見出し画像

カフェでまた、会いましょう。

 昨日、ずっと会いたかった韓国人の友人と3か月ぶりに再会した。彼女は同じ年で子育ての真っ最中であり、パートナーが外国人(日本人)。しかも、学生時代に抱いていた夢や経験してきた職業も似通っているという、たくさんの共通点がある女性だ。

 お互い在宅で仕事をしていたり、家事や育児で思うように時間がとれなかったりするものの、やっと先週、韓国・首都圏の「社会的距離の確保」が第1段階に引き下げられ、彼女の息子さんも小学校に週3ほど通えるようになったので、午前中2時間半だけ、お互いの家からほど近い、馴染みのカフェで落ち合うことにしたのだった。

 子育て、家事、仕事、パートナーや家族、小説や映画の話まで、思いつくままに話していたらあっという間に昼の12時。まだまだ話していたかったけれど、仕事の時間が迫っていたので、後ろ髪をひかれながら家路についた。

 仕事を終えた後、友人にメッセージを送ると、こんな返信が届いた。

오늘 만나서 너무 즐거웠어요.항상 생각하지만 혼자 생각만 하는 것보다 누군가와 만나서 함께 이야기하면서 좋은 에너지를 만들어가는 것이 중요한 것 같아요. (今日会えてとても楽しかったです。いつも思いますが、1人で考えるより誰かに会って一緒に話しながら良いエネルギーをうみ出していくことが大事なようです

 久々に会えた喜びで興奮しすぎて、自分の話ばかりしてしまった気がしていたのだけれど、私との会話の中で、彼女の中でも何か良いエネルギーを生み出せていたのだとしたら、とても嬉しい。

 コロナウイルスの流行に関わらず、出産後の女性———特に妊娠・出産によって社会との接点が少なくなってしまった女性の日常は、孤独になりがちだ。下手したら毎日、夫以外の大人と話す機会がないということもある。

 しかも、私や彼女のように、核家族で双方の両親が近くにおらず、親しい友人知人ともなかなか会えない環境ともなれば、その孤独に拍車がかかる。私がポロポロとそんな思いを打ち明けると、彼女は「もう忘れてしまっていたけど、子どもが2歳くらいの頃って一番辛い時期だったかもしれない」と、自分の体験談を語ってくれた。

 彼女は第1子が3歳になった頃、ソウル市内からソウル郊外の現在の家に引っ越したことで、子育てを共に助け合える仲間に出会い、その孤独感が薄まっていったという。今の私には、子育ての先輩からそんな話を聞かせてもらえることだけでも、大いに励まされるのであった。

 彼女と話す時は、いつも日本語だ。韓国語で話さなくて良いという解放感が、普段は話を聞くことが多い私をおしゃべりにさせる。

 目の前に座る友人が、優しい声で日本語を話し、時々私の知らない韓国語を教えてくれて、おいしそうにサンドイッチを食べている。笑った顔、びっくりした顔、慰めてくれる時の顔。どの瞬間も見逃したくないと思うほど大切な一分一秒が、そこにあった。

 会いたかった人に会えた喜び。人と会って話せる喜び。その感動が、自分の中で眠っていた何かをゆっくりと呼び覚ましてくれる気がした。3か月前に会えた時もそうだった。本好きな彼女と語り合えたことで、私は妊娠・出産後ずっと遠ざかっていた読書を再開しようと思えたし、本を読んで心動かされたことを誰かに伝えずにはいられなくなり、こうしてエッセイを書くようになったのだから。

 読書といえば、この日、保育園からカフェまで車を走らせる彼女を待つ間、おもわぬ出会いがあった。たくさんの韓国語書籍が並ぶカフェの本棚に、いくつか日本語の本が並んでいたのだ。その中にあった1冊、飯田美樹著『Caféから時代は創られる』におもわず手が伸びた。

 この本は、フランス・パリに留学中、カフェへ通い詰めた著者が、20世紀前半のパリのカフェに集っていた画家や知識人たちに着目し、「天才たちがカフェに集ったのではなく、カフェという場が天才を育てたのでは」という視点で研究した結果をまとめた本だった。

 前書きを読みながら、韓国のカフェで、パリのカフェについて書かれた和書に出会えるという、まったく予想もしていなかった展開に胸が高鳴った。なぜここにこの本があるんだろう?カフェの店主は日本語が堪能な方なんだろうか?一瞬にして、いろんな想像が駆けめぐった。

 調べてみると、2008年に出版されたこの本は、2020年9月、『カフェから時代は創られる』という名で、クルミド出版から増補改訂版が出版されたばかりだった。「クルミドってどこかで聞いた名前だな」と思い、また調べてみると、東京・西国分寺にあるカフェ「クルミドコーヒー」にたどり着いた。なんと、このカフェから出版社が誕生していたのだ。

 それにしても、私はなぜこのカフェの名前に覚えがあったのだろう?しばし記憶をさかのぼってみると…そうだ!昔取材した人が、クルミドコーヒーの店主・影山知明さんの著書をお薦めしてくれたんだった。本の名は『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』。あの時私は、実際に手に取ってその本を読んだのだ。それはもう、随分前のことだった。

 もしこの日、友人と他のカフェで会う約束をしていたら。もしあの本棚の前に座っていなかったら。私は『Caféから時代は創られる』という本の存在について知らないままだったかもしれないし、クルミドコーヒーのことも、昔取材した人のことも一切思い出すことはなかったかもしれない。

 そう考えると、身体の底からぐっと喜びが湧き上がってきた。実際にカフェまで足を運んだからこそ得られた偶然の出会いや発見に、心が躍った。

 韓国に移住後、特に妊娠・出産後、私の日常に欠けていたものはまさにこれだった。「カフェまで足を運ぶ」、「カフェで人を待つ」、「カフェの本棚に並んだ本を端から順に眺める」という、一見無駄に思えるような時間の中に、想像もしなかった出会いや発見があるかもしれない、ということ。

 私はこれまでの人生で、そういう余白のような時間を楽しみ、愛おしみ、そこから多くのことを学んできたのではなかったか?

 育児やコロナの影響で自由に動けず、そんな余白を失った日々を過ごしていたけれど、久々にカフェで人と会い、新しい本に出会い、コーヒーを片手に思いの丈を語り合って思ったのだ。

 カフェで会うこと、話すこと。それは生きる喜びなのだと。100年前、パリのカフェに集っていた人たちもきっと、今の私と同じような気持ちだったんじゃないだろうか。

 『Caféから時代は創られる』を読むために、私は近々、またあのカフェへ行ってみたいと思っている。そして、もう少し時間にゆとりができたら、ずっと会いたかった人たちと一緒に、お茶をしながらいっぱいおしゃべりするんだ。

 今はまだ会えない愛しい人たちへ。いつの日か、カフェでまた会いましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?