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コロナ禍を乗り越えられずにいる私

事実は小説よりも奇なり。

2020年、世界の人々はこの言葉を身をもって体験することとなった。
新型コロナウイルスは瞬く間に世界中に広がり、私たちが住む日本にもその影響は及んだ。新型コロナウイルスの影響は大きく、多くの人々が行動を制限され、学生は修学旅行や文化祭などの学校行事を満足にできなかったなど、コロナは一瞬にして私たちの日常を奪い取っていった。

しかし、4年も経てば、あの出来事は多くの人にとっては単なる過去になっている。あのとき、毎日のように報道していたコロナ感染者数も、今では全く報道されていない。代わりに毎日報道されているのは今日は大谷が何本ヒットを打ったとか、大谷が髪を切ったとか、大谷が結婚したとか、大谷の通訳が金を盗んでいたとか、そんなこと。

だが、私にとってコロナは過去ではない。今現在も私の心にはコロナによって残された何かがある。

ここでは、当時大学生だった私が2020年から2024年の四年間、何を感じどう生きてきたのかを思いのまま書いていく。


私は2001年生まれの22歳(今年で23の歳)であり、コロナが大流行した2020年の4月から2024年の3月までの四年間大学に通っていた。いわば、コロナ直撃世代と言えるだろう。

大学生活最初の二年間の記憶はほとんどない。気づけば二年経っていたというのが正直な感想である。あれほど時が早く過ぎたのは初めてのことであった。
コロナのせいで、大学一回生の最初の一カ月が休校。そして学校が始まっても授業はリモート。家に籠って、パソコンに向かって授業を受ける日々が二年続いた。大学に行けるようになったのは、三回生からだった。

「ふざけるな」とは思わなかった。仕方がないことだと思っていたから。私と同じ2001年生まれの人たちも今同じ状況で生きているのだからと、そう思っていたから。しかし、そうではなかったということに三回生になって私は気づくことになる。
大学三回生になると、多くの人はこれからの将来について考えだすだろう。私もそのうちの一人だった。三回生の春にはもうすでに、就活のガイダンスが大学で始まっていた。適性検査やインターンシップ。それらの話を聞いて思う。

早すぎないか。いくらなんでも。

就活がうまくいかなかったらどうしよう。
こんな自分が社会人としてやっていけるのか。
そんな不安よりも、もう就活について考えないといけない時期であるということが私にとって一番のショックだった。
一般的な感覚だと、大学三回の春に就活について考えだすのは遅くない。むしろ早い部類だと思う。私は就活に前向きではなかったが、ガイダンスに行ったということは、就活のことを知ろうという意識はあったのだろう。

ただ、意味が分からなかったのだ。なぜ今就活について考えないといけないのだろうか?やっと大学に通えるようになったのに。私の大学生活はこれからなのに、今から大学を卒業したことを考える必要なんてないだろうと。
あのころは本気で思っていた。もう大学生活の折り返し地点に自分がいるということを自分で自覚しなくなかったのだろう。何も考えたくなかったのだ。
だから何も見ようともせず、コロナを言い訳にして、逃げていたのかもしれない。

そんな私が選んだのは、公務員を目指すというものだった。もともと公務員になりたいという気持ちはあったし、民間企業の面接を何十回と受ける就職活動も自分の中ではあまりピンとこなかったからだ。ただ、その動機のなかでも、「余計なことを考えなくて済む」というのが大きな理由の一つであったのも事実だ。公務員を目指せば、極論公務員試験の勉強をすればいいだけだったからである。もちろん一次が通れば面接もある。ただ、そんな先のことはどうでもよかった。今この瞬間勉強のことだけを考えられればそれでよかった。大人になるとは、社会人になるとはどういうことなのか、まだ全然分かっていないのに、社会に出ることなんて想像できるわけがない。自分が大人になるなんて考えたくなかった。
そんな考え方だったから受けた一次試験全て落ちたのだろう。

なんとなく分かっていた。全部落ちるだろうと。そりゃそうだろう。勉強だけすればいい、何も考えたくないからと現実を受け止めきれない自分を言い訳にして目指した公務員。いや、本当に目指していたのだろうか。ただ、現実から逃げる言い訳のためだけに使っていただけかもしれない。母親には申し訳なく思っている。予備校代をドブに捨てたわけなのだから。
今ここで懺悔します。本当に申し訳なく思っています。ごめんなさい。
そんなわけで私は四回生の7月から民間の就活を始め、翌年の1月に内定をもらい、4月から働くこととなる。


