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松浦寿輝『黄昏の光 吉田健一論』

☆mediopos3609(2024.10.6)

『黄昏の光 吉田健一論』は
松浦寿輝が「吉田健一についてこれまで書いてきたこと、
喋ってきたことのすべてを集めた本」である

そのなかに「森有正と吉田健一」と題されたエッセイがある

森有正と吉田健一は「生年も没年もほぼ同じ」で
一年違いでともに六十五歳で亡くなっている

両者とも「西欧派」知識人(フランス系及びイギリス系)だが
「「西欧」との付き合いかた」は「鮮烈な対比を示している」

吉田健一は
十八歳でケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学するが
「ヨーロッパで見るべきものは見たと感じ、
とにかく母国に帰ろうと決断し」半年ほどで中退し帰国する

それに対し森有正は
三十八歳(一九五〇年)になって留学し
そのままフランスに終生留まることになる

「パスカルやデカルトを「本当に」理解するためには」
その地で「「経験」の深まりを感得することが不可欠だ」
そう考えたのである

しかし二人は「方向こそ正反対だが、
どちらもその年齢でしか可能でなかった選択であり、
それに以降の生の総体を捧げ尽くしたという点では」
共通している

そして「歴史的宿命を正面から引き受け、
それぞれなりにこれしかないと思い定めた道を
最後まで歩き通した」

森有正は「「経験」という語に」
吉田健一は「「時間」「変化」という語に、
「独自の深さと広がりを賦与してみせた」のである

森有正の「経験」は「体験」と対比することで
その意味をとらえている

「人間はだれも「経験」をはなれては存在しない」が
どんなに深い経験も
過去のある一つの特定の時点に凝固すると「体験」となり

それは「一種の経験の過去化」であって
「経験は、未来へ向かって開かれている
という意味がなくなってしまう」というのである

経験はその内容が
「絶えず新しいものによってこわされて、
新しいものとして成立し直して」いかなければならない

吉田健一の「時間」と「変化」についていえば
『時間』は最後期の著作であり
さらに『変化』は未完の遺作でもある

それぞれの著作(新装版)には
松浦寿輝による「解説」が掲載され
それが『黄昏の光 吉田健一論』にも収録されている

『時間』では「「時間」の絶えざる経過について語」られ
『変化』ではそれを享けるかたちで
「その「時間」が世界に何をもたらすのかという問い」が
展開されている

単純にいえば「時間はただ経過する」こと
そして「世界は不断に変化する」ということだが
いうまでもなく一般論として語られているのではない

それは「不断の「変化」の相の下に「持続」」してゆく
「言葉の運動の物質的現前それ自体を体感すべき」もの
として語られていて
さらにいえば「一瞬ごと、一行ごと生起しつづける
「生の跳躍」」としてあらわれている
そこにはおそらくベルクソンの影響がある

さて本書に収録されている講演「光の変容」に
短篇集『旅の時間』中の一篇である「航海」から
老人が夕暮れに船の甲板にでて主人公(西野)に語る
老いと死についての言葉が引用紹介されている

 「かうして段々日が暮れて行く訳ですが、」と老人が言つた。
 「夕方つていふのは寂しいんぢやなくて豊かなものなんですね。
 それが来るまでの一日の光が夕方の光に籠もってゐて
 朝も昼もあつた後の夕方なんだ。
 我々が年取るのは豊かな思ひをすることなのと同じなんですよ、
 もう若い時のもやもやも中年のごたごたもなくて
 そこから得たものは併し皆ある。」

本書の最初に収録されている
「黄昏の文学」という講演では

「吉田健一は老いや余生の時間を、今までの人生の記憶が
そこにぜんぶ豊かに照り映えているような、
価値ある時間として顕揚してきた」といい
それが「わたしたちを大いに勇気づけてくれる」といいながらも

