フューチャーデザイン・プロジェクト~Future Design私たちが感じる未来~ vol.2 株式会社Join for Kaigo代表取締役 秋本可愛さん×エイチタス特別顧問 蓮見【中編】

2019年エイチタスの特別顧問に就任した、前札幌市立大学理事長・学長で、現札幌市立大学/筑波大学名誉教授の蓮見孝と新しい分野で活躍する次世代リーダーとの対談企画の第2回目は、秋本可愛さんをゲストにお迎えしました。

秋本さんは「介護から人の可能性に挑む」をミッションに、超高齢社会を、高齢者にとっても、支える世代にとっても、よりよい社会にしていくことを目指して、介護・福祉領域の人事の学びの場「KAIGO HR」や超高齢社会を創造的に生きる次世代リーダーのコミュニティ「KAIGO LEADERS」を運営する株式会社Join for Kaigo代表取締役で介護にまつわる「人」を応援しています。
蓮見が学長を務めていた札幌市立大学は、デザイン学部と看護学部があり、両学問が連携・共同して「教育・研究・地域貢献」を行い、異分野連携により可能になる、人々の暮らしや社会に新たな価値を創造する活動を実践している大学です。また2002年、筑波大学附属病院にて筑波大学芸術系と病院との協働によるアート・デザインプロジェクトを開始した草分け的存在でもあります。
そんな2人の対談から見えてくる「介護の未来」、中編です。

前編はこちらから

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蓮見:従来のような、”箇条書きにして、各イシューでKPIを設定して、どれだけ達成できたか”を評価するような数値管理は、それなりの効果を挙げるでしょう。でも私は、そもそも人間社会に存在するものは全て有機物だと思っているのです。仕事も、生活も、人間がかかわる物は基本的に街も村も社会も、全て有機物。ですからそこの問題を無機物的に機械を直すようには解決できないと思います。「この機械、性能悪いね。どこが悪いんだ?ココと、ココと、このリレーが性能悪いから全体の性能落ちていますね。じゃあリレーの性能を上げればいいか」とか、「交換してしまおう」とか・・・そういうものではないと思います。有機物として考えていくと、人手不足とか疲弊感、閉塞感みたいな大きな悪循環の源も少しずつ解かれていくのではないかという気がします。

秋本:その通りですね。

蓮見:そもそもこの悪い循環をかえるのは、自分たちの働くことへのプライド。自分は有意義な仕事をしていると思えることや、達成感を感じること自体が、大きなパワーを生むのではないかと考えます。以前、私は筑波大学や札幌市立大学で教えていたのですが、学生たちには、働くことには2種類あって、それを”プラクシス”と“プラティーク”という言葉を使って説明していました。

秋本:プラクシスとプラティーク?

蓮見:はい。プラクシスは、目的志向で実践する計画的行為。それに対してプラティークは日常習慣的に成り行きで物事を実践していく行動です。かつて人は生産行為を非常にプラティークに、高齢者の介護についてもそれぞれの家庭が日常習慣的に行っていました。おじいちゃんおばあちゃんは、亡くなるまで家にいるわけです。お嫁さんが主に担っていたけれど、別に施設も何もないので、システムもマニュアルも何もない中で、皆が成り行きでやっていました。

それに対して施設や介護保険制度ができて、とてもプラクシスにそれをやるようになりました。このプラクシスというのは、いわば“労働”という概念です。労働という概念は何かというと、お給料をもらった分だけ働くという時間労働みたいな感じです。それに対してプラティークというのは同じ働くという行為ではあっても、生涯をかけて高めていく”仕事“のようなものです。象徴的なのは仕事へのこだわりが強い職人の働きかたでしょうか。労働は“labor”だし、仕事は“work”で、本来はすごく違うと思います。働くことを皆、一緒くたに考えている気がします。ここでいう”労働”という概念が強くなると、自分がやっていることへのプライドが下がると思っています。これからも働き方改革をしていく中でも、この労働として認識されがちなものに、もっと仕事性みたいなものを組み込んでいくと、働きがいとか意義のようなものが生じてきて、生涯をかける仕事へのプライドのようなものが生み出されるのではないかと思います。

