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#家族の物語 記事まとめ

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お題企画「#家族の物語」に投稿された記事をまとめる公式マガジンです。
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記事一覧

波よせる場所

海へ向かう道を車で走らせる。窓を開ける。7月終わりの晴れた午後。乾いた風が髪を揺らす。フィアット500というこの車は可愛らしい姿だけど気持ちよい走りをする。 パパに買ってもらった。お父さんではないパパに。 街から郊外、田園地帯を抜ける。助手席には叔母さんの為に選んだシングルモルトとウイスキーグラスの包み、そして紅花を中心とした花束が座る。海に近付くと潮の香りが強くなる。叔母さんに会うのは五年振りぐらいだ。 裕子さん。 海岸に近い林の中にお父さんの姉である裕子さんの家がある。

ずっと、父親に「ごめん」を言えなかった。

ようやく伝えられたのは、 後悔する前に言おうと決めたから。 いつか言えなくなる日が来たとき、 悲しみに押しつぶされたくないから。 10年以上経ってようやく言えた、 「ごめん」の一言は重かった。 2006年、自分が高校2年生のとき、 46歳の母が子宮体がんを患い、亡くなった。 その出来事がきっかけで、自分は将来の夢が 定まったが、家族と心が離れてしまった。 悲しみに押しつぶされながらも、 迫りくる受験と闘う日々を過ごしていく中で、 当時52歳の父親に変化があった。 まだ

ゲームでつながる姉と弟〜コミュニケーションツールとしての活用。

💠起立性調整障害で寝たきりの娘が、起き上がって最初にしたこととは?起き上がれるなら、ゲームでもなんでもいいから、何か好きなことやってみたら? と言ったら、 ホントに朝からゲームを始めました。 えっ、と一瞬思ったよ。 でも、何日も朝から晩まで横になって、正気のない目で天井を見上げ、スマホの画面を見続ける。頷くだけでの会話。生きてるのも否定するかのような。 そんな時期に比べたら、生きて、起き上がって、とりあえず何かをしているだけで十分でした。 💠オンラインゲームにハ

結婚しなくてもファミリーを持つということ。 イギリス、家族の物語

 「結婚をせずにファミリーを持つことは、イギリスでは当たり前なんだよ」と、エマはこともなげに言った。  イングランド中西部のエマの家に行くために、駅まで迎えに来てもらった車の中だった。へえ〜、いまだに夫婦別姓とか同性婚が問題になっている日本とは、別の時代の話みたいだなあと私はぼんやり思っていた。  実際、婚外子(※)の割合はイギリスで48.2%なのに対し、日本では2.3%とかなり低い。(2018年、OECD family database)これは日本の「結婚してから子ども

”そのうち会いに行く” が嘘に変わる前に

学生時代、大学の近くで一人暮らしをしていた。 それは母方の祖母の家まで電車で一時間くらいのところで、会いに行こうと思えば会いに行ける距離だった。 実家からは高速を飛ばして3時間近くかかかる場所だったが、子供の頃は家族で毎年数回訪れていたし、特に夏休みは祖母の家にしばらく滞在したりしていた。 学業が忙しくなり、さらに思春期に入ってからは徐々に足が遠のいて、 両親が祖母の家に行く時でも毎回はついて行かなくなった。 祖父は亡くなっていたので、祖母は一人暮らしだったが、詩吟の教室

子育てと自己肯定感

こんにちは、モンブランひとみです。 ここ数年、「自己肯定感」という言葉をよく見聞きするようになりました。 大学病院の精神科で看護師をしていた頃も、自己肯定感について考えさせられることがたくさんありました。 今は子育てにおいても大きなテーマだと感じています。 我が子を「自己肯定感の高い子に育てたい」と思う方は多いのではないでしょうか。私もそう思いながら子育てをしています。 我が子に幸せな人生を歩んで欲しい。 それは全ての親に共通する願いです。 子供たちの未来を考えながら

親に「借り」なんてなかった

親に、まだ「借り」が返せていないと思っていた。 母は専業主婦で、私たちが起きる前に起きて、朝食の用意、弁当作り、掃除、洗濯、畑仕事を一人で全部こなしていた。 父はサラリーマン。旅行やゴルフのような大きな趣味もなく、酒もたばこも適量、たまにデパートで洋服を買うくらい。 母の趣味は洋裁で、私や妹の洋服をよく作って着せてくれた。 その一方で、私や妹のことには、お金も時間も惜しみなく使ってくれた。 本や参考書は欲しいと思えばどんどん買い与えてくれて、洋服やテレビゲーム、当時まだ流

