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面白いことから、(心地よい)感覚を見つける

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、たくさんの人が外出を控えている。

僕はもともとインドアに好みが多いので、ずっと家にいても感じるストレスは少ない方だろうなと思っている。

家にいると人と会う機会や面白いものに出会うことも少なくなりやすい。
それでも楽しんだりとバランスを取れているコツみたいな自分なりのものの見方があった気がしたので、考えてみた。

面白いものと、それを見る人

面白いものってあるけど、何を面白いと思うのか人それぞれのように、同じものを面白がっていてもどう面白がっているかは人それぞれ。

のめり込んでいるときは割と当たり前のようにわかるけど、日常の中だったり退屈してたりするときは、新しいものを探しがちになる。

新しいものを楽しんでいるときは、すでに自分の中にあるなにかと重ねて楽しんでることが多くて、それに気がつくための方法を自分なりに構築してきた。これが自分なりのインドアで何かを楽しむやり方になってたみたい。

目の知っている面白がり方を見つける

名称未設定のアートワーク 12

映画とか絵とか見てると、自分が無自覚に目を向けているところがある。
なんとなく目を向けてるものの中から自分にとっての心地よさを見つけて、何を面白がっているかを知る。

そのために無自覚に目がいくものを見つけようしてきた。でも難しくて、目が自然に動いているのか、意識的に動かしてるのかすぐわからなくなった。
何かを見ようとすると意識が働いてしまうので、見ようとするんじゃなくて見えるに任せることにした。
見えるに任せるとは、視界の端から端までが意識に入るようにして、特定の細部はあまり見ない。聞くつもりがなくてもいろんな音が聞こえている耳のように、目を使おうとしてみる。

似たような感覚になれる見方として、視界に入るもので一番小さく動いているものを見つけようとしてみたりする。
たとえば風が吹いて木が揺れる。よく見てみると、枝の先の細くなっているところが大きく揺れていて、太い枝はもっとゆったりしたリズムで揺れているのが見える。この揺れはどれくらい太い枝(幹)まで見えるだろう、と探してみる。
こうやるより目の解像度を上がっていく(気がする)。

「見る」から「見える」にモードを切り替えたときに目が反射的に向いている方向や気になり続けるところに、自分の感性につながっているものがあることがおおい。
目の向いたところをもっと細かく見てみたり、自分がどんなものに目が向きがちかがわかってくると、自分にとっての特別がよりわかってくる。

慣れてくると普段から、なんか目が気になってるものに気がつけるようになる。
目が気になったものがあったら10秒でも1秒でも立ち止まってみると、感性が深まっていく。
似たようなことを他の感覚や思考でもやってみたりする。
非言語と言語を行き来するような遊び。

そんなやり方が好きだから、意外とインドアでも僕は楽しんでいられやすいんだろうなと思った。


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