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「まよすな」は僕の世界全てだった。

もし私がどこにでも住めるなら、幼稚園の時に住んでいた実家に戻りたい。できるなら当時住んでいた人たちも一緒に呼び戻して。

当時の実家は、埼玉県のとある住宅地の中にあった。
緑豊かな住宅地で、大きな公園が2つあり、2つの公園を囲うように一軒家が軒を連ねている。円を描くように住宅が並んでおり、他の住宅地とは道路でつながっているものの、川などで隔てられているためやや孤立した住宅地という印象をもたれていた。
公園の自然は豊かで、春は綺麗な満開の桜が咲き、夏は鬱陶しいくらいの緑生い茂る。秋は葉が色づき、冬に入るとともに風と共に葉が散っていく。
四季の移ろいを感じ取りやすい、素敵な公園だった。
少し歩けば大きな川があり、休日はよく地域のおじさんが釣りを楽しんでいる。
そんな「どうぶつの森」のようなコンパクトな住宅地に、私は住んでいた。

物心ついたときから、この住宅地で暮らしていた。
隣には仲の良い友達A君。放課後はいつも家からお菓子をこっそり盗み、公園に遊びに行っていた。A君はゴールデンレトリバーを飼っており、よくその散歩にも一緒に行っていた。
向かいの家には老夫婦が住んでおり、夏休みや冬休みに1回孫のB君が大阪からこちらに遊びに来る。私たち3人は仲が良く、休みの日はB君の家でゲームをしたり、団地内の公園でマリオごっこをしていた。大阪弁を話すB君は当時の私にとっては異文化から来た人間で、よく大阪の話を聞かせてもらっていた。狭い世界で生きていた私にとっては、全てが新鮮な情報だった。

徒歩3分の公園には大きなブランコがあり、私たちは外で遊ぶとなったらその公園を利用していた。靴飛ばしゲームが当時の流行だったのだが、ブランコの向かいには怖いおじさん、通称「こわ爺」の庭園の柵があり、そこを越えるとこわ爺が真っ赤な顔をして怒りに来る。私が生きてて初めて会った怖い大人がこのこわ爺だった。怒られるのは分かっていても、程よい距離に柵がたっているため、皆柵を超えられるように靴飛ばしの技術を磨いていた。
柵を越えた時に、いかにこわ爺にばれないように靴を回収できるか、というのをハラハラしながら実践していたのを覚えている。(結局沢山おこられたけど。)

公園の近くには、学校中の男子から人気のアイドルCさんが住んでいる。近所でよく遊んでいたからか、気づいていたら仲良くなっていたが、クラスメイトからは「お前、なんでCさんと仲良いんだよ!」と怒られるほどに彼女は人気だった。公園で遊んでいると、たまに彼女が合流してくる。彼女の家は裕福で、大きな庭に空気で膨らませるタイプの簡易プールを設置して水遊びをしたのを覚えている。

住宅地の隅には少し変わったオタク気質の女の子Dさん。今になって当時を振り返ると難しい家庭の事情があったと察せる。しょっちゅう家族で喧嘩をしており、よく噂のタネになっていた。ただ家にあるゲームのバリエーションは圧倒的で、たまに彼女の家に行って普段遊ばないゲームをプレイするのが楽しみだったりした。

私とA君、Cさん、Dさんはいつも一緒に遊んでいて、通学も一緒の班だった。自転車で学区外の駄菓子屋さんにお菓子をこっそり買いに行ったり、季節のイベントに一緒に参加したりしていた。休みの日には「冒険」と称して電車に乗って少し遠くに遠出もした。その頃の写真は今でもアルバムに残っている。皆の名前の頭文字をとって、「まよすな」というチームをつけていた。

あの狭い空間は僕の世界の全てだった。
実家に住んでいるというより、住宅地に住んでいるといったほうが正しい表現だった。
友達の家に泊まりに行ったり、友達が泊まりに来たり。たまにこっそり外に出かけたり。クローズドなコミュニティが、住民の交流を深め、そんな冒険を可能にしていた。
春先の花見、夏休みの早朝ラジオ体操、風に散る紅葉、正月の餅つき大会。四季の移ろいを公園の自然とともに過ごし、成長した少年期だった。
私にとって四季折々のイベントは人生におけるチェックポイントであり、成長のために絶対に踏まなければならないチェックポイントだった。
イベントを迎えるたびに、変わらないメンバーが目の前にいることに、今年もまた同じイベントが開かれることに、安堵を覚えていた。中学校を卒業するまでは、毎年同じリズムで時は流れ、このままずっと同じ生活が続けばよいと思っていた。

そんな私の生活は、高校進学を機に徐々に変化していく。

高校生になって電車通学するようになり、世界が広がった。
私は勉強と部活で忙しくなった。部活の帰りには高校の友達と遊ぶようになった。「まよすな」の皆も同じで、徐々にお互いが顔を合わせる時間は減っていった。それでもたまに顔を合わせれば昔の話で盛り上がっていた。それでも皆で集まる機会はほとんどなかった。皆関係性が希薄になっているのは、どこかで感じていたのか、直接顔を合わせてもどこか会話がぎこちなくなっていく。

大学生になって大学の近くに一人暮らしを始めた。サークルやアルバイト、留学など、新鮮な毎日が楽しくて、目の前の関係を深めることや刺激的な経験を求めることに夢中になっており、徐々に実家での生活は色褪せていく。
たまに帰る実家も、いつもの友達も外にでているため会える機会は少ない。帰省しても誰と会う訳でもなくそのまま帰る。
B君の帰省の報を聞くも、目の前の生活を優先しB君と会う約束を断るようになってしまった。結局大学時代1度もB君と会うことは無くなってしまった。それは「まよすな」のメンバーも同様で、LINEで連絡を取り合う機会もなくなってしまった。大学が忙しいからと言い訳をしてしまっていた。



就職して2年目の夏。親から実家を売り払って別のマンションに引っ越す旨の連絡をもらった。僕がチェックポイントを踏まなくなってから何年が経過しただろうか。あの空間にいた僕の痕跡は無くなる。
最後に実家に帰ったとき、いつも遊んでいた公園を訪れた。ブランコは取り外されており、さび付いていた。こわ爺の家の庭も手入れされた様子がない。そんな景色の変わり様に過ぎた時を感じる。

社会人になった今、昔を振り返る。閉ざされたなコミュニティであるものの、そこには四季があり、人情があった。
いま、「まよすな」のメンバーの皆はどこで何をしているのだろうか。どんな気持ちであの頃を想起し、今の暮らしをしているのだろうか。関係が疎遠になったことに後悔の念はあるのだろうか。そんなことを回顧する暇もなく今の暮らしを楽しんでいるだろうか。

できることなら、もう一度実家に戻ってあのクローズドなコミュニティでの生活をしたいと思う。そして「まよすな」のメンバーが、どんなことを考えて過ごしていたのか聞きたい。

#どこでも住めるとしたら

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