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心配事の9割、残りの1割

1.「心配事の9割は起こらない」

そんな文字をネットで目にする機会が増えた。悩みの尽きない現代人へ勇気づける言葉として発信されているものなのかとも思う。人間の思考は妄想からスタートするもので、当然リスクを考えて行動する習慣がついてくるのは当たり前。心配になることのほとんどが妄想でしかなく、実際に起こるかと言えば起こらないのが現実で、それが原因で不安の悪循環に陥る人も多いのはないだろうか。でも、結局のところ心配事とは今解決するものがなくて、目の前にある状況を整理していく以外に方法がないし、身近なところで目に入ったところから対応するしかないのである。


2.「大丈夫だよ」って言えること

仕事で同じチームだった仲間の中に、統制力のあるリーダーがいた。このリーダーの口ぐせは「大丈夫だよ。」だった。不安で先を予測することができない部下にかける言葉はいつも同じだった。でもその「大丈夫」に勇気づけられるのは、根拠のない大丈夫なのに9割は当たっているということ。「大丈夫」と言ってくれた人が近くにいるという勇気に変わっているだけなのである。
スペイン語では大丈夫は「Bien」と言い、何かと会話で使用されることがあり、大丈夫じゃなくてもBien!って言われているような錯覚にもなる。Bienが大丈夫というよりも、お互いを鼓舞する言葉と認識すると良いのかもしれないと最近思うようになった。


ブエノスアイレスの街並み


3.残りの1割

心配事の9割は起こらない、じゃあ1割が起こった時はどうしてくれるんだというのが心配性の意見というもの。その1割が怖いから心配になるという考えに間違いはない。でも、その1割を「やっぱり」と思うのかどうかというだけの話で、物事には1割くらいのリスクは必ずあるということ。形あるものは壊れるし、道を歩けば躓くことだってある。道に躓く自分の愚かさを受け入れる許容量があれば、心配でもなくなるということ。
1割を予測することなんてできないし、起こらないならその方が良いと考えるのが心配事。自分の原因でない交通事故に数回巻き込まれる人と、見かけたこともないと言う人。ハプニングを引きこんでしまう人とそうでない人がいて、人生でその1割に出くわすかどうかを楽しんでみたいとも思えてきた。自分の経験値として絶対に必要なものとして刻めれば、人に伝えていくこともできるのだから。


4.アルゼンチンに移住してみて

心配事を自分で整理する機会が減ってきている。アルゼンチンに来てから、心配事を妄想するよりも先にハプニングが起こっている事がほとんどだというのが原因。慣れない環境にいるせいか、リスクを予測する感覚が鈍っていることもその原因で、季節と天候の変化や見かけるものが自分に影響することの予測が結びついていないことを最近になって自覚している。
そして、その心配事の斜め上をいくハプニングがあることも自分を鍛えているような気がする。アルゼンチンで半年経って、平穏無事だと感じて終わる日がやっと数日あるという程度。小さなことを挙げていればキリがないくらいで、それをハプニングだと思わない力がついてきたと勝手に自覚している。言語が普通以下のレベルで、情報弱者であることのメリットとデメリットがやっとここで整理できたというだけのこと。
日本が便利すぎてインターネットによって過度に情報が溢れている分、心配事を先取りしすぎてしまうという悪循環。食事をする時くらいはスマホから離れる「デジタルデトックス」。そんな習慣こそがシンプルに今を整理して心配事を減らしていく方法なのではないだろうかと思っている。

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