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人はなぜ評価に不満を持つ?~令和の時代に必要な人事評価の要諦~

こんにちは。

私は社会人15年の中で4つの会社を経験してきましたが、どの会社でも、また被評価者/評価者のどちらの立場でも人事評価の難しさ(理不尽さ)は嫌というほど味わってきました。

そして最近では人事評価制度の設計にも何度か携わる機会をいただく中で、作る側としても改めて人事評価の難しさと向き合っている今日この頃です。

恐らく完ぺきな(全ての社員にとってハッピーな)人事評価制度を作れている会社さんはほぼないと思いますし、日々運用に苦労されている会社さんも多いと推察しますので、私が今までの経験で得てきたことや体現してきたことが何らかのご参考になれば幸いです。

そもそも人事評価制度はなぜ必要なのか?

私も若手だった頃は人事評価制度の必要性なんて考えたこともなく、制度が存在するのが当然だと思っていましたが、実は日本において評価制度の原型ができたのは1950年代で、その歴史は60~70年ほどしかないそうです。

ということは、元々人事評価制度が存在しなくても企業運営がなされていた中で、敢えて新しく仕組みを導入した理由があるはずで、それを私なりに考察すると、高度経済成長期に突入しつつあり人材不足が顕著となる中、「この会社に入れば毎年公平に昇給するから安泰だよー」という社員や候補者を動機付けすることが目的だったのではないでしょうか。

そこから高度経済成長が終わり、バブルが崩壊した後は更に人余りの傾向が強くなり、成果を出せる可能性が高い人か否かを選別する必要が生じたため、評価の目的は動機付けから選別に移行したのではないかと考えています。

そして更に時は進み、令和の時代は再び人材不足の局面を迎えているため、評価の目的も再度動機付けに戻すべきだと個人的には思うのですが、選別という目的をそのまま引きずっている企業が多いように感じています。

したがって、人事評価制度の必要性(目的)は時代背景や企業と人との需給バランスによって変化しうるものの、人口減少社会であるこれからの日本では基本的に社員や候補者を動機付けするために必要と言ってよいでしょう。

なぜ人は評価に不満を持つのか

人事という仕事に携わっていると、社内外を問わず数多くの人から人事評価に対する不満を耳にします。そして私もご多分に洩れず、思っていたような評価を得られずモヤモヤしたことは何度となくあります。

ではなぜ人は評価に不満を持つのでしょうか。私は下記の通り大きく3つ原因があると考えます。
1.ダニングクルーガー効果
2.上司と部下の立場や視座の違い
3.相対評価や客観性

1つ目のダニングクルーガー効果ですが、認知バイアスの一種で、実際の評価と自己評価のズレが生じる、または認識に誤りが生じる現象のことを指します。過大評価/過小評価どちらのケースもあるものの、一般的には過大評価のケースが多いようです。つまり、人間は本質的に「自分はできる」と思いやすい(思い込みたい)傾向があるため、他者評価との間に乖離が生じそれが不満となりやすいのだと思います。

2つ目の上司と部下の立場や視座の違いは、親と子供、部活の先輩後輩など人生の様々なシーンで起きる事象で、立場や視座の違いから来る物の見方や感じ方の違いを特に立場が下の人間が理解できないというものです。
例えば、若手社会人が上司から「言われたことをこなすだけじゃなく、もっと主体的に改善提案をして欲しい」と言われ、部下なりに頑張ってみても上司からは物足りないとみなされる、といった事象がよく起きます。
この場合、上司はかつて似たような状況を経験しているし、立場が変わって視座が上がると主体性や改善の重要性を痛感するようになるが、部下からすると「頭では分かるが具体的にどうすれば良いか分からない」という状況に陥り、結果モヤモヤしやすかったりします。(私もこれが多かった)

3つ目が、実は最も人事評価への不満に繋がる要素だと思うのですが、一定以上の規模の組織だと全員を昇給・昇格させることができないため、同じ等級などの中で相対比較して順番を付けることがよくあります。
ただ、同じ等級でも各人が異なる業務やミッションを背負っている中で、何か基準に当てはめて順番を付けることは不満の温床になりやすいです。
(極論1番になった人以外は多かれ少なかれ不満を持ちうる)
また、「人事評価には高い客観性が必要」と作り手も受け手も思いがちですが、人事評価とは人が人の価値を判断することであり、評価者も人間なので彼らの主観や感情が入ることはむしろ当然ではないでしょうか。
問題なのは、主観が交じっているのに客観的な評価を貫いているふりをすることで、被評価者がその客観性に納得感を感じられなくなることでしょう。

と、3つご説明してきましたが、1つ目は人間の根本的な性質の話なので「自分で気を付けよう」に尽きる気がしますが、2つ目と3つ目を改善することで人事評価制度への不満は格段に減らすことができると考えています。

どうすれば人事評価制度は本来の目的を果たせるの?

ここまででお伝えした通り、(特にこれからの)人事評価制度の目的は社員や候補者を動機付けすることにあると考えていますが、一方で評価に不満を持った経験がある人が多く、人事評価制度がプラスの効果(動機付け)を発揮できずマイナスの効果(不満)になっているのが現実だったりします。
では、どうすればマイナスを解消してプラスを生み出せるようになるか。私は下記の3点がポイントだと考えています。