人はなぜ勉強するのか

人はなぜ勉強するのだろうか。それは自分のためである。とか言うような五万と言われてきたことを再確認したい訳では無い。自分なりに考えてみよう。なぜ人は勉強するのか。

僕は今テストで少しでも良い点を取るために勉強しているが、やる気が出ない。やる気が出ない原因は、こんな事をして将来何の役に立つのだろうという気持ちが心の中にずっとあるからだ。微分・積分なんて将来絶対使わないし、イディオムも日常英会話で使える最低限のものだけ学べればいい。将来化学者になる訳でもないのに化学について学び、何故か21世紀を生きる人間から10数世紀も前の日本について教えられている。(日本史は楽しいから特別に良しとしてあげよう)。こんな事をして一体なんの意味があるのだろうか。

結論としてはやはり、自分の為ということになるだろう。進学したければこれらの事を嫌でも学ぶしかない。もし進学するために必要なものが勉強ではなくスプラトゥーンだったとしたら僕はどれだけ幸せだったことだろう。何万人もの受験生たちが勉強道具を捨て、コントローラーを握ってモニターと対峙し、スプラトゥーンをしている。実に滑稽である。しかしそれは勉強においても同じことだと思う。いつからか進学のために必要なものが「勉強」になったから受験生達は勉強しているのであって、仮に勉強が必要無かったとしたら勉強をする受験生などいないだろう。そうなると学校の授業も不要になる。「勉強」が必要不可欠な社会であるからこそテスト期間中にゲームに明け暮れれば周りから白い目で見られ、逆にテストで良い点を取ると褒められる。基準をどこに置くかによって物の味方は180度変わる。(もうこの国においての基準が勉強であるということは覆せない泣)

生きてくために「勉強」が必要だという定義を最初に作ったやつとりあえず出てこい。君が、「生きてくために必要なのは「勉強」ではなく、「スプラトゥーン」である!!」と声高らかに宣言してくれていれば、今の世の中は変わっていたのだ。国会では国民がいかに快適にスプラトゥーンをプレイするかについて話し合われ、裁判所ではスプラトゥーンというイカのゲームにタコのキャラクターが出てくるのは合憲なのかについての裁判が行われ、烏賊内閣では烏賊官房長官が全国民に「烏賊」という新元号を発表していたことだろう。

こんなタイトルから烏賊内閣にまで思いを馳せるとは自分でも想像していませんでしたが、結局何が言いたかったかと言うと、頑張って勉強しろよ、俺。ということです。稚拙な文章を読んでくださりありがとうございました

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