秋本:私もそう思います。

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蓮見:かつてフローレンス・ナイチンゲールが『看護覚え書き』を書いた時は、とてもすさまじく厳しい労働現場にいたにも関わらず、高いプライドを持ってやっていたからこそ、看護という仕事が低次元な労働から人を救うためのプラティークな仕事になって、看護職が一つの憧れの職業に変わっていったのでしょう。

それまでは、病院は窓もない隔離施設でした。クリミア戦争で傷ついた兵士が次々と運び込まれてくるのですが、傷口が腐って次々と死んでいきました。そこで疫病が蔓延することで兵力が減らないように、隔離して死なせるという恐ろしい施設だったのです。ナイチンゲールは、それをよしとせず、傷ついた人をちゃんと社会に戻していく治療の場であるべきと信じて、一つ一つ変えていった。そのために、医師だけではなくて看護師という人の立場に立ってケアをする仕事が必要であると主張して、そのために病院にはどんな機能が必要なのかを調査・構想し、それを物わかりの悪い軍部の将校にも理解させるために、データを可視化できるグラフという統計学的手法を開発し、近代的な病院をつくりました。ですからナイチンゲールは統計学の母とも言われるし、病院建築の母とも呼ばれています。私は”労働“を”仕事”に、つまり賃金労働ではない一つのあるべき世界を構想しマネジメントする仕事を実践していく事がとても大切だと思います。

秋本:働くという姿の全体をマネージしていく大切さ。そして、介護を総合的な仕事として、捉える切り口はこれからの社会にこそ大切ですよね。

蓮見:私は、介護職には今こそ、そういった行動が求められていると思うし、それをしない限り介護という、みんなが労働的な特性が強いと思っている仕事が”仕事”にならないと思います。

秋本:ある意味、ナイチンゲールでいう統計学に基づいた看護師という定義を作ったような位置づけの、介護バージョンみたいなものが必要ということですね。

蓮見:生まれた時から死ぬ間際まで、ずっと生涯を通じて医療が必要。でも医療だけじゃなくてケアという視点からもライフスパンを概念化することができます。生まれた時から死ぬ時まで一人の人間としてプライドを持って生き、育ち、社会活動を行いながら生き尽くしていくことが究極的には求められるわけで、そのために社会はどういう支援サービスができるのか、という視点から考えたいですよね。現代社会っていうのは分業で細分化されているので、医療も医師、看護師、コメディカルなどなど、それぞれが自分のパートを受け持つことで専門性は高まりますが、チーム医療を高度化していかないと労働に陥りがちです。

私が子どもの頃はホームドクターの時代でした。信頼している先生のところに行くだけで気持ちが楽になって、ちょっとした熱ぐらいだと下がってしまう(笑)。そういう全人的な信頼関係の中で、誰か頼れる人がいるということはとても大事なこと。けれど今、病院行くと、まず検査という形で順繰りに回されます。結果を聞いて薬もらって終わりという流れ作業の中で、癒やされる瞬間がどこにあるのかというと、どこにもないのです。施設に入っても癒やされる瞬間がないことにもなりかねない。

私は、この医療や介護現場の分業体制っていうのを、協働体制で、皆で共同体をつくって行けるといいと思っています。川上も川下もなしに…。

後編へ続きます】

秋本可愛(あきもと かあい)さん 株式会社Join for Kaigo代表取締役

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平成2年生まれ。山口県出身。2013年、株式会社Join for Kaigo設立。若者が介護に関心を持つきっかけや、若者が活躍できる環境づくりに注力。日本最大級の介護に志を持つ若者のコミュニティ「KAIGO LEADERS」発起人。その取り組みが注目され、厚生労働省の介護人材確保地域戦略会議に有識者として参加。第11回ロハスデザイン大賞2016ヒト部門準大賞受賞。2017年より東京都福祉人材対策推進機構の専門部会委員に就任。第10回若者力大賞受賞。

■蓮見 孝 プロフィールはこちらから。


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