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#9 『はじめての家庭訪問』(京都)

話し相手JAPAN TOURとは


『ポリスメ〜ン!』

「どこまで行くんや?ワシか?ワシは、真っ直ぐ行くで」

彦根から五箇荘(ごかしょう)に向かって8号線を歩いてたら雨が降ってきた。雨宿りする場所もない道だったので『大津までの話し相手に、どう?』という紙を掲げてみたら、最初に止まってくれた車がポリスカーだった。

ひとりでパトロール中だったのか、助手席には誰も座ってなくて、助手席側の窓が開いて、声をかけてくれた。

ポリ「なんや、どこまで行くんや?」
オレ「大津まで行きたいんですけど(書いてるけどな。と思いながら)」
ポリ「大津か、大津は遠いなぁ・・・」

たしかに、ここから大津までは40キロ以上ある。ただ、その「遠いなぁ」というのは、管轄外という意味で、そこまでは無理やなぁというニュアンスを即座に感じ取った。

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このお巡りさん、落とせる!

オレ「お巡りさんは、どこまで行きますの?」
ポリ「ワシか?ワシは、テキトーや」
オレ「テキトーって!!」
ポリ「冗談やがな」
オレ「目標は大津ですけど、とりあえず雨宿りとか出来たら・・・」
ポリ「まぁ、大津までは行かんけど、まっすぐ行くで」
オレ「え〜〜〜〜、ホンマっすか!」

なんて素敵なポリスマンや!なんて素敵な出会いなんや!と、大喜びだ。

ポリ「ほな、まぁ・・・がんばりや」
オレ「ん?いま、なんて?」

ウィ〜ン(窓が閉まる音)ブォ〜ン(車が立ち去る音)

オレ「いやいや、うそ〜ん!」

会話の流れがオカシないか?オカシイ、うん、オカシイやろ、ポリスマン!
「どこまでいくの?」
「まっすぐいくで」
「ほな、まぁ」

と来たら

「乗りぃや、雨も降っとるし」

これ、正解やん!これが、オトナの対応やん。いや、止まらんかったら、それはそれで別にええねんで、パトロール中なんやろうし。

止まったやん。で、窓開けてまで話しかけてきたやん。で、「ほな、まぁ」ってなったら、それは期待するやん。それが、窓閉めながら「ほな、まぁ、がんばりや」って!

しかも、最後の「りや」なんか聞こえてないからな!正確に書いたら「がんば(りや)」やからな。「りや」は、窓閉まってもうて聞こえてないからな。

まぁ、窓が閉じていくの見ながら、ちょっと笑ったけどな。

大津までの話し相手。というにはほど遠いただの立ち話っていうか、ちょっと軽めの職質やったんちゃうの!

池尻大橋に『CRAPS』というダーツバーがありまして、いや、元々はダーツじゃなくてカジノバーみたいな、もちろん賭博じゃないやつです。お店のオーナーが試行錯誤しながら、最終的には、ダーツが流行る何年も前にダーツバーになって、ラーメンも食べられたり、まぁ、いろいろ彷徨ってました。

そんなCRAPSのオーナーには、ずっとお世話になっていて、でもまぁ、時折ムチャブリもされたりして、今は、西葛西でオイスターバーをやってるとかやってないとか。

オーナーの名はヨコタさん。同い年、または年上からは「ヨコチン」と呼ばれてたとか呼ばれてなかったとか。

ポリスメンに軽くあしらわれた日、草津まで歩いて、近鉄デパートの5階の階段で雨宿りしてたら、そのヨコチンさんから電話があった。たまたま、友人の結婚式で近くにいるという奇跡。

うなぎをごちそうになり、もうお腹いっぱいだと言っても「次行こう」となり、もうオレは寝たいんだと訴えても「じゃぁ、もう1軒だけ」と言って2軒行って、新幹線の最終で帰っていった。

オレは、駅前で、朝まで倒れた。

そんなヨコチンさんが、「京都に行ったら、渡辺くんっていう知り合いがいるから、メシぐらい食わしてくれると思うよ」という言葉だけは、忘れないようにして眠りにつきました。


『渡辺さんち』

「いや〜、お風呂の後のビールっていうのは生き返りますよね。死んでた訳ではないんですけどね。いえいえ、もう、ホントおかまいなく」

草津での腹いっぱい&寝させてくれない地獄は、天国に繋がってる『蜘蛛の糸』が垂れていた。ヨコチンさんの糸に感謝した。

「うわうわうわ、きんぴらにホウレン草のおしたしじゃないっすか!あれッ?おひたしでしたっけ?どっちでもいいんですけどね。」

「これは、明らかに肉ジャガですね!思い出すなぁ〜実家のジャガ肉。ほぼジャガなんですよ。肉なんかコレッぽっちしか入ってなくて、しかも豚肉で。肉ジャガって、牛ですよね?いやぁ、コレですコレです。真の肉ジャガに出会えました。」