この講演のとき自身が当時六十八歳を迎えていたなかで
吉田健一の享年を追い越した自身の現在を顧みながら
そうした「黄昏の時間の豊かさ」ということについて
若干複雑な思いを抱いてもいたようだ

しかし『時間』と『変化』の解説の最後にそれぞれ
若い人に対しその「たぐい稀な書物」を
読み親しむことを願っている旨の言葉が添えられているように
吉田健一の文章には年を経るごとに味わえる
それだけの豊かさがあるということはいうまでもない

森有正の「経験」も
吉田健一の「時間」と「経験」も
過去に向かってはいない
つねに新たに生起するものへの「生の跳躍」である

そして「黄昏の時間の豊かさ」には
おそらくさらなる意味がある

両者の享年を越えてからこそ
両者の「経験」しえなかったかもしれない
そんな新たな「生の跳躍」も「経験」し得るだろうからである

■松浦寿輝『黄昏の光 吉田健一論』(草思社 2024/10)
■『吉田健一集成1-9』(新潮社 1993/11-1994/6)
■『森有正エッセー集成 1〜5 』(二宮正之編ちくま学芸文庫 1999/6-1999/10)
■森有正『生きることと考えること』(講談社現代新書 1970/11)

**(松浦寿輝『黄昏の光 吉田健一論』
   〜「森有正と吉田健一」より)

*「わたしはあるとき、森有正(一九一一 ー 七六)と吉田健一(一九一二 ー 七七)は生年も没年もほぼ同じであることに卒然と気づき、少々驚くとともに、大いに興を覚えたものだ。」

「同じ「西欧派」知識人であるとはいえ一方はフランス系、他方はイギリス系ということもあってか、この二人を同列に並べて生涯を見渡すという思考回路が、間抜けなことにそれまでわたしには欠如していたのである。しかし、森と吉田がほぼ同じ年だという事実を念頭に置くなら、この二人の人生の劇的に際立つ対照のさまからは、様々な感興が誘発されずにはいない。(・・・)この二人の「西欧」との付き合いかたが鮮烈な対比を示しているのだ。」

「吉田健一は一九三〇年十月、十八歳でケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学するが、翌年三月には大学を中退、帰国してしまう。(・・・)このとき吉田が下した決断はきわめて重いもので、彼はそれきり二十二年間、四十一歳になるまでふたたび英国の土を踏まなかった。彼が生涯を賭して挺身したその「或る種の仕事」は、『東西文学論』『瓦礫の中』『金沢』『時間』といった名著群に結晶していく。」

「森有正が初めて渡仏したのは、戦中の交通の途絶に阻まれたのでようやく一九五〇年、三十八歳になってからで、そのとき彼はすでに東京大学文学部仏文科の助教授になっていた。留学は短期で終えて母国の教職に戻るはずだったのに、彼は彼の地に終生とどまる決断を下す。」

「森は、パスカルやデカルトを「本当に」理解するためには、人の温もりを拒絶する石造りの街に住んで、秋になるとマロニエの葉が色づいて散り、春になるとまた若葉が萌え出しそれがまた枯れていき————という円環する時間の流れに身を浸し、そこに「経験」の深まりを感得することが不可欠だと考えた。その間の事情は、『バビロンの流れのほとりにて』を始めとする美しい省察と冥想のメモワールにていねいに語られている。森が自分に課したのは「他人の国の土」をどうしても必要とする仕事だったということだ。」

「一方に、ヨーロッパで見るべきものは見たと感じ、とにかく母国に帰ろうと決断した、まだ大人になりきっていない若者がいる。他方に、すでに着手している仕事を完遂するには、制度的な抵抗や障害を押し切っても母国に帰るわけには行かないと決断した、中年の研究者がいる。方向こそ正反対だが、どちらもその年齢でしか可能でなかった選択であり、それに以降の生の総体を捧げ尽くしたという点では、二人は共通している。」

