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外食市場はどうなるのか?(小括&グチ)

4月15日と17日に、アフターコロナの外食市場について、下記のようなnoteを投稿しました。

この投稿では、5月10日までが今回の影響を直接受ける期間であろう(当然、延長されればそれまでとして)、という想定で、その後含めてうにゃうにゃ書いたのですが、その後についてupdateしてみようと思います。

一度期間は延長され、そして解除されたが・・・(一部地域除く)

4月7日~5月6日という期間で埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、及び福岡県に緊急事態宣言が発出され、4月16日にはこの緊急事態宣言の対象区域が全国へと拡大されました。

さらに5月4日に、全国に発出されている緊急事態宣言を5月31日まで延長する決定がされています。

しかし、5月14日には、当初の期限を待たず、39県の緊急事態宣言を解除することとなりました。

東京都と神奈川、千葉、埼玉各県の首都圏と大阪府、京都府、兵庫県、北海道の8都道府県は、宣言が継続されます。

既に諮問会議には、経済学者なども参画して「経済活動再開」を睨んでの、いわゆる「出口戦略」を含めての意思決定が為されていくことになります。

延長されて、飲食店は耐えられるのか?

一方、緊急事態宣言が継続される8都道府県(東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、京都、兵庫、北海道)については、引き続き営業自粛が続けられます。

解除される39県についても、5月4日公表された「新しい生活様式」なるものに則った営業形態の変更(夜8時までの営業など)や、行動変容が求められます。

しかし、これに耐えられるところはそう多くありません。特に宣言が継続される都道府県では・・・

・・・当然、こうなります。禁酒法時代の「闇酒場(speakeasy)」の再来です。

店の経営者にしてみれば、「クラスターを生む&自店従業員の感染」リスクと「自店の経営破綻」リスクのどちらを取るか?という、極めて厳しい判断を迫られているのです。

実際、帝国データバンク調べ(5月13日)では「旅館・ホテル」(34件)、「飲食店」(17件)、「アパレル・雑貨小売」(14件)が上位とあり、又、帝国データのような大手では引っかからない小さな飲食店の倒産や清算、事業停止はそれ以上に上るものと推量出来ますし、恐らくこれから倒産件数増加のペースは上がっていくことになるでしょう。

経営者にしてみれば、十分な支援メニューが揃わず、支援も迅速さに欠き、かつ煩雑な手間を要求された上に、支援されるとは限らないとなると、なおのこと「自店の経営破綻」を回避する判断に傾くことを否定出来ない(外食出身の)自分がいるのです。

外食企業/飲食店の「乗り換え業態(vehicle)」~ゴーストレストラン

外食に限らず、企業の新たな収益源のことを、車に例えて「乗り換え業態(vehicle)」という表現をすることがあります。

従来のように、客席を構え、料理とサービスでおもてなしをする業態(というか運営形態)が、いわゆる「新しい生活様式」では半ば否定されてしまった以上、新たな活路を見出す必要があります。特に、従来持ち帰り(T/O)をやってこなかった店は・・・。

そこで注目を集めているのは「ゴーストレストラン」という業態で、これはT/Oのみ対応するレストランです。

思えば、こういう料理の宅配サービス自体は、既に「銀のさら」,「釜寅」,「すし上等」(いずれもライドオンエクスプレス)や「上海エクスプレス(JCコムサ)」、あるいはおなじみのデリバリーピザのような先行企業群が既にあり、「宅配専門店」や「デリバリー専門」という呼び方をされていました。

これら先行企業群と「ゴーストレストラン」の違いは、前者は自社で配送員を抱えるが、後者はUberEatsや出前館など外部リソースを使って配送する点にあります。
ライドオンエクスプレス社は、自社の配送員を使ってレストランの宅配代行をする「fineDine」というサービスも手掛けています。

ゴーストレストラン、海外では?

実は「ゴーストレストラン」という業態自体は、海外では既に拡がっていた運営形態(Virtual Restaurant, Ghost Kitchenとも言われる)であり、特にインドやアメリカでは、コロナ以前から新たな成長市場と見られていました。

又インドでは、昔から弁当を配達する「ダッパーワーラー」という配達システムがあり、配達のみならず料理まで請け負う企業が現れたという経緯があります。

この記事の中で『今後、外食ビジネスの経営者は、より多くの利益を確保するためには配達&テイクアウトオンリーの形態にするか、店内飲食オンリーの形態にするか、その選択肢を迫られるようになるかもしれません。』と書いた上で、その相違点や、その解決策として宅配専用キッチンの賃貸の実例(クラウドキッチン)が挙げられています。

日本におけるゴーストレストラン

日本においては、2016年9月にUberEatsが東京でサービスインして以降、既存の飲食店の新たな収益源という見方から、宅配を主戦場とする店が出始めたことから生まれたものと考えられ、少なくともこの領域においては、先行するアメリカと同じような進化を日本でも遂げるのではないかと私は見ております。
(下記、2019年6月28日タイムプロデュースリンク堀部氏の記事参照)。

この記事で、ほぼほぼポイントがまとまっているので再掲しませんが、社会人を外食企業でスタートした私としては、前回私が挙げたポイント(↓)

 アメリカの外食界の伝説、ダニー・マイヤーの"Setting the Table"という本に、「サービス(service)は商品を届ける際の技術を指すが、おもてなし(hospitality)は、その商品の届け方で受け取る人がどのように感じるかを重視する」という一節がある。
 飲食店がT/Oに売上の軸を移すということは、店舗でおもてなしを発信出来る領域(商品の届け方)をUberEatsとか出前館のような他社に委ねてしまうことになり、言い換えれば自社商品/サービスの価値を他社のサービスレベルに委ねてしまうことになる。

が、とても気になる、といいますか、正直いえば「嫌だなぁ」と思うのです。

既にゴーストレストランに取り組まれている方の記事も挙げてみますと、

と、なかなか順調なご様子であり、やはりより少ないアセット(客席を持たないキッチン)で、より多くの業態/ブランドを展開することを意図されています。

でもね・・・それで本当に、いいの?

