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大都市名古屋の廃墟 松風寮

※本記事中の画像は2019年11月及び2020年5月、12月に撮影したものです。
愛知県名古屋市。日本で生活している人でこの都市の名前を知らない人はいないだろう。名古屋市は人口約230万人の都市で、中部地方最大の都市である。
皆さんは「名古屋市」というと何を思い浮かべるだろうか?私は名古屋の大都市圏の人間なので、名古屋駅近辺のビル群が思い浮かぶ。恐らく「名古屋=都会」というイメージの人も多いのではないだろうか?(名古屋を示す言葉として「大きな田舎」と言われることもあるが、この用語について説明すると日が暮れてしまうので今回は割愛する。横浜や大阪と比較すれば、都市圏の規模は小規模なのが名古屋であるがそれでも「大都市」であることには変わらない・・・はずである)。
さて、「大都市」名古屋であるがこの町は「大都市」以外の顔も持ち合わせている。
名古屋市守山区、そこには名古屋市とは思えないような光景が広がっている。

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2019年11月撮影
こちらは守山区内で撮影したものである。左も右も森林になっている。この近辺は非常に自然豊かで正直ここが「名古屋市内」と言われても信じられない。(守山区はこのような場所なのでよく「守山区は名古屋じゃない」と馬鹿にされている。)
この場所から程近い場所にその廃墟はある。

1.植物に侵略されゆく廃墟へ

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2020年5月撮影
池の畔にその廃墟は建っている。黄色い屋根が遠くからでもよく見えて、目立つ。この写真ではそんなに廃墟化は進行していないように見えるかもしれない。もう少し、建物に近づいてみよう。

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2019年11月撮影
近づけばこの通り。建物には植物が絡まり、窓ガラスには大穴が空いている。

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2020年5月撮影
反対側から撮影。この廃墟は2つの棟から成立している。
一体、この建物はなんの廃墟なのだろうか?何の知識もない人が見ればアパートに見えるかもしれない。幸いこの廃墟が何の廃墟なのかはインターネット上に情報が載せられていた。
それらの情報によれば、この建物は「不動建設」の社員寮「松風寮」であったとのことである。

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2019年11月撮影
松風寮入り口付近。銘板があったと思われる痕跡があったが肝心の銘板はどこにも見当たらなかった。現場にはこの建物が「松風寮」という名前であったことを示す証拠は何も残されていなかった。(今から10年以上前の2009年に公開されたこちらのブログには今は無き、銘板が写されている。このブログの写真からこの建物の名前が「松風寮」であったことは間違いなさそうだ。)

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2019年11月撮影
舗装路の上には落ち葉が堆積していた。ここの奥に寮の玄関があるそうだ。(写真撮影時は侵入防止策などはされていなかった。しかし、敷地の奥に入るとなると、不審者と見做されることを覚悟しなければならない。私は覚悟が足りなかったので敷地奥に立ち入ることは遠慮した。)
現場は不法投棄された物でいっぱいであった。愛知県民にはよく知られているローカルスーパーである「ピアゴ」のカゴがなぜか放置されていた。

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2020年5月撮影
以前の訪問時と違い、鎖で入口が閉鎖されていた。気のせいかもしれないが舗装路が清掃され、きれいになっているように見える。先述のピアゴのかごも無くなっていた。建物は明らかに管理放棄状態だが土地は誰かがきちんと管理しているのかもしれない。

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2019年11月撮影 覗いてみた
割れた窓から中を覗いた。そこは和室になっていた。この和室は一体何に使われていたのだろうか?和室というと日帰り銭湯の休憩室が思い浮かぶのだが・・・・客室だったのだろうか?今となっては不明である。

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2019年11月撮影
棟と棟の間に位置する中庭。不法投棄や植物の繁殖が酷く、長年放置されていたことがうかがえる。こちらも侵入防止柵は設置されておらず、侵入しようと思えば侵入し放題な状態であった。少しわかりにくいが写真奥に写っているのは棟と棟を連結している渡り廊下である。

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2020年12月撮影
先ほどの写真と同じ場所を撮影。2019年11月には無かった虎柵が設置されていた。しかし、侵入者によって破壊されてしまったのか一番右の虎作はグニャリと変形して柵としての役割を早くも放棄してしまっている。ちなみに、2020年5月の訪問時にも柵は既に設置されていたがその時はまだ破壊されていなかった。
建物は完全に朽ち果てて廃墟になっているが土地はきちんと管理されているのかもしれない。

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2020年12月虎柵の隙間から撮影。
不法投棄のゴミに紛れて残留物とみられるファイルが放置されていた。2019年11月の訪問時には見当たらなかった気がするので、侵入者が建物内から持ち出して、ここに放置したのかもしれない。
「松風寮」はいつ頃できて、いつから管理されなくなり廃墟となってしまったのか?次章ではいつ頃廃墟になってしまったのかについて考えていきたい。

2.いつ廃墟になったのか、松風寮の今後

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2020年5月の夕暮れ時に撮影
私は当初手前の棟が旧棟で奥の棟が新棟であると考えていた。だが、その考えはどうやらはずれであったようだ。