「一方は森有礼の、他方は牧野伸顕の孫という「毛並みの良い」血筋に連なり、明治末に生を享たこの二人は、歴史の文脈に置いてみるなら、明治の元勲たちによる近代国家の定礎はひとまる成し遂げられ、そこに生まれた経済的余裕を文化や学問の発展へと昇華することが可能となった時代の申し子である。森も吉田もそうした歴史的宿命を正面から引き受け、それぞれなりにこれしかないと思い定めた道を最後まで歩き通した。一方は「経験」という語に、他方は「時間」「変化」という語に、独自の深さと広がりを賦与してみせた。ともに見事な生涯だったと思う。」

**(松浦寿輝『黄昏の光 吉田健一論』
   〜「黄昏の文学」より)

*「わたしは吉田健一のエッセイや評論や小説を若い頃からずっと愛読してきました。吉田さんの文章は三十年、四十年にわたって読み返しつづけても、まだまだ面白い、汲めども尽きせぬ魅力に満ち溢れている文章です。同じものを何度読み返しても決して飽きることがない、稀有な魅力を湛えた文章を彼は書いた。」

**(松浦寿輝『黄昏の光 吉田健一論』
   〜「光の変容」より)

*「わたしが若い頃に読んで魅了され、吉田健一について何か書くたびに繰り返し引用してきた一節があります。それは短篇集『旅の時間』中の一篇である「航海」の、最後のほうに出てくる老人の言葉です。主人公とその老人が船の甲板の上に出ると、もうだんだん夕暮れになってきている。

  「かうして段々日が暮れて行く訳ですが、」と老人が言つた。「夕方つていふのは寂しいんぢやなくて豊かなものなんですね。それが来るまでの一日の光が夕方の光に籠もってゐて朝も昼もあつた後の夕方なんだ。我々が年取るのは豊かな思ひをすることなのと同じなんですよ、もう若い時のもやもやも中年のごたごたもなくてそこから得たものは併し皆ある。それでしまひにその光が消えても文句言ふことはないぢやないですか。」

 単純きわまる言葉遣いで、老いと死への諦念が語られています。有限の時間のなかで、死へ向かって否応なく歩んでいかざるをえないわれわれ人間存在の宿命がある。そこにはしかし悲嘆はなく、それをただ「豊かな思ひ」とともに受け取り、肯定すればよいのだということですね。吉田さんの言葉の一種の魔術みたいなものがここにはあって、われわれは、そうか、そんなふうに老いていけばいいのだと安堵し、幸福感に満たされる。

 ただ今日は、ここで光の比喩が使われていることに注目してみたいのです。朝から晩まで経過してゆく陽光の変化のすべてが、黄昏の光のなかに籠もっている。光というもののなかに時間の記憶が畳み込まれている。光ついてこういう考え方をした人は、これまで文学者のなかにも思想家のなかにもいなかったんじゃないでしょうか。人が歳をとってゆくという、後戻りなしの人生の時間の経過を、光の比喩で捉えているんですね。」

**(松浦寿輝『黄昏の光 吉田健一論』
   〜「大いなる肯定の書」より *吉田健一『時間』新装版、解説、青土社、二〇一二年)

*「長編エッセイ『時間』は一九七七年八月三日、享年六十五歳で亡くなった吉田健一の最後期に属する著作である。」

「吉田は本書(『時間』)でただ一つのことだけを倦まずたゆまず語りつづけている。」

「一見、自明の命題と見える。しかし、「時間はただ経過する」と感得することは決して自然な体験ではなく、むしろこの「ただたつて行く時間」への不感無覚こそが人の世の常態であるという主張に、本書の独創がある。時間は通常は隠蔽されており、それが露わになるのはむしろ例外的な恩寵状態だというのである。ただし吉田は、時間の忘却が単なる個人的心理の失調の問題だとは考えていない。それは彼の歴史認識それ自体と結びついた問題であり、その中核にあるのは「近代」こそ時間を忘れさせる元凶だという命題である。」

