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今日のまーし #15 表

ボク達の生活には毎朝「掃除当番」というものがある。
朝イチに「掃除当番表」をチェックして、朝の掃除にとりかかるのだ。
毎月この「掃除当番表」を作ってくれている後輩くんがいるのだ。
ある時までボクが作っていたけれど、役割の関係で後輩くんに譲った。
誰でも作れるようなそのデータは、ある時ボクがとりあえず作ったもので、今もそのデータは使い続けられている。


とりあえず作ってみたその表は、「とりあえず」だけあって見づらい。
はっきり言って不親切だ。
過去のボクにダメだしをしなくてはならない。反省はしていないようだ。
「こうした方がいいんじゃない?」と誰もが思い浮かびそうなアイデアを、後輩くんに提案しなければならない。



何かを人に頼むのは大変なことだ。気を遣ってしまう。
言ってしまうこと自体は簡単なのかもしれないけど、それに至るまでの「言おうかな」「言わんとこかな」と葛藤してしまうことに余計なエネルギーを使ってしまうのだ。
「後輩なんやから、はっきり言うたらええやん」と叱られそうになるけど、「めんどくさがらせたら嫌やなあー」とかいう迷いが頭を巡って、考えなくてもいい「切り出すときのセリフ」なんかを組み立ててしまう。
上には上への気の遣い方があるし、下に下への気の遣い方があると思う。
「ホンマごめんな~」というクッションの様な言葉を前置きにアドバイスをした。



まあ、そんな上下関係はともかくして、この「わかりやすさ」というのはとても大事なことらしい。
「ボクがとりあえず作ってみた表」は、思いの外いろんな人に迷惑をかけていたようだ。
たまに勘違いを起こしてしまう。
「わかりにくい」とは、内容があっても伝わっていないのだ。まったく損している。
例えば、いくらおいしい料理屋さんでも、みんなに認識してもらわなければ意味がない。
「自分の知らせたいこと」を、見る側、聞く側の相手に伝えるのだが、この「相手の立場」になって考えないと伝わらないらしい。
相手の心を考えながら、自分の言いたいことを言う。
慣れるまで時間がかかりそうだ。



「「人の為」なんか偽善だ」なんて言う人がいるけど、人と話するだけで無意識に「人の為」を考えちゃってる。
実はみんな人のことを思っているんだね。




今日も読んで下さってありがとうございます。
「わかりやすい表現」も大事だけど、受け手になった自分は最大限「分かろうとする努力」をしていたいものだな。
いつも作ってくれる後輩くんに感謝だ。

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