なんと! 非常に言いにくいのですが……今回ばかりは……結末としては……幸せに暮らしました〜」

ストーリーで文脈変化と納得感を作るということを感覚的に説明するならば、これが全てです。冒頭と結末の文脈は必ずしも一致している必要はなく、始めに戻らずさらに別の文脈にたどり着くパターンもありますが、構造はピタリ賞と大差ありません。ですからピタリ賞メソッドの感覚を掴めば、ストーリー構成がぐっとやりやすくなると思います。

もし事前にプロットをしっかり組むタイプじゃなく、執筆時の流れを重視するタイプである場合、このピタリ賞メソッドの感覚はまさに羅針盤として使えます。そのとき書いているのが「今回のピタリ賞ですが……」のように淡々と語っている調子である場合、「なんと! 今回は!」のように強引にでも盛り上げて違う文脈に持っていくと効果的です。逆に盛り上がっているなら、淡々とした調子で違う文脈に持っていくとそれもまた効果的です。ピタリ賞メソッドは、どこに着地するかわからないままでも、その時その時で次に向かうべき場所を指し示してくれるのです。

設定

設定においても、文脈を変化させる要素をかけ合わせると面白くなります。たとえば「魔女」という設定があったとします。そこでよくある「老婆」だとか「謎の薬を作っている」という要素を盛り込むのは面白くありません。「魔女」という単語が持つ文脈の通りだからです。「魔女なのに宅急便やってる」のほうが圧倒的に面白い設定です。

「もののけなのに姫」とか「城なのに天空に浮いてる」とかそういう異質な要素をかけ合わせてこそ面白くなります。だから安易に「女子高校生だから好きな音楽は流行りのJ-POP」なんていう設定にするのは面白くありません。「清楚な女子高校生なのにデスメタルしか聴かない」とかそういう風に設定しておいたほうが面白くなります。

ただし、異質な者同士を掛け合わせても、それをうまく成立させないと意味不明で終わってしまいます。納得感が必要なのです。だから「清楚な女子高校生なのにデスメタルしか聴かない」だけでなく、「敬虔なクリスチャンだったが、死にそうになったときに助けてくれたのは神でも仏でもなく、ライブ帰りのデスメタラー」みたいなエピソードがあると納得感が加わり、設定がさらに面白くなります。

このようにして設定においても文脈変化×納得感を作ることを目指すと、考えやすくなります。

構造の発見と構築

このように文脈変化×納得感は、使いやすさと汎用性をそれなりに両立していると考えています。もちろん個人差はあるので、各自で使いやすくアレンジするとさらに使いやすくなるかと思います。あくまで実用のための羅針盤として採用している考え方ですので、自分が使いやすいよう改良していきましょう。

とにかく重要なのは、物事に面白さの構造を見出すことです。例えば積み木の家を「柱と屋根」と捉えようと、「縦2つと横1つ」と捉えようと、どっちだって構わないのです。構造さえ把握していれば、どちらでも組み立てることができるからです。

面白さの構造は、世の中のいたるところに潜んでいます。まずはそれらを見出し、構造を見る目を養いましょう。そうすることで羅針盤の精度がより高くなっていきます。

そして少しでも構造を見出すことができたら、自分でもどんどん構築してみましょう。目指す構造があればどうにか形を作ることができると思います。

また、あくまで構造が重要なので、たとえ文章が稚拙でも面白さの構造を実現できれば作品は面白くなります。細かい磨き上げは後からでいいんです。

この記事を読んだことで最低限の羅針盤は獲得したのですから、どんどん創作の海に飛び出していきましょう!

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