「非人間的な「機械時間」に支配され、労働と雑事に忙殺されて自分自身から「疎外」されつづける近代人の不幸を語るとともに、そこに欠落したより豊饒な時間の観念を希求する「反近代」的言説の長い系譜があるということだ。それは一九世紀末以降、「持続」や「生の跳躍」の概念を中心に置いて独自の「生の哲学」を展開したベルクソンの仕事や、そのベルクソンに影響されつつ「心情の間歇」の主題のうちに特異な時間感覚を小説化したプルーストの長編への受け継がれてゆく。」

「本書の真の凄みをなすもの————本書の読者に古今東西を通じて存在しえた例しのないようなテクストに出会ったという感動を与えるゆえんのものは、この「ただたつて行く時間」の重さと手触りを、ここに書き連ねられてゆく言葉の物質的な表情それ自体がなまなましく具現しているという点にある。」

「本書はただ単純に時間の問題だけを語っている書物ではない。深々とした呼吸とともに展開されてゆく文章の端々には、叡智に満ちた寸言がちりばめられている。「我々は変人、奇人であつてはならない」(Ⅳ)。「・・・・・・激情に駆られるのは大人がすることではなくて喜びでも悲みでも噛み締めてゐれば再び時間がたち始める」(Ⅴ)。「・・・・・・人間以外の動物で人間による迫害を受けてゐないものの眼の色が常に現在である状態がどういうものであるかを我々に想像させる。それは澄んでゐるといふやうなものでなくて明るい憂ひに満ちてゐてその憂ひは世界をこれでいいのだと認めることから生じる」(Ⅴ)。

 この最後の言葉は、長編小説『埋れ木』(一九七四年)の末尾近くに現れる一文、「田口は或る程度以上の所まで進化した動物、主に哺乳類が殆ど例外なしにどこか悲しげな目付きをしてゐるのは生きることの退屈を知つてゐるからではないかと思ふことがあつた」と響き合っている。「世界をこれでいいのだと認める」身振りは、楽天的な歓喜や幸福と翳りを帯びているようにわたしには見える。人間に可愛がられている犬や猫や馬の瞳が「明るい憂ひ」を湛えているというこの観察は美しい。このこと一つ取ってみても、脳天気なエピキュリアンの楽天性ほど吉田健一の世界から遠いものはないことがわかるだろう。「明るい憂ひ」を、また「生きることの退屈」を全ページにわたって漲らせたこの『時間』というたぐい稀な書物を、二一世紀の若者にぜひ読んでもらいたいとわたしは切に願っている。」

**(松浦寿輝『黄昏の光 吉田健一論』
   〜「生成と注意」より *吉田健一『変化』新装版、解説、青土社、二〇一二年)

*「『変化』は吉田健一の未完の遺作である。『ユリイカ』一九七六年九月号から翌年六月号まで十回にわたって連載されそこで中絶して、七月号に第十一回が載ることはなかった。連載は一年続く予定だったというから、吉田はあと二回分を書き、『時間』や『覚書』などと同じく全十二章の書物として刊行するつもりだったのだろう。」

「『時間』で「時間」の絶えざる経過について語った吉田が、本書においてその後を享けるかたちで展開したのは、その「時間」が世界に何をもたらすのかという問いである。この問いへの彼の返答は例によって簡潔を極めている。時間とは「ただたつて行く」ものだとすれば、その経過につれて「世界は不断に変化する」————本書をかたちづくるすべての言葉は、多様な変奏を伴いつつも結局その単純な一命題に収斂してゆく。」

