見出し画像

ミイラ展

科博、特別展「ミイラ展」を見てきました。

展示開催ギリギリまでなにが展示されるかが全く情報がない展示だったので、自ずと期待値がグングン。

どうしても好き勝手見たくて、しかし混雑が酷く苦手な私は、夜勤明け、その足で科博の開館と同時に突入、という絶対にヒトが少ないであろう方法で向かいました。

案の定、人は少ない。ですが、驚いたことに数名の人が並んでいたのです。

平日の早朝に何してんだこの人たち……と、自分の事は棚の上に放り上げて思っていたのですが、この時間を選んだその勇姿は素晴らしい。

絶対に死体を見るぞという心持ちが感じられる。


そう、死体だ。


ミイラと言って形を整えているが、正直なところ、死体なのだ。

私はそれを、見に来たのだ。

過去類を見ないほどにミイラを集めた展示。もしかしたら、二度とないかもしれない。

特別展示はそうそう開催できるものではないが、これは更に、だろう。

あの「人体の不思議展」も、あれほど素晴らしい展示だというのに、色々あって開催は二度と無いだろうと思われる。その色々に関しては色んな意見があるだろうが、見る展示としては素晴らしいものだった。

見に行って良かった。

そんな過去があるので、もしかしたら声のでかい無学な人間が、足りない脳で倫理を語るやもしれない。そうなってしまえば、展示する側は弱者だ。

こういったとき、批判の声は届きやすいが、擁護の声というものは大変届きにくい。学芸員資格を有している身としては、かなり歯がゆい思いをした。

だからこそ、この「ミイラ展」は見なくてはならなかった。この記憶の宝にしたかった。

言葉を濁すが、死体の出処に難のある展示と、史料価値のある展示を同じ土俵で語るべきではないと私は思うが、「ヒトの死体」と見たとき、なんでも声をあげたい活動家崩れは叫ぶだろう。

それに、この素晴らしい内容の展示に誰もが飛びつくだろうと友人を誘ったが、「死体は怖い」とやんわり断られた。

そうだ、この展示のテーマでもある「死」を人は怖れるのだ。

私にはわからない感覚だが、そこに並んでいるのが「死体」だと思うと、恐ろしいものなのだろう。

仕方がないので私は単独でこの展示を見に行った。

展示内容

南北アメリカ

エジプト

ヨーロッパ

東アジア・オセアニア

過去科博で展示されていたミイラ。

となっていた。

この中でやはり注目してしまうのは東アジア――――日本のミイラだ。

日本のミイラで有名なのは、即身仏だ。宗教的意味合いの強いミイラである。私も即身仏が展示されているものだと思っていたのだが、日本には「それ以外」のミイラもあったのだ。

史学を専門としていた身としても、衝撃的だった。

自然に出来たミイラが20体前後。即身仏が18体。

それほどこのミイラをつくる、あるいは出来るのには適さない日本という土壌で、残っているのだ。

素直に素晴らしいことだと思った。

ヒトの体は情報の宝庫だ。歴史を知ることが出来る。

それと出口付近にあった「ヒバロ族の干し首」というモノがありまして、それも非常に興味深かった。人の頭が拳だいの大きさに縮んでいるのだ。

勿論、人の手が加えられて加工されたミイラで、頭蓋骨を抜いてその大きさに整えているのだ。骨を抜いているのに顔の形がかなり残っており、その技術の高さに非常に驚いた。

様々な印象的なミイラを見たが、未だ人の少ない科博の中を何度も往復していた私が一番長く見たのは、やはり日本のミイラだろう。

アジア人に親近感を持ってしまうのは仕方のないことだが、「こんな人近所にいるぞ」と思わせられるような顔立ちをしているとなおさらだ。

どこか乾いた空気、展示物のために落とされた照明。私は墓地を歩いている気分になる。だが、墓地をこれほど高揚した気分で歩くことはないのだろう。

有り体に言ってしまえば、ここに並んでいる「ホトケ」は悼むべき死者ではなく、学術的存在だからである。ここは博物感なのだ。

死者への敬意は家族が払っているだろう。私にもそれなりにそういった感情がある。だが、それが知りたいという欲求に勝つことはない。

見たいと思ってしまう、人の行き着く最後の姿が。

燃えて灰になって、骨だけが残される私の死の果てにはないものだ。


ものの二時間ほどで入館人数が増えて、入口付近が混み合い始めたので、私はヒトの少ない館内を充分に堪能して、科博を後にした。

朝イチの博物館、最高ですよ。

ミュージアムショップでは勿論図録を購入した。それとアヌビスとバステトのグッズを幾つか。

精巧なガチャガチャも一度回しておいた。猫のミイラが出たので、一度でやめてしまった。それが欲しかったので。

あ、素敵な展示にはチケット以外にもグッズを買って欲しいなと。学芸員的な意見です。お金を落としてもらう事が一番ありがたいんですよね、なんにせよ。



追記

友人と行く機会があり、二度ミイラ展に行くことになった。

大変僥倖だ。しかしやはり友人は気分がすぐれなかったようだ。それでも好奇心を優先したその意気は素晴らしいものだ。

わたしは、知的好奇心が行き過ぎて、モラルがどうにかしてしまっているなどとは思わない。なぜなら、それを研究する科学者は必ずいるからだ。

彼らには大変な敬意と尊敬を込めて、自身の好奇心を大切にしていきたいと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?