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#31 『空、飛びにいく』(那覇)

『銭湯』

沖縄の銭湯の料金は230円。東京を出る前日に入った江古田の銭湯は385円だったので、沖縄の銭湯は実にリーズナブルだ。そしてなんというか趣のある銭湯だった。
銭湯に行くちょっと前にトイレに行きたくなる体になってきた。この状態を『銭湯態勢に入った』と言ってた。
極まれに、銭湯で体にまとわり付いたアレコレを洗い流した後にモヨオスという最悪のタイミングがある。自分に腹が立って悲しくて、しばらく自己嫌悪に陥る。
あんなにキレイにしたのに・・・と。

20年前は、まだネットで検索とか主流じゃなかったですよね?
もちろん最先端な人たちはネットでアレコレ検索してナンダカンダしてたんだと思うのですが、20年前の日記に綴られてた内容は、実にアナログな毎日でした。まず、目的の町に着いて最初にやってた事が

電話帳で銭湯を探す。

なんとなく覚えてます。
電話ボックスに入って黄色いタウンページが2冊あって、分厚い方には個人の電話番号と住所が載ってて、薄い方は職種別にカテゴリー分けされていて、その薄い方で銭湯を探して、住所と地図を照らし合わせながら「ここが一番近いんちゃうかな」と探してました。もちろん、銭湯に限らず、電話帳で探した目的地に行ってみたら

今日、休みなんかいッ!

って事も多々ありました。
今は、Google Mapのアプリに『銭湯』って検索したら、現在地を中心に広範囲に渡って赤いマークがブワッと出て来て、そこをポチッとすると、営業時間まで出てたりして・・・ずいぶん便利になりました。

あの頃、スマホがあったら、また全然違った【話し相手JAPAN TOUR】になっていたんだろうなと思います。まぁ、でも、そもそも歩いて目的地に向かってますから、アナログの最先端でしたけどね。

ちなみに、現在の銭湯の料金は480円。コメダ珈琲1杯より高い。需要と供給考えたら・・・そらそうか。
話し相手JAPAN TOURから帰ってきたら400円に値上がりしてて、ちょっと心が折れたような記憶がある。
銭湯から卒業しよう・・・と。まぁ、その時は家がなくて半年ほどの居候生活が続いたのだけど。それは、またいつか。

『かおりちゃんとヒガちゃん』

2000年7月28日(金)
「乗る?」
「それは・・・」
「あ、もちろんタダだよ」
「乗る」(即決)

バスガイドのかおりちゃんが、友だちのヒガちゃんと一緒に『話し相手』にやってきた。かおりちゃんの仕事はバスガイドで、オレの行動範囲が那覇の国際通りとパレットくもじと公設市場あたりまでだと言う話をしたら

「そしたらさぁ、あたしがガイドで乗るバスのツアー客に紛れて北谷にあるアメリカンビレッジに連れてってあげようか?」
「紛れて?」
「そう、紛れたら分かんないからさ。乗る?」
「それって・・・」
「あ〜ぁ、タダだよ」
「乗る」

ツアーの日、台風が来てお客さんが全員キャンセル。かおりちゃんのバスには、オレしか乗ってない。

沖縄の人

そう、まったく紛れてないのだ。

それでも、かおりちゃんは「だいじょうぶだいじょうぶ」と、何がどういう風に大丈夫なのかよく分からないけど、客のようで客ではないオレに旗を振りながら、北谷のアメリカンビレッジを説明してくれた。
「では、ここからは自由時間です」
と言われて、不自由に解き放たれたが、しばらくしたら「じゃあ、沖縄っぽいもん食べようよ」と言って、かおりちゃんも自由時間になってた。

そんなタイミングにヒガちゃんも合流して、沖縄メシを2人にご馳走になった。仕事ではないヒガちゃんは酔っ払い、そのままバスに乗った。忍び込んでるわけでもなく、もちろん紛れてるわけでもない。堂々と押し入ってる。そして、那覇に戻ってきたら、スグに

「よし、飲みに行こう〜」

と、ヒガちゃんに連れられて行き、しばらくして仕事を終えたかおりちゃんが合流して2時まで飲んで、いつものリビングと名付けたパレットくもじに戻ると、てっちゃんが一人寂しく膝を抱えて寝てた。

これから奏でながら北に向かって進むてっちゃんよりも、圧倒的にかおりちゃんとヒガちゃんの方がパワフルだ。

たぶん、あの時のツアー代、かおりちゃんが出してくれてたのだと思います。社割りみたいなので連れて行ってくれたんじゃないかなと。
どう考えても、紛れてなかったですから。

かおりちゃんとヒガちゃんは、あの時の『アメリカンビレッジひとりだけツアー』の後も1度(だったと思います)来てくれて、バイトを探してくれたりしてました。結局見つからなくて、申し訳なさそうに報告してくれたのですが、賑やかで楽しい2人でした・・・顔、覚えてないけど。