「本書で展開されているのは「変化」の観念をめぐる一般論ではない。読者ここに、不断の「変化」の相の下に「持続」————これもベルクソンの主要概念の一つである————してゆく言葉の運動の物質的現前それ自体を体感すべきであり、その点は『時間』の場合と同様である。(・・・)そして、この稀有な文章の「持続」そのものがまとまっている絶えざる「変化」にドライヴを掛けている本源的な力とはまさに、一瞬ごと、一行ごと生起しつづける「生の跳躍」なのではないだろうか。時として「牛の涎のような」などと揶揄されたりもする後期吉田の特異な文章が体現しているものは、不断の「変化」の「持続」としてある「生の跳躍」であり、それに比肩するものとしてはアイラーやコルトレーンのフリー・ジャズ以外にないかもしれぬ、微小な「創造」的出来事の一瞬ごとの連続継起なのである。」

*「「持続」する「注意」によって世界の不断の「変化」の表情の推移を捉え、それを突拍子もないユーモアの漲る虚構の時空に溶かし込んでゆく彼の長・短篇小説を、わたしたちはもっともっと読みつづけたかった。享年六十五という若さでの吉田の早逝が惜しまれてならない。「死」という絶対的な他者がいきなり彼の生の時空に介入し、そこでの「変化」の「持続」を無情に切断してしまったのである。しかしそれははたして「他者」だったのだろうか。

「一人の人間が変化と付き合つてゐるのであるからその一生が長いものにも思へる。或は寧ろ一生の終わりといふのは変化の意識も含めて人間がなすべきこと、なしてゐることの一切を続ける必要がなくなる時でいつ来るとも解らないその休息の瞬間に今から期待を掛けた所で我々は何ものからも自由になるものでない」(Ⅷ)。本書第八章末尾に置かれたこの段落は美しい。長すぎる引用は野暮であるからこのあたりまでにとどめるつもりだったが、ここまで書き写してきて、絶えずゆるやかに「変化」しながらさらになお続く吉田の文章をここで切断するのはあまりにも惜しいという気持ちにわたしはなった。こうした文章を書いた一人の男が、その執筆の数ヶ月語に死を迎えたという事実に思いを馳せつつ、どうかこの続きを読んでいただきたいと思う。「又それを望むこともないので我々の意識が正常に働く限りではそれは充実し、これも停滞することがなくてその対象となる変化はそれが静寂の形をとつてもその静寂に我々を満たすものがある。それ以外に生きるということに意味があるだらうか。これが続けられて我々は少しづつ終りに近づき、その味を知つてかうして我々は階段を降りて行く」(同)。

「我々は階段を降りて行くやうに年を重ねる」というのは福原麟太郎の言葉だという(Ⅵ)。『交遊録』(一九七四年)の一章が捧げられているこの英文学者は吉田の敬愛してやまない年長の友人であった。風景に対して、動物に対して動揺、人間に対して覚える「親み」に「変化」の体験が不可欠であることも、吉田は本書の中で繰り返し説いている。「親むといふのが刻々の変化とともにあるのでなければならない」(Ⅵ)。長い歳月をかけて世界と自分自身の不断の「変化」のなかで吉田健一の文章に「親んで」ゆくことの喜びを、若い人々にぜひ知ってもらいたいと思う。」

**(森有正『生きることと考えること』
   〜「Ⅳ 経験と体験」より)

*「人間はだれも「経験」をはなれては存在しない。人間はすべて、「経験を持っている」わけですが、ある人にとって、その経験の中にある一部分が、特に貴重なものとして固定し、その後の、その人のすべての行動を支配するようになってくる。すなわち経験の中のあるものが過去的なものになったままで、現在に働きかけてくる。そのようなとき、私は体験というのです。

 それに対して経験の内容が、絶えず新しいものによってこわされて、新しいものとして成立し直していくのが経験です。経験ということは、根本的に、未来へ向かって人間の存在は動いていく。一方、体験ということは、経験が、過去のある一つの特定の時点に凝固したようになってしまうことです。

 だから、どんなに深い経験でも、そこに凝固しますと、これはもう体験になってしまうのです。これは一種の経験の過去化というふうに呼ぶことができましょう。過去化してしまっては、経験は、未来へ向かって開かれているという意味がなくなってしまうと思うのです。」

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