いつのまにか長い自分語りになっていた。
自分語りうざいですよね?
ごめんなさい。もうしないです。


話を戻す。私の周りにいた私と同じ2001年生まれの人たち。私には、なぜ彼らが当たりまえのように就活をしているのかが分からなった。ゼミに行けば、どこどこから内定をもらったとか、4月から東京に行くとかそんな話が聞こえてくる。

周りの人も私と同じ状況で同じようなことを考えてコロナ禍を生きている。そう思っていた私はそこで周囲とのギャップに気づいた。

なぜなのか。なぜ当たり前のように就活を行い、内定をもらって、働こうと思えるのか。あなたたちは私と同じはずなのに。2020年から2年が経ち、就活について考えることにあなたたちは何も思わなかったのか。それとも私との2年の厚みが違うのだろうか。私にはあっという間だった2年も、私以外の人たちには長い2年だったのか。分からなかった。なぜそんな簡単に受け入れて社会に出ようとするのかが。


卒業式の時ゼミの先生が言った言葉が忘れられないでいる。
「僕は君たちのことを、コロナ禍を一緒に試行錯誤しながら乗り越えてきた戦友だと思っている。」
嬉しくも思い、同時に疑問も感じた。
果たして私自身はコロナ禍を乗り越えられたのだろうか、と。

そんな風には思えていない。
ニュースなどで、「コロナ禍を乗り越えた」という言葉を見ると、私一人だけがコロナ禍の中に取り残され、私以外の全ての人がコロナ禍を乗り越えたかのように思えてしまう。

みんなは就活について考えないといけなかったとき、前を向けたのだろうか。コロナによって行動が制限され学生らしいことが何もできなかった。そして、そんな状態だから、ガクチカでアピールできることなんて何もない。就活について考えることなんて到底できない。
そんな人はいなかったのだろうか。



お前はコロナを言い訳にしているだけだ。
何もしていなかったお前が悪い。
そう言われれば、確かにその通りだと思う。原因は自分にもあるのだろう。やりようはあったはずなのだ。言い換えれば、現在の状況は、コロナ禍であることを言い訳にして何もしなかった私自身が招いた結果であるとも言える。現に私と同じ2001年生まれの大学生の中でも、部活やサークル活動を通して友達、仲間ができ、キラキラした青春を送った人もいるだろう。それはその人たちが各々主体的に行動した結果だ。何も行動を起こそうとしなかった私とは違う。

「コロナだから」と、何もしなかった人。
「コロナだから」と、動いた人。
私は前者だ。そして、この両者には明確な違いがでていると強く感じている。

だが、一つ言わせて欲しい。
コロナ禍に何もしなかった、何もできなかった学生は私以外にも少なからずいるだろう。その何もしなかった理由が全て彼ら自身にあるとは私は思わない。そこには、社会の要請に愚直に従った結果何もできなかったという時代の犠牲者の側面もあるはずなのだ。

「外にでるな。」「みんなで家に籠ろう。」
あの頃はそれが正義とされていて、外に出ている者は悪とされた。今思えば狂っていたほどに。社会が作り出した空気に明確な終わりはなく、家に籠ったままの人たちはそのままずるずると何も行動を起こさないまま日々を過ごしていく。私がそうだった。

私はそんな、真面目な人ほど馬鹿を見る社会に対して不満を感じざるをえない。国のお願いを馬鹿真面目に聞いた結果、就職活動が不利になり、何もしてこなかった無気力な学生と切り捨てられる。
やさしい人が傷つく世界線。ばかばかしい。そんな社会は間違っている。





結局私はこんなことを長々と書いて何を言いたかったのだろうか。
ただ知ってほしかったのだ。大学入学と同時にコロナ直撃を経験した人間の中には、こんなことを考えていた奴もいたということを。

気持ちの切り替えが上手くできないまま、就活を進め、鬱屈とした感情を抱えたまま社会人になってしまった。
私と同じ2001年生まれの人は、私と同じ気持ちだったのだろうか。それとも、私だけなのだろうか。少なくとも私はまだコロナ禍を乗り越えてはいない。
大学を卒業し、今年の4月から新社会人として嫌々ながら働いているが、心にはずっとモヤモヤが残っている。
心の整理がいまだについていないような。
自分の人生の岐路に立ち進んだはずなのに、まだ人生の岐路に立っているような感覚。

果たして、今もずっと胸に残っているモヤモヤしたものが無くなる日はくるのか。私がコロナ禍を乗り越えられる日はくるのか。
「知らねえよ」と思われたらそれまでだが、そういう風に考えている人も世の中にはいるのだ。

こんな風に考えてしまう自分も変わっているとは思うが。    (終わり)

#創作大賞2024 #エッセイ部門


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