『大城さん』

2000年8月12日(土)
「福島さん、覚えてます?大城です」
「もちろん覚えてますよ!」
「飛びに行きません?」
「今からですか・・・いきましょう」

4日ほど前に『話し相手』に来てくれた大城さんは、奥さんと1歳の息子がいる。昔はバイクにまたがって日本全国を旅するバイクメ~ンだったのだが、今はパラグライダーが趣味で時間が出来ると飛びに行く。
ちなみに奥さんの趣味はダイビングで、2人が同時にそれぞれの趣味を楽しんだりすると、ものすごく上と下に距離のある夫婦だ。

そんな大城さんが『話し相手』に来てくれた時に「空を飛ぶのって気持ちいいんですよ」と言ったので「そうでしょうね」と答えた。そりゃ流れ的には「そうでしょうね」って答えるでしょ?
空を飛んでる大城さんの気持ちになって「気持ちいいんでしょうね」つまり「そうでしょうね」となるワケで、決して自分の気持ちになって「飛んだら気持ちいいだろうな。うらやましいなぁ〜」で「そうでしょうね」ではないのだ。
つまり「オレも飛んでみたい」というニュアンスはゼロだった。そもそも高所恐怖症やねんから、飛びたいと思うわけがない。

という事を心で思いながら、気づいたら山の頂上近くの離陸場に着いてた。
とても整備されてキレイだ。そして坂になってる・・・その先は崖みたいになってる。
あえて見に行かない。だから、崖になってる。ではなく、崖みたいになってる。なのだ。あんなん見に行って『いい事』はひとつもない。

沖縄の人2のコピー

大城さんに抱えられて、あそこから飛ぶのか・・・

お仲間が、何人かいて、それぞれカラフルなパラグライダーを持って集まってきてる。みんな、いい風が吹くのを待ってた。待ってたけど、結果

無風

無風では、パラグライダーは飛べないらしい。そんなワケで、非常に残念だが「今日はダメだねぇ」と、お仲間たちがパラグライダーを片付けて帰っていく。大城さんが「残念ですね」と言ったので「そうでしょうね」が正解やけど、そこは「そうですね」と言うことにした。

離陸場を去る時に、大城さんは「福島さんにも体験してもらいたかったなぁ〜」というので「そうですね」と「そうでしょうね」のどっちにも聞こえるように、ちょっとテンション高めに「そうっしゅね〜」と言った。

メインイベントが飛べなかった事もあって「海行きましょ、海!」と、大城さんは、海の中に舞台があるというので有名な『浜辺の茶屋』に連れて行ってくれた。
喫茶店なのだが、窓から海が見えて、その海の上に舞台があって、潮の満ち引きで舞台の様子が変わっていくという素敵な屋外に設営された舞台が見れるという・・・

なかった。

「へぇ、ここですか!ん?」
「あれ?オカシイな・・・」
「大城さん?」
「なんでだぁ・・・」

残念だが・・・しばらく舞台の予定がないというので、屋外に設営されてるはずの舞台がバラされてた。
大城さん、そんなガッカリせんといてください。いやいや、パラグライダーの離陸場も、この喫茶店の雰囲気も、すごい良かったし、なんかノンビリした時間を過ごせましたよ!1歳の息子さんも、可愛かったし!!また今度、パラグライダーしにいきましょ!!!

なんか、オレ飛べる気がしてきた・・・いや、無理かな、やっぱり。

実は、この連載を書いてる夜中に、ふと「息子さんは、もう20歳越えてるのかぁ」と、何気なしにフルネームでネットで検索してみた。
2016年の画像が出てきて沖縄の高校生で野球部のキャプテンとして甲子園を目指してるという特集で出てきました。

年齢的にも名前も間違いなく、彼が、あの時の息子さんだと思います。
すごいなぁ、インターネット。


『おばちゃん』

2000年7月24日(月)
「おにいちゃん、ちょっと一緒にご飯食べてくれない?」
「あ、え?ごはんっすか?」
「私出すから」
「それは・・・願ったり叶ったりです!」

お昼に声をかけられた。しかも『話し相手』のテーブルや看板を出してるわけでもなく、フリースペースで休んでたら、女性にナンパされた。
たぶん、60歳は越えてると思われる。
お昼なので、飲みに行くというわけでもなく、お昼を一緒に食べた。

「私ね、一人でご飯食べるのキライなのよ」
「そうっすね、ご飯は大勢で食べたほうが美味いですよね」
「2人ぐらいがちょうどいいのよ」
「そうっすね・・・」
「楽しかったわ。ありがとうね」
「いえいえ、こちらこそ、ごちそうさ・・・」
「また、明日ね」
「までした・・・」

ん?いま、「また明日ね」って言うた?

