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建設現場でがんばる若いゼネコンマンへ 〜その16〜

【出来る所長。しかし・・・。】

3年ぶりに東京に戻って来ました。
運のいいことに、また着工からの現場でした。

着任した時は、3年(?)上の先輩と所長。
それから、所長専属の施工図担当の方がいました。
しばらくして、後輩が来たり先輩が増えたり、現場担当が4人くらいいた現場だったと記憶しています。
(実は、この辺たりから、記憶が曖昧になって来てます。"暗黒期"に差し掛かってるからかも?)

現場はそれなりに大変でした。
何が大変って、"所長が出来る人"だったからです。

すごい人でした。
リーダーシップが強烈な親分肌。
そして、知識もさる事ながら、情熱と信念があったと思います。
技術的な知識だけでは無く、世の中の動きから、建設業界の展望についても私見を持っており、自分の行動や会社のこれからについても、「こう、あるべき!」というのを熱く語る人でした。

そんな人なので、当たり前ですが、"自分の理想"を実現しようとすることに、ブレや妥協が無い。
その分、部下に求めることも、レベルが高いんですね。
その所長からしたら、"当たり前"のことなんだと思いますが。
でも、決して無茶振りでは無く、指示もしっかりしていました。
むしろ、指示を受ける側の僕たちがそれだけの力が無く、所長に叱られるということがよくあったと思います。

でも、そんな所長の元で仕事をするのは、大変プレッシャーです。
いや、僕が勝手にプレッシャーに感じていたんでしょうね。
『叱られたくない』
『バカだと思われたくない』
『失敗したくない』
毎日そんな気持ちで過ごしていたと思います。
そう言えば、毎朝、えずいていました。

現場は概ね順調に進んでいきました。
すごい所長の現場なので、順調にいかない訳は無く、順調にいかないことが許される訳はありませんでした。
毎日必死で喰らいつく感じでした。

とは言え、もう6年目な訳で、いい加減しっかりしないといけなかった訳ですが、全然そんな感じではなかったです。

今はその理由が良くわかります。

あの時の僕は

『現場にのめり込めていなかった』

ということです。

全然前向きでは無く、日々、こなすことしか考えていなかった。

ただ、決していい加減な気持ちでやっていたのでは無く、
『現場に迷惑をかけてはいけない』
『失敗があってはいけない』
という、どちらかと言えば、恐怖心が強かったと思います。

"恐怖"を感じて、たじろいでいるくらいなら、思い切って、一歩踏み込んでしまえば良かったのでしょう。

失敗を恐れる気持ちで満たされていれば、当然自信を持って仕事を出来るはずが無く、結果、上司や先輩からの指示を恐る恐る職人さん達に伝える。
やったのあるルーティンワークに逃げる。

なので、全然成長しないし、楽しく無い。

当たり前ですよね。

もうこの頃から
「現場は向いてない」
「キツイ」
「どうしたら、ここから離れられるのか?」
をずっと考えていました。

明らかに"負のスパイラル"です。

今考えれば、この現場は、面白い良い現場だったと思います。
学校の建て替えだったのですが、ローリング計画で3期工事。
5〜6年のプロジェクトだったと思います。

この所長の元で、しっかり取り組めば、大いに成長出来たと思います。

ただ、こんな時は、自分が"とても良い環境"にいることに、気づけないんですね。
もったいない話ですが。

この現場には、約1年いたと思います。

プロジェクトとしては、まだ始まったばかり。
1期工事の地下躯体工事の最中に、僕は次の現場に異動しました。

異動の際に所長から

「何かあったら、ひとりで抱えずに相談しろ。」

そんな言葉を頂きました。

しかし、この言葉の裏には、含みがありました。
僕は、その時はこのことに気づくはずも無く、
『僕のことを気にかけて頂いて、有難いな。』
と純粋に思っていました。


そして、このあと。

僕史上、最も苦しい時を迎えます。

そしてそれは、今思い返しても、僕の人生の大きな転換点でもありました。

正直、正確に覚えているか、自信がありません。
うまく伝えられるかも、わかりません。
何しろ、あまり思い出したくもないので。

出来る限り、あの時の自分の気持ちを掘り起こしながら、話を進めたいと思います。

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