楽な方に行き続けた学生時代のツケ

こんにちは。蜜柑です🍊

需要があるかは置いといて、今回は私の学生時代の話をしてみようかと思います。小学校〜大学、その先の就職まで、どんなだったかなぁと思い出しながら。


小学生時代(中学受験)

私の小学生時代は、とにかくいじめられて孤立していた。
あからさまな避け、靴隠し、ドリルへの落書きなどが、小学3年生から6年生まで続いた。

そのことをずっと両親に話し続けていたので、私がそのまま近くの中学に上がるとどうなるかというのは、目に見えていた。
そして、父の勤務先と私の小学校が遠く、父が忙しくなるとのことで、父の勤務先近くに引っ越すことになった。
そこで、「どうせなら選び抜かれた人達の中で」と、中学受験の話が出たわけである。

流れで中学受験をすることになり、塾にも通いだした。
だが、自分で主体的に決めたことではなく、あまり意欲が湧かなかった。

結果、もちろん不合格。
意欲もあまりなかったので、悔しくはなかった。
挫折といえば挫折だけど、自分的には挫折だと思ってはいない。

両親に申し訳ないと思いつつ、父に「俺の出身中学なら、ある程度真面目な子多いと思うぞ」と言われ、父の出身校である公立中学校に進学することになった。
ここでひとつ、「人任せ」という楽をしてしまった。


中学生時代(高校受験)

父の言われるがままに、公立中学校に入学した私。

確かに女子に真面目な子は多かった。
けれど、私の発達障害特性が出たのか、やっぱり浮いてしまい、いじめの対象になった。
男子に馬鹿にされた印象が強い。

塾でもいじめっ子がいたので、浮き、孤立。
でも、その塾に通っていたお陰で、勉強はとても捗り、数学以外はテストでランク8〜10(最高ランクが10)くらいの好成績を残すことができていた。

ここで、高校受験の話になる。
私は中学生時代、「勉強したい」より「演劇部入りたい」が強かった。
そこで、母と共に学校説明会に行って出会ったのが、地元では有名な、小中高大とある、私立女子高である。

演劇部も強く、馬鹿にしてきたような男子もいない、全員女子の高校。
よし、ここにしよう。と決めたはいいが、どうやって入試を受けるかで私は悩んだ。

「一般入試の方が難しいらしい…推薦入試は小論文という苦手なものがある…どうしよう。」
悩んだ結果、中学内の成績を取ることを頑張り、推薦入試の枠取得を目指すことにした。

結果、なんとかその女子高の推薦枠を取得し、そんなに高倍率ではない推薦入試を受けた。
結果、見事に合格。

自分の意思で決めたところなので、とても嬉しかった。
受験で合格をしたのはここが初めてだが、ここでもまた「一般入試ではなく推薦入試」という楽をしてしまった。


高校生時代(大学入試)

地元で有名な女子高に入学した私。
演劇部では色々あったが、それは長くなるので別のnote記事で書こうと思う。

クラスでは少し浮いていたものの、定型に擬態することを覚えて、なんとか周りに馴染めるようになり、友達も増えた。

受験シーズンになった時、私は進路をどうしようか悩んだ。
その女子高は、併設大学にも、他大学にも行ける制度があった。
私は、「他大学の受験で失敗したら怖い」「もし合格したとしても友達と離れてしまう」という理由から、併設大学の志望学科(情報&メディア系)を目指すことにした。

併設大学は内申点と面接のみで受験できる制度だった。
高校での勉強を塾に通いながら頑張り、内申点をある程度獲得できた。
面接は手応えがほぼなかったものの、何故か無事、志望学科の合格通知が来た。
よかったが、なんか「本当にこれでいいのか」感が否めなかった。
ここでもまた、「併設大学受験という名のエスカレーターにのぼる」という楽をしてしまった。
大半の高校生が受けるセンター試験を、私は受けずに大学に進むこととなった。


大学生時代(就活)

併設校ほぼエスカレーターで、志望学科に入学した私。
高校時代の友達が多く、友達付き合いには困らなかったが、今考えれば、勉強の点では「本当に私が学びたいのはこれなのか?」感がずっとあった。

本当に能動的に「この学科に入りたい」というわけではなかったため、資格を取れる制度があったにもかかわらず、「資格試験受けて落ちたら怖いどうしよう」と怖がって先延ばしし、結局資格を受けることはなかった。
ここでまた、楽をしてしまった。

授業、レポート、試験、バイト…色々なものに追われながら、3年間があっという間に過ぎていき、いざ就活のとき。
ここでも私は、子宮内膜症手術を言い訳に、楽をしてしまった。

他の人が何十社と受ける中、私は大学のキャリア支援課にもほぼ行かず、企業研究や業界研究、自己分析を疎かにし、数社で就活を終了してしまったのである。
今から考えれば、もっと就活をしてたら、もっとマシな企業に入れたかもしれない。そう思う。なのに、内定をもらったらすぐ、「ここで大丈夫でしょ」と就活を終えてしまった。
就活を終えてすぐ、子宮内膜症の手術があり、卒論に追われ、あっという間に大学卒業に至った。


新入社員時代(ツケが回ってきた)

前述の、内定をもらったとある企業に就職したわけだが、ここで、今までの楽をしてきた半生のツケが全部回ってくることとなる。

就職してから何が起きたかは、私のブログに詳しく書いてあるので、よろしければ!(「ブログ」をタップすると私のブログに飛べます)

就職して、挫折しまくり、心をどんどん病んでいき、休職からの退職に至ったわけである。
今までの小さな挫折とは比べ物にならない挫折だったので、私の心身では耐えられなかった。
現に、退職から2年近く経った今でも、再就職は果たせていない。


まとめ

このように、挫折すること、失敗することを避けてきた私は、就職してから初めて、大きな挫折を何度も経験し、自分を知ることが出来たが…。就職してからでは遅すぎた。

もっと早く、挫折を経験していれば、発達障害にも、もう少し早く気づけたのかもと、私は思わざるを得ない。

「それは関係ないだろ」と思われるかもしれないが、色々なことに挑む中で「なんかおかしいな」が出てきたかもしれないと思うと、学生時代に沢山挑戦をして来ればよかったと後悔の念が湧いてくる。

自分のキャパや能力を、若いうちから色々挑戦して知っておくことは、とても大事なことだと、もうすぐ25歳になる身になって思う。

これを読んでくださっている若い学生の方に、「やらない後悔よりやる後悔」という言葉を贈りたい。挑戦や自己分析を早いうちからしておいて損はないと思う。

さて、私もこれから、経験した大きな挫折を糧にして、色々なことに挑戦していければと思う。超大作になってしまったが、最後まで読んでくれた方に、感謝申し上げたい。

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