残念ながら次の日は現れなかったが、おばちゃんが、誰かと楽しくご飯してるとええなぁ。



『春木くんと大坂くん』

2000年7月25日(火)
「それ・・・牛乳パック?」
「はい」

これまで『話し相手』に、牛乳パックを片手にやって来たのは春木くんだけだ。友だちの大坂くんは失恋したてホヤホヤの傷心旅行で、そんな2人組は神戸から来た大学生だった。
大学では、自分たちで部活を作って活動してたらしい。その部活が

「え、家具部?」
「ええ、家具部です」
「家具、作るの?」
「はい、作ります、家具」
「そらそうか・・・家具部やもんな」

将来、建築家を目指してる春木くんは、牛乳を飲みながら熱く語ってくれた。その横で大坂くんは、ニコニコ聞いてた。

「海って、魚がいて珊瑚があって、やっと海じゃないですか」
「おぉ・・・」
「建築物って、海みたいなもんなんですよ」
「おぉ・・・お?」
「建てた空間にテーブルがあったり椅子があったり人が住んで、やっと建築物なんですよ。デザインした時とか建物が出来たばっかりの時は、まだ建築物ではないんです。」
「そう・・・なんや・・・建築物やと思ってたわ」
「まだ、ただの外枠でしかないんです」
「ん?それで、まず家具から・・・って事?」
「そうなんです」

深い・・・気がする。大坂くんはニコニコ笑ってた。
嵐のような雨が降ってきて、結局、家具と失恋ホヤホヤと牛乳という、とっ散らかってゴールの見えない話をしながら朝を迎えた。
2人はそのまま飛行機で神戸に帰っていった。


『アツシくんとカノウくんとアキコちゃん』

2000年8月3日(木)
「石垣島に行ってきます」
「おう!帰ってきたら、また寄ってな」
「いいですか?」
「もちろん!お土産アリでな」
「はい」

1週間前に『話し相手』になって、石垣島へ向かったアツシくんが戻ってきて寄ってくれた。しかも石垣島で知り合った友だちを2人連れて来た。
オレがお願いしたお土産とは、イメージが違うねんけど・・・

カノウくんは10ヶ月かけてヨーロッパ〜アジアを回ってきて、まだ旅の途中らしい。で、アキコちゃんは、3週間の休みを取って「海に会いに来たんです」と言ってた。素敵やん、海に会いに来たって、めっちゃステキやん。

結局3人ともホテルを決めてるわけでもなく夜中になってしまったので、オレが長期滞在してる宿に招待した。

「ここのリビング、自由に使ってええで。あとトイレと洗面所はちょっと離れてて、風呂は、もう終わってるわ。ドアはオートロックでも鍵があるワケでもなく、ない。ドアがない。非常にオープンな場所やねん。ずっと開けっ放し。ずっと開いてる。あと門限はないねんけど、モーニングの限界はあるねん。朝6時前に起きないとアカンというルールがあるから、ほな、おやすみ」

さすが旅で知り合った3人だ。なんか喜んで寝てた。ダンボールをビニールシートの下に隠す作戦を教えて、それぞれがダンボールを調達しに行ったりして、楽しそうな時間を過ごしてた。

朝6時前。
もう、体が、ちゃんと6時前に起きる体になってる。ふと横を見たら3人は、すでに起きてタバコを吸ってた。3人とも起きてたと言うより

「全然寝られませんでした。床が硬くて、風も強くて・・・」

そうやで、みんな、そういうのを経て大人になる、いや、ホームレスになるんやで。

沖縄の人3

ん?ここ最近、グッスリ眠れてるオレの方がヤバイのか?

6時前になって、3人は別々に『行きたい場所』へと向かった。オレは、また公園に行って8時には県庁に行こうかと思う。ココ最近、そんなルーティーンがヤバイなぁ、と思う。

那覇の国際通りから離れようと思う前のいくつかの日記です。
沖縄にたどり着いたものの、このツアーをどう終わらせるかを考えてた頃だったので、なんか書いてた日記の内容も上がり下がりしてました。

よく「遠足は家に着くまでが遠足です」的な事を言いますけど、ないんですよ、帰る家が。ゴールに設定できる場所がなかったんです。

なので【話し相手JAPAN TOUR2000】のゴールは沖縄を出た時というのが、自分の中での収まりが良かったのかなと思うんです。

実際は、沖縄から船で神戸に着き、そこから大阪まで歩いて、大阪で、知り合いのおばちゃんが、3輪のチャリンコをパクられた後に新しいのを買ったら、古いのが出てきた為に使わなくなった3輪のママチャリをくれたので、それに乗って東京まで戻った日記も面白かったのですが・・・

それは、また『おまけ』として書こうと思ってます。
ひとまず次回『沖縄脱出』が、最終回になると思い・・・いや、あと2回ぐらいになるかな?

次回は
ハタケヤマさんはカメラマン。
アヤシイ占いのお店『茶クラ3』の電気工事
そして、沖縄発神戸行のフェリー出発・・・までいけるかどうかです。

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