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私が一人称を「私」という理由#122

あなたは一人称、つまり誰かに自分の話をするときに、なんと自称しているか意識したことはありますか?


使う場面や年齢・地域によって異なるとは思いますが、

男性なら、「俺」「僕」「自分」「おいら」

女性なら、「私(わたし)」「あたし」「うち」「(じぶんの)名前」

が、多い印象ではないでしょうか?


しかし、私事で恐縮ですが、私はコールセンター業務を経験するうちに、いつの間にか、一人称が「私」になっていることに気づきました。


コールセンターの世界

経験者であればご存知でしょうが、

コール業務では男も女も統一して、一人称を「私(わたくし)」という風に使います。

お客さんに対して失礼がないように〉という理由でさらっと教わった程度ですが、どうやらビジネスやサービス業界全般の〈敬語・言葉遣いの常識〉として、多方面で言われています。

なのでコールセンターやサービス業全般で、一人称を私とお客さんに伝えるのが〈ビジネス〉では正しいといえますね。

しかし、日常生活でも連動して、「私は・・」と言ってしまうのは、少し間違っているのかもしれません。


では、なぜ私が「私」という一人称を使っているかというと単純に「コールセンターで使ってたからその流れで・・・」という理由に過ぎません。

ですが、なぜか一人称を「私」にしてnoteを書く方がしっくりくる部分もあるのです。


男子が一人称に「私」を使う心理

ふと興味が湧いたので調べてみました。

この記事によると

男性が一人称に「私」使う心理は4つあるそうです。

 【男性が一人称に「私」使う心理
①相手にかしこまっている
②仕事で「私」という癖が抜けない
③相手に良い印象を与えたいと思っている
④少し距離を置きたいと思っている


本音を言うと、仕事をする上でうっかり「自分」などと、言わないように敬語を〈癖づける為〉にプライベートで「私」を使うようにしていました。

しかし、現在は〈③相手に良い印象を与えたい〉と思って使っている気がしています。
(「私」を一人称にする習慣はついたので)


ただここで注意したいのは、日頃から一人称に「私」を使うことで、〈①相手にかしこまっている〉〈④少し距離を置きたいと思っている〉と思われる可能性があるということです。

良かれと思い「私」を使っていましたが、TPOに応じて使い分ける必要性がありそうです。


場違いな一人称の使用例

例えば、ビジネスの現場や企業面接の場で一人称に「俺」「うち」などという人はいないでしょう。

では、逆に「俺」「うち」が通じる、親しい友人間や小規模コミュニティにおいて、「私」とかしこまるのもきっと「おかしい奴だ」と認識されてしまうということがあります。


「何を当たり前なことを言っているのか?」

そうおっしゃる方は、きっと常識ある環境で育ったのではないでしょうか?


私が特異な例かもしれませんが、現に私は〈この常識〉の※20%も理解していないのだと思います。(世の中のビジネスマナーや敬語全般を100%とする)


〈自分には明らかに常識が足りていない〉という感覚は高校生くらいから感じていました。大学時代と社会人の2年間+αの今ですら、社会常識について、20%以上を理解している自信はありません。

今までは色んな事を言い訳にして、自己正当化してきましたが、もう逃れようのない事実。

自分は常識知らずの未熟者に変わりはないのです。


直そうと頑張ったことはあまりない

私は〈常識知らずということ〉を、一方ではポジティブに捉えている所があります。

つまり、常識とは大多数の人がそれに従っているから、常識と言われているだけであって、それが100%正しいと法律で決められているわけではなく、あくまで多数決の常識です。

それは文化であって、義務ではない。嫌われる覚悟で自分の信念は貫きます。


また、自分は他人の真似(完コピ)をするのが好きではありません。真似をするならエッセンスを抜き取って我流に工夫したい。そんな欲求があるように思えます。


なので、社会不適合者と言われてのは(面と向かって言われたことはないですが)当然で、組織に所属した際に多方面に迷惑をかけてしまったいる事例など、きっと枚挙に暇が無いのでしょう。(堂々と言うことではないですが・・)

馬鹿真面目なだけで、鈍感楽観主義の納得するまで指示に従わない下っ端社員なんて、扱い辛いにも程があるでしょう。(逆に私が見つけたら仲良くしたいとおもっちゃいますが(笑))


なので、私のことをよく知る近しい友人もまた、極端に変人が多かったりします。(類は友を呼ぶとは、恐らくこのことでしょう(笑))

しかし、彼らが変なのではなくて、こんな変人な自分に優しく接してくれたり、認めてくれたり、時間を共有してくれたりする。

つまり、変人な私と付き合ってくれているという面で変人ということです。


だからこそ、日頃から感謝してもしきれない思いを感じつつ、言葉にできていない自分が歯がゆいのです。


おわりに

私が「私」と言うこだわりは特にないので、これからは場面や状況にあった、一人称を使うつもりではあります。

しかし、自分や大切な人にとって必要と感じない常識は今の所、身に付ける予定はないのです。

もちろん、他人に対して、「感謝の気持ちを伝える」だとか「他人の嫌がる迷惑な行動はとらない」といった人間として最低限の心がけは、当たり前にします。

しかし、「それって何の意味があるの???」といった、明らかに謎に包まれた常識については、意図を理解し納得するまで、行動に移すことはありません。


と、まあ。

だから何なんだといった

内容をべらべらと話してしまったのですが

常識を疑い、ベターな選択をしようという

洗脳に飲まれたのかもしれないですね。

〈クリティカルシンキング〉

の真似事なのかもしれないです。


最後までお読み頂きありがとうございました。

(2532文字/執筆時間91分)


■追伸

昨日の記事を読んだあとに

この記事をよんだ人はきっと

「この人本当に頭お花畑な人だ」

と思っているはず(笑)


いやぁ、夢を語ったり、

自分をポジティブに悲観したり

忙しい感情してますよね(笑)


こんな自己満足な記事に

いつも「スキ」頂ける方々に

本当に感謝申し上げます✨←堅い!(笑)

ではまた明日🍀

いつもnoteを読んで頂きありがとうございます✨ サポートをして頂けましたら、創作活動の勉強費用に当てて、ゆくゆく必ず社会に還元させて頂きます‪🍀