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国土地理院WEBサイトより引用(編集・加工は著者による)
国土地理院が提供している航空写真では、1970年代に撮影された写真から松風寮が存在していることが確認できる。その写真では既に現在と同じように2棟の棟、及び渡り廊下の存在が確認できる。したがって、2棟の棟はほぼ同時期に建設された可能性が高いと考えられる。(尚、1960年代の航空写真には松風寮は写っていない。したがって、松風寮は1970年代に建設されたと考えられる。)

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2019年11月撮影
先ほどの画像で、『資材置き場(?)』と記した場所の写真。2019年時点では、植物の帝国が築かれていた。植物に覆われ、地面が見えない様子にディストピアを感じた。

スクリーンショット 2021-01-23 0.51.32

国土地理院WEBサイトより引用(編集・加工は著者による)
上記画像は、1988年から1990年の間に撮影された航空写真だ。1970年代に撮影された航空写真と同様、資材置き場とみられる場所には物が置かれていることが確認できる。したがって、1980年代後半の松風寮はまだ現役で、廃墟では無かったと考えられる。(松風寮は既に管理放棄状態で、資材置き場らしき場所だけを利用していたという可能性もあり得なくはないが恐らくその可能性は低いだろう。)

スクリーンショット 2021-01-23 0.51.32

国土地理院WEBサイトより引用(編集・加工は著者による)
2007年の航空写真ではこれらの人工物が確認できなくなっている。また、下記動画で興味深い情報が提示されている。

こちらは抜刀斎#るろうに廃人さん(以下るろうに廃人さん)が2015年10月9日に投稿した、松風寮内部を探索した動画である。本動画の5分46秒付近で松風寮内部に遺されたカレンダーに触れている。そのカレンダーは2004年のものであった。したがって、松風寮が廃墟化したのは2004年前後である可能性が高いだろう。(2009年には先述のブログで廃墟としての言及があることから2009年時点では廃墟になっていたことは確実である。)
上記の事実から松風寮は1970年代に建設され、2007年ないし遅くとも2009年には廃墟になっていたと考えられる。また、2棟はほぼ同時期に建設された物である。

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2020年5月撮影
2020年5月に観た資材置き場(?)跡。半年前とは明らかに変化が見られた。半年前に地面を覆っていた植物は刈り取られたらしく、植物の帝国は野原に様変わりしていた。やはり土地は誰かが管理しているらしい。

ところで、現在この廃墟が建っている地域では志段味地区土地区画整理事業が進行中である。

スクリーンショット 2021-01-23 0.51.32

国土地理院WEBサイトより引用(編集・加工は著者による)
かなりごちゃごちゃとしていて分かりにくくなってしまったが、黒色の太線が既存の道路である。この記事において載せている松風寮のほとんどがこの道路から撮影した物だ。そして、橙色の斜線は土地区画整理事業の施工範囲を示している。橙色の斜線で示した範囲にたくさんの道路や家が立ち並んでいるが、これらの多くは区画整理事業に伴って、建設された。黄色い太線は区画整理事業の一環で新設される予定の道路である。名古屋市のHPをみると、松風寮が建っている場所も土地区画整理事業の施工範囲内に入っている。新設される道路は松風寮のすぐ側を通過するルートをとるようだ。
土地区画整理事業の期間は令和8年までとなっている。恐らく、土地区画整理事業が完了する頃には松風寮周辺の景色は一変するに違いない。もしかすると、区画整理が完了する前に松風寮は取り壊しになるかもしれない。廃墟の存在は近隣住民にとっては治安の悪化の原因となりうる厄介な物でしかないのだから。多くの人は自分の家の近くやこれから住む町に廃墟があるのは嫌だと感じるだろう。

2.おまけ 

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2020年5月撮影
松風寮を西側から撮影。

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先程の画像に写っていたフェンスから内部を撮影(傍から見れば不審者そのもの・・・)
写真中央やや右寄りに何かが書かれた看板が見える。この看板にかかれた文字を読み取るべく写真をズームすると・・・

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松風寮横にある謎の小屋(?)には「ふどうセーフティ ファイブ」なる看板が遺されていた。この看板の記述から松風寮が不動建設の施設であったことは間違いない。

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松風寮の南側に取り残された小屋。会議室か何かだったのだろうか?今となっては何のために建てられたのかも知る術はない。

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西日に照らされる廊下。もうこの廊下を歩く人の姿はない。


3.更新履歴

2020年7月14日:記事公開
2021年1月23日:大幅修正・加筆

4.引用資料

国土地理院WEBサイト https://maps.gsi.go.jp/#5/36.104611/140.084556/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1(2021年1月23日閲覧)



2016年頃から廃墟に関心を寄せる。2018年、実際に廃墟へと趣き、廃墟訪問にハマる。現在はその廃墟がかつてどのように使われていたのか、いつ頃廃墟になったのかを特定することに力を注ぐ。 地域・店舗限定のエナジードリンクを見つけることにもハマっている。自他共に認めるエナドリ中毒者。