※ここからは半分以上グチです※

外食企業で社会人をスタートし、多くのレストランの開業に立ち会ったり、運営に携わってきた私は、客席を持たないレストランというものを、半ば受け入れがたい気持ちを持って見ています。はい、以下はそういう私の極私的見解です。

まず、ゴーストレストランというのは、どういう選ばれ方をするのか?を考えてみると、

悲観的見解) 大きなトレンドとして、人と会話しながら食事をするのが否定的に取られるような市場環境の中での食のバラエティを満たす選択肢
楽観的見解) 飲食店の営業再開までの間、コンビニや自炊に飽きた人の期間限定的な選択肢

などと考えてみた。恐らく、両方イエスで(他にもあるでしょうが)、まぁ胃袋の数が劇的に減ったわけでもないので、注文数という観点ではゼロサムゲームの世界ですね。究極は、量と価格(配送費込み)でどちらがメリットあるか?という点が問われていくことになるのだと思います。

配送費は、出前館では商品代金プラス7%、UberEatsでは20~30%(課金体系が複雑)と言われております。今は配送手数料無料のプロモーションコードがばらまかれたりしていますが、そんなもん長続きしません。

同じ支出に対してどちらが質と量で優位に立てるか?という争いになります。そうなると、既存の飲食店よりも、上で挙げたゴーストレストランは有利です。そう、顧客にとっては無価値の客席やサービスパーソンのコストが無いからです。

つまり、仮に外食市場において、宅配が大きな構成比を占めていくのであれば、既存の飲食店は、ゴーストレストランに収益力の差で淘汰されていくことになるか、生き残っても収益率の悪化が避けられない(宅配の顧客にとっては、客席やサービスパーソンのコストは無価値=回収しづらい)ことになります。

果たして、「食事」って何?

※ここも半分以上グチです※

料理というものの生い立ちは、素材や気候風土のみならず、サービスとも不可分だったところもあり、単に料理だけを即物的に作って終わり、というのが果たして持続可能なのか?という疑問があります。つまり、「料理」ではなく、「食事」としての話です。

どれだけ手間をかけて、良いグリルを使って焼こうが、ステーキはただのステーキであって、ファミリーレストランの999円ランチステーキと、高級店の1万円近くのそれとの質的な差を「食事」を提供するレストランであれば、「テーブルサービス」や「店の設え」の違いなどで説明可能です。

が、サービスなど関係無い配送員が運んできた、出来立てじゃないステーキから、顧客はその違いをどう納得するのか?強いて言うなら包材くらいしか差異要因ないんじゃない?などと(皮相的すぎますが)思っちゃうと、良い「料理」を作るモチベーションを、料理人は一体どうやって保つんだ?と思う訳です。

「食事」を「料理」のみで評価するのが正しいのであれば、絶対的に「正しい調理法と素材」がある筈、という要素還元法的世界観に収斂(しゅうれん)していくでしょう。で、その価値観を認めるならば、行き着く先は、完全食の世界、つまりはカロリーメイトのような「食べ物」が最良、ということになります。

仮にそれでいいのなら、完全食を摂取するのが一番効率的ですし、調理や食事にかかる「無駄な時間」を、他の有益と思われる事に再配分出来ます。つまり、「食事」の消滅で、単なる「栄養摂取」となるわけです。極端に言えば、ですが。

まぁ、そこまで極端な世界にいかないまでも、今、デリバリーサービスで「あの店の料理が、家に届く!」という「あの店」という評価は、どのようにして生まれたのか?を考えてみると、そこにはサービスパーソンの「テーブルサービス」や「店の設え」が「料理」と合わさった「食事」から生じているのですが、その「あの店」という「場」、言い換えれば家庭以外で「食事」を提供する場が維持できなくなりつつある現実を、ゴーストキッチンでどのように超克するのか?が、正直全く分からないんですよね。私の頭が古いのかもしれませんが・・・。

外食って、要るの?

※ここはほぼ全部グチです、というかイジケですね、これ※

今回のコロナ(COVID-19)の拡がりによって、人人感染のリスク低減の為、マスクを外さざるを得ない食事の場に対して、当面の間(緊急事態宣言解除後も)厳しい制約を、飲食店は受け入れざるを得なくなりました。

作り手(料理人)、サービスパーソンと顧客との対話や相互作用から生まれる形にならない"靄(モヤ)"のようなものが「居心地」であったり「雰囲気」を生み、それと「料理」が一体になって初めて「食事」の場が生まれるものであって、(栄養摂取のような)単なる行為ではない。と、私は思っています。

この受け入れざるを得ない制約の下、飲食店は、その"靄(モヤ)"を規制されたことになるわけです。

それは、顧客にとっては「じゃあ、代わりの食事はどうするか?」という話になるだけであって、飲食店の都合は、顧客には関係ありません。

ただ、「食事」は生きる楽しみであるべきで、そこを外して「ただ廉価な栄養補給源」になってはならない。と、外食出身の私は強く思うのです。

そして、サービスパーソンと顧客との対話や相互作用から生まれる形にならない"靄(モヤ)"を半ば失った料理人は、新しい価値や味を、果たして生み出して行けるのだろうか?という疑問が、私には解けないのです。

私には、この光景は「飲食店の緩慢な死」への途(みち)にしか見えないのです。






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