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「これは・・・やっぱり!サバの西京焼きですね。なんか京都に来たって実感しますわ。ごはんがツヤツヤ光ってますよ。み、み、みそ汁なんていつ以来やろ?」

「えッ?この布団で寝ていいんですか?シーツ真っ白ですやん。折り目もキレイに付いてて、旅館のシーツですやん。ハイターですか?この白さは、ワイドハイターでしょ?うわ〜、カラダが沈み込みました。あったかぁ〜、このまま死ぬかも。」

ホントに死んだように寝た。この日に初めて会って、3時頃にインターホンをピンポンしたので、ティータイムというか、お茶だけごちそうになるつもりが、すっかり夕食をいただいて、家庭の温かさをごちそうになった。

目覚めは、窓から差し込む朝の光に、ミソスープの香り。「はい、はい、あと5分寝かして・・・」と、言いたくなるようなあったかい布団の中だった。

「ホントにありがとうございました。この御恩、少なくとも3年は忘れません」

そう言って家を出ようとした時

「昼にカレー作りますから、食べてから行きます?」
「そ、そ、そんな、ナニを言って・・・そぉですか?すみませんね」

断ったら失礼だとか、そんな意識ではない。ただただ、断ったらアカン!というセンサーが働いた。
平日だったけど渡辺さんは仕事が休みで、奥さんの節っちゃんは仕事に出かけた。渡辺さんが洗濯やら、洗い物やら、片付けやらをスピーディーに片付けていき、共働きのあるべき姿がここにあった。

オレは、とりあえずコーヒーを頂いて、ちょっとしてからチョコを頂いて、なんやかんや頂いて、典型的なダメ居候のあるべき姿がここにあった。

朝の家事が終わった渡辺さんが、カレーの仕込みを始めながら

「カレー好きですか?」
「はい、めちゃめちゃカレーは好きですね。」
「よかったです。」
「次の日のカレーが格別ですよね。」
「そうですね。」
「あ、いや、もう1日泊めてくれって事じゃないですからね」
「アハハハハハハ、ですよね」
「アハハハハハハ、アハ、ハハ、ハ?」

渡辺さんは東京出身で、中学の時は野球部だったらしい。あまり口数の多い人ではなかった。まぁ、オレが、だいぶ口数の多い人間だった。

「中学の時は野球部でね、よく江戸川の河川敷に練習に行ってたんですけどね、なんでかなぁ、ゴルフクラブを一本持って行ってて、野球の練習の合間にゴルフの練習もしてたんですよね、ん〜なんでだったかなぁ〜」

何がキッカケでそんな話になったかも覚えてないが、オレは、高校の部活での、些細なことを思い出した。

「高校の時、バレー部やったんですけど、米田さんって先輩がいてましてね、色の白い先輩で、おまけにメガネかけてて、なんかバレーはうまくなかったんで、補欠やったんですよ。」

「小学生の頃、ポテトチップスに付いてたベースボールカードってあったじゃないですか、米田先輩は相撲カードを集めてたんですよ。相撲カードっていうもんの存在自体知らんかったんですけどね。さすがに相撲カード集めてただけの事はあって、関取の名前言うたら『〜県出身、〜部屋』って館内放送みたいなんをやってくれるんです。ただ、それがあってんのか間違ってんのかは、誰にも分からんかったんですけどね。」

「米田先輩はバレー部の練習の合間に『よっしゃ、一番いこか』ってコートに土俵を描くんですよ。色白で背は165㎝そこそこで、メガネはずしたら、弱そうなん通り越えてカワイソウに見えるんですけどね、強かったなぁ、負けたん見た事ないもんなぁ、180㎝以上の大男バッタバッタ投げ倒すんですよ。」

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「マワシっていうか、短パンの腰のとこ掴んだら離さないんですよ。すごいなぁ〜って思ってました。あッ、憧れはせぇへんかったですけど、だって相撲ですもん、米田先輩が強かったん」

口数の少ない渡辺さんは、笑って聞いてくれてた。

結局、節っちゃんが帰ってくるのを待って、カレーは2杯おかわりして、渡辺さん夫妻の家を出た。2人は道路に出てオレが見えなくなるまで見送ってくれた。
次の日のカレーは格別やったかなぁ?

あの頃の日記帳には、大津駅から、ちょっとした山を越えて、京都の山科に住む渡辺さんの家を訪ねたんですが、どの辺やったかな・・・と、大津駅から山科に向かってグーグルマップのストリートビューで見てたら「あ・・・ここや。」って記憶が鮮明に蘇りました。

すごいですね、ストリートビュー。

そんな渡辺さん夫妻が、記念すべき『話し相手JAPAN TOUR』で、最初に泊めてもらった家庭訪問でした。まぁ、渡辺さん夫妻にとって記念すべだったかどうかは分かりませんが。

次回は、いよいよ大阪入り。

大阪は・・・熱かった!!



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