あーちゃんにもらった人生のミッション

「ごはん出来たで。」 深い海の中、かすかに届くあーちゃんの声。頭の中でその言葉を何度か反復してみるけれど、また深い海に溺れてしまう。 「起きや!ごはん出来たで。」 今度は急に耳元で大きな声がして、パッと目を覚ます。ぼやけた視界に映り込んだあーちゃんがもう一度言う。「ごはん、出来たで。」 学校から帰ってくると、緊張がとき解れるのか、決まって睡魔に襲われた私は、夜ごはんまで少しだけと言って、いつもリビングのソファでお昼寝(夕寝と言うのだろうか)をしていた。 眠りに落ちるまで

長く長い

初めて会った日から夫は私を肯定した。 付き合うようになってから、自分では可愛げがないと思い、両親からは決して褒められる事のなかった性格を寧ろそこが良いところだと言った。それは今でも。 ビビビなどという結婚の直感は感じなかったが、ここは自分の居場所なのだと心地良い温かさを感じさせてくれた。何より夫と居ると気持ちがとても楽だった。 それはきっと夫が優しい人だから。 そもそもの性格が優しいのだろうけれど、人の良い優しさではない。何事にもあまり動じず、物事を多方面から見て柔軟に対応

ちいさな位牌で彼女は祀る

家族同士でさえも、知らないエピソードってたくさんある。 昨日、祖母の恵美子から誕生日祝いの電話が来た。ふたりでしばらく話をした。 すると、いままで聞いたことがなかった僕の知らないエピソードを、恵美子が話し出した。恵美子の両親の位牌の話だ。 恵美子の母フクヨについて書いたことがある。 フクヨの姉は、結婚して十年で亡くなった。フクヨは、姉の夫の元に嫁いだ。そして3人の娘を産む。3人目を産んで数年後、フクヨも病で亡くなってしまう。その3人目の娘が、僕の祖母だ。 祖母恵美子

初めての子育て、くだらない理由でたくさん病院にお世話になった話

長男アキラが生まれてから「男の子は病気になりやすいし、ケガも多いわよ〜」ってよく脅かされました。小さい頃はそんなに病気はなかったけど、ケガは確かに多かったですねー。あと、くだらない理由で病院によくお世話になってました。 年末年始に義実家に帰省した時には、2回も救急外来のお世話になったことがあるんですが、なんでわざわざ義実家で! しかも、なんでわざわざ病院開いてない年末年始に!って感じ。 その1.BB弾騒動鼻の穴にBB弾を入れて遊んでいたらとれなくなってしまったのです! こ

"LUMIX S5"で残す家族の物語 vol.2

こんにちは。 趣味のカメラで大切な家族を撮影しTwitterやInstagramなどに投稿させていただいているMasayaと申します。 前回のVol.1に続き、今回もPanasonicさんからお借りしている"LUMIX S5"(以下S5)というミラーレス一眼で撮影した家族の物語を、カメラのレビューと共にお届けしたいと思います。※一部トリミングやレタッチを行っております。 それではご覧下さい。 シャボン玉遊び夕暮れ時に、息子の大好きなシャボン玉で遊んだ時の写真です。 実はシ

【短編小説】ミロンガ•アン•レ①

踊り手の妖しい笑みが胸をつかむ。濃い色で縁どられた切れ長の目が私を捕らえる。 そして、私のなかからなにかが掴まれ、掴まれたものがずるずると引っ張り出されて、いともたやすくぽんと遠くに放り投げられた。 彼女の激しく踏み鳴らすステップが、ホールの静寂を埋めつくす。 踵が床に打ち付けられるリズミカルなサウンドに誘われるようにして、なにかが取り出され、なにもないはずの胸の隙間が騒ぎだした。 この私のなかでのあまりの騒々しさに耐えきれず、ウッ、と漏れ出た声を隣に座った妻が聞きつけ、

死んだ母が記した日誌が30年ぶりに出てきた話。

僕を妊娠した頃から書かれた日誌が、 死後13年経ってから出てきた。 そんなものが存在していたなんて 全く知らなかった。 30年前の記録が、今の仕事を結ぶ…… 2006年8月8日に 当時46歳の母が子宮体癌で他界。 その頃、自分は高校2年生。 妹もいて、当時小学校5年生。 二人の子供と父を残し、この世を去りました。 詳しくはこちらに書いてあるのでご参照を。 2019年夏。 母が亡くなってから13年目の命日のこと。 同じお墓に母方の祖父母もいる関係で、 月命日ではなく、