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ずっとあこがれだった姉と、今は並んでいるような気がしている

私と姉は3歳違いで、ちょうどちびまる子ちゃんの「ももこ」と「さきこ」のようだった。お調子者の妹と、しっかり者の姉と言うところまで同じ。センスがいいお姉ちゃんからおさがりでもらう洋服はうれしかったし、字がうまくて勉強ができるところも、ずっとあこがれだった。そして、小学校から中学まで、仲がいいんだか悪いんだか、ケンカも多い日々を過ごしていたと記憶している。


ケンカが多かった小学生のころのこと。私は海で遊んでいる途中、足がつかない場所でおぼれかけていた。そこへ現れてふっと浮き輪を置いていったのは泳ぎが上手な姉だった。

私が10歳くらいの時、母が機嫌が悪かった。姉の部屋へ二人で避難した。こっそりキッチンからもってきたワイングラスに、ぶどうジュースを注いで二人で飲んだ。ちょっと大人になった気分がした。

そうだった。私の子供時代には、いつもあこがれの姉がいたのだ。


子供のころから、前を歩いていた姉が、私の人生の道しるべみたいになっていた気がする。

姉がピアノを習い、塾に行けば私も行った。姉が中学でソフトボール部に入れば、私も入った。

姉と違う道を選び始めたのは、高校生の時だろうか。

高校生の時、姉は水泳部に入りつつ輝かしいギャル時代を謳歌したが、私は高校生になってもギャルにはならなかった。

私は姉とは違う高校を選び、硬派な女子バレーボール部に入り、汗のにおいの高校生活を送った。

私が高校生の時、姉は大学生活を満喫していたように思う。それはそれは楽しそうだったと記憶している。

中学までは、教師も先輩も、周りの誰もが姉を知っていた。けど、高校では当然、誰も姉を知らなかった。そこで初めて私は、マイルストーンがない、私の人生を選び始めたのかもしれない。

そうして私は、姉と姉妹でありつつ、友人のような関係になれたのだった。


まあ、今もなお姉は、私の想像を軽々と超えてくるけど。

先日姉と父と会った時、「私、最近筋トレしてるんだ」と話したら、

姉「私もジム週2で通ってる〜」
父「そういえば新しいランニングマシンと加圧シャツ買ったよ」
と言いはじめ、2人でおすすめのプロテイン談義がはじまった。
家で5分位腹筋してるだけの私は、「お、おう…プロテインとか飲むんだ…へぇ…そりゃすごいね、あたしゃおよびでないね?」と、まさにちびまるこちゃんみたいな口調になってしまった。

そう、姉にはかなわない。

最近韓国ドラマの「愛の不時着」を見始めたらはまってしまった。これは流行りものを逃さない姉なら観ているだろうと思い「観た?」LINEしたら「わかる~はまるよね!梨泰院クラスを観終わったところ!一押しはトッケビだよ~♡」と、私の「観た?」など愚問であった…。さらには「うちの息子の髪型がちょうどパクセロイと同じでさ~」と知らん俳優の名前がでてきてもうちょ、ちょっとまってお姉ちゃん、パクセロイ誰…と、止まらなくなった。


私が好きなミュージカルのひとつが、レ・ミゼラブル。幼いころ母に連れられて観劇したのがきっかけなため、当然姉も好きで。主人公の囚人番号が24653なんだけど、さすがにいきなり言われてもわからんだろ…と思い、ある日突然「24653てな~んだ?」とLINEしてみた。

「え、ジャン・バルジャンでしょ」と秒で返信が来た。まじでお姉ちゃん、もしかして私かよ?

さらには私が「海外だと24601だって知ってた?」と、マウント取ろうとしたら姉から「ね、発音の関係だってね?」と2秒で返信がきたのでもう完敗だった。

お姉ちゃん。小さいころから私のあこがれで、常に前を向いて私の先を歩いていた人。大人になってもなお、この「好きなもの」へのシンクロ率が嬉しかったりする。

10代のころは、「私の服勝手に着たでしょ!?」(ハイすみません、着てました)と、ケンカばかりだったけど、大人になるにつれ、友人のように楽しい姉妹になった。

今でも姉は大好きな存在だけど、いつしか「姉のようになりたい」ではなくなっていた。

私は、私の人生を歩むようになり、そしてより姉のことが大好きになった。

姉と、二人で韓国へ旅行に行きたいなぁ。



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