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「信頼する人」の言葉を信じてやってみる。

 2017年の春、北朝鮮のミサイル発射報道に日本中が大騒ぎし、東京の地下鉄がストップしたその日。私は関西国際空港から飛行機に乗り、韓国の仁川国際空港へ降り立った。韓国の有機農家で3か月間、農業体験取材を行うためだった。

 畑でも着られるようにと買った赤いチェック柄のシャツに、ジーンズの膝丈スカートとスニーカー。背中に10キロのリュックを背負い、両手で20キロのトランクを押しながらたどり着いた国際線の到着ロビーには、迎えに来てくれた日本人の友人と、見知らぬ韓国人男性の姿があった。

 農作業用の長靴や作業着、農家さんへのお土産でパンパンに詰まった重たいトランクをさっと手にし、笑顔で運んでくれたその人が、秋の終わりには私の夫になった。

 国際結婚を機に韓国へ移住して3年目。結婚してすぐ授かった子どもは、もうすぐ2歳になる。この3年、今まで経験したことのなかった幸せな瞬間もたくさんあった一方で、今まで知ることのなかった種類の孤独感や、さまざまな葛藤に涙した日もあった。

 そんな時、いつも私を励ましてくれたのは、見知らぬ誰かが書いた一文だった。もちろん、知っている誰かのひと言にも大いに励まされたのだが、「救いの手を欲している時に、ある日ふと、知らない誰かの言葉に出会えた」ということの感動が、私には特別なプレゼントのように思えたのだ。

 思えば10代の頃からずっと、本や新聞や雑誌、街中の広告などで目にした見知らぬ誰かの言葉に支えられてきた。だから私も、いつかそんな言葉を紡げる人になりたいと思い、今日まで生きてきたのだった。

 編集記者として、フリーライターとして、主婦として、留学生として、ある時は何の肩書きも持たない一人の人間として、新聞やフリーペーパー、雑誌、WEBマガジン、ブログなどさまざまな形で「書くこと」に向き合い15年。

 ここ数年「もう書くことを辞めてしまおうか」と思うたびに、久しぶりの友人や見知らぬ誰かから「あなたの文章を読めて良かった」とメッセージが届くようになり、私は少しだけ、自分の在りたい姿に近づけているのかもしれない、と思えるようになった。

 そしてもっと、自分の内にあるものを出し惜しみせず、思いきり表現していきたい。そんな場所が欲しいと思うようになっていた。

 そんな時「noteはあなたにピッタリだ」と教えてくれた人がいた。私が最近書いた文章を読んで、「話したくなった」と電話をかけてきてくれた在韓のオンニ(お姉さん)である。彼女は日本語教育 × 異文化間コミュニケーション × アドラー心理学の視点から、海外での幸せなバイリンガル育児についてnoteに文章をつづっている。

 8年前の韓国留学中に知り合ってから今日まで、頻繁に会えるわけではなかったけれど、人生についてさまざまな角度から語り合うことができ、今は国際結婚や日韓ダブルの子育ての悩みも共有できる人。私はそのオンニのひと言で、今日からnoteを始めることにしたのだった。

 「信頼する人」の言葉を信じてやってみる。

 これは、韓国へ農業体験取材に来る直前、「信頼する友人」から勧められて参加したあるワークショップで学んだことである。

自分がたくらんでやったことよりも、他人から振られて一生懸命やったことの方が、後から振り返って「思いもよらぬところに来たなあ」と感じた経験がある。やった結果、自分のステージが変わったことが多かった。だから今は、自分が「信頼する人」が振ってきてくれたことの方を信頼している。身のあるコミュニケーションがある人、自分の様子をよく見てくれている人が振ってくれたのだから、と。

 上の文は、2017年3月18〜20日、徳島県の神山町で開かれた「どこで、だれと、なにを?神山の空気やひとに触れながら自分の仕事と暮らしを考える3日間のワークショップ」の中で、『自分の仕事をつくる』の著者・西村佳哲さんがおっしゃっていた話を私がノートに書き留めたものだ。

 このワークショップについても、いつか振り返ってみたいと思っているのだが、とにかく、オンニからの電話を受け、「私も信頼する人の提案を信じてやってみよう」と思ったのだった。

 その先に、自分が思いもよらなかった出会いや感動が待っているかもしれないし、もしかしたらただの自己満足で静かに終わってしまうかもしれない。それでも今は、自分の表現の場を新たに作ろうと一歩踏み出せたことが心から嬉しいし、そんな自分を前よりもっと、好きになれた気がしている。

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