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1杯のコーヒーから、消費の責任を考えてみた話

CCCマーケティングが立ち上げた「Tカードみんなのエシカルフードラボ」。
CCCマーケティングでは、コアメンバー以外にも、ラボに興味を持ったり、関わってくれている人たちがいます。
今回は「エシカルフード・キックオフセッション」を見て感じたことを広報の野中さんが書いてくれました。
ぜひお読みください!

……………

「Tカードみんなのエシカルフードラボ」の立ち上げに際し行われたキックオフセッション。
大学教授から、ジャーナリスト、メーカー、シェフと名だたる有識者が集い、SDGsについて語りこれからのエシカルフードについて喧々諤々の議論が行われた。

今回は、「SDGs」は、耳にしたことがあるけど、そもそもよくわかっていないというSDGs初心者(?)の筆者が、セッションの模様をビデオで視聴し、気が付いたことを本音ベースでつづっていく。

❚正直最初は、食傷気味。「なんで、今また環境問題…?」
まずは、セッション冒頭、正直な私の感想は、「なんで今になって、また環境のことを?」である。

「地球温暖化の影響で南極の氷が解けて~」
「石油資源はあと50年後で枯渇して~」
「資源を守るためにもマイ箸を持ち歩こう…」

もともと “環境問題”や“エコロジー”は聞き馴染みのある言葉だ。初めて小学校の社会科の授業で上記のような話を聞いた時は、それなりの焦燥感と危機感も持ち合わせていた。けれども、社会人として日々の仕事や家計のやりくりに追われる中で、自分の生活で手一杯になるのが現実だ。セッション冒頭に、マクロな地球問題のことを言われても「あー、よく聞く話ね…」程度にしか思わず、食傷気味であった(逆説的には、有識者の方々が共通認識として持ち合わせている危機意識が、私には欠如していたという現れでもある)。

また、そんな私がSDGsと聞くと、もう一つなじみ深い感覚が蘇った。

「ひとりの行動が変わったところで、どうこうできる話ではないしな…」

私一人のミクロな行動でマクロな問題が好転するとは思えないジレンマ。過去に幾度となく聞いてきた話も、この無力感によって消し去られてしまっていたことを思い出した。


❚ミクロな消費行動がマクロな問題を助長する
しかし、「フェアトレード」の話に議論が及んだ時、私はある一つの映画を思い出し、そして一つの勘違いに気が付いた。

私が思い出したのはレオナルド・ディカプリオ主演『ブラッド・ダイヤモンド』という映画だ。物語の詳細については省くが、誘拐され強制的に働かされた難民によって採掘されたダイヤモンドが欧米では何も知らずに買い求められているという“紛争ダイヤ”をテーマにした作品だ。当初この映画を観た時は、残酷な市場原理に大きな衝撃を受けた。一方で、私自身はダイヤモンドに興味がなければ、縁もない人間なので、遠い世界の話だとしか考えていなかった。

しかし、セッションでは「フェアトレード」の一例として、より身近なコーヒーが挙げられていた。私自身も毎朝コーヒーを飲むし、「フェアトレードコーヒー」の存在自体は知っていた。しかし、実際に生産地で行われている過重労働や低賃金問題、自ら命を落とす生産者もいるという現状に大きな衝撃を受けた。

「私が毎日飲んでいるコーヒーは、誰かの命を削りとっているのかもしれない」

そう思うと背筋が凍る。
その衝撃は、私自身が搾取しうる側であるという自覚でもあった。
私がしていた勘違いとはまさにこの自覚だった。「ミクロな行動がマクロな問題を好転させるかどうか」ではなく、すでに私のミクロな消費行動が、マクロな問題を助長する加害性をはらんでいることを改めて再認したのである。

それは環境問題についても、同じことが言えた。
「マイクロプラスチック」や「海洋プラスチックごみ」も、聞いたことはあっても現状は知らなかった。私と同じ知識レベルの方は、ぜひ一度ググって頂きたい。プラスチックゴミが半永久的に分解されず、海に漂い、魚や私たちの体内に取り込まれている現状や、日本が世界でもトップクラスにプラスチックごみを発生させているという現実が手に取るようにわかる。もちろん私はポイ捨てもしなければ、分別して指定された曜日にゴミを出している。しかし、世界が直面している問題に対しては、それだけでは不十分なことも明白だった。

そういった「なぜその目標が掲げられているのか?」というSDGs17の目標の“裏側”を知ることが、「SDGs」に本質的に取り組むための第1歩だと感じた。私がこのセッションを通してまず知ったことも、SDGsが抱える問題について「何も知らなかった」という事だった。


❚「食べる」価値観のパラダイムシフト
その後、セッションは「食」の話に及んだ。その時、頭にこびりついた言葉がある。

「食は政治的行為である」

「食べる」ことは、私の体内に影響を及ぼすだけでなく、地球規模の問題にも大きな影響を与えている。だからこそ、何を選択し、何を口に入れるかという事は、その人の政治的行為であるということだった。

私がここで感じたことは、「食べる」をはじめ、あらゆる消費活動に対して“無関心”であったということだ。私のような独り身にとって「食べる」ことは、空腹をある程度満たすための日常の一動作に過ぎなかった。

そもそも、90年代生まれの私にとって、物心ついた時から日本は不景気で、大人たちから「景気がいいな!」という威勢のいい話を聞いた記憶もない。情報番組では不景気や節約術が声高に叫ばれ、家に投函されるチラシにも「大特価」「大安売り」「他店より1円でも安く」の売り文句がとげとげしく踊り狂っていた。だからこそ、日々の消費活動において「はやい、やすい、うまい」が絶対的な価値観として沁みついているのだ。そしてこれは、「食」に限った話ではなく、日用品でも「やすい、おおい、つかいやすい」など端的な基準でしか物事を選び取ってこなかった。

だからこそ、SDGsを本当の意味で日本に根付かせるためには、既存の価値観からまずは脱却する必要がある。そのためにも、消費についてより関心を持たなければならない。メーカー、流通、小売りといった企業を巻き込んで、ひとりひとりが、自己の消費が与える影響を見直し、関心を持つことで、(代替する価値観が「健康、安全、平等」なのかどうかはわからないが…)ドラスティックな価値変容が実現するのではないだろうか?


❚では、どうすれば、そんなシフトが起こせるのか?

ひとつは、上記のようにSDGsの“裏側“をまずは知るという事が必要不可欠だ。興味のある分野からでも構わない。まずは一程度の危機意識の共有が、上辺だけではなく、SDGsに対して本質的に向き合うきっかけになるだろう。

それに加えて、セッションでも言及されていたように、様々な消費行動に対して、今一度ゆっくりと向き合う時間を取ることだ。

「食」も映画や音楽のように、食欲を満たすためだけではなく、奥深さを知り、楽しさを感じ取ることができなければ普及することはないだろう。

その楽しみ方のヒントも私たちの消費行動の原理に潜んでいる。インスタグラムなどSNSの“映え”の感覚を応用できるかも知れないし、商品にまつわる“エモさ”がフックになるのかも知れない。SDGsを広めるきっかけもまた、私たちミクロな行動の積み重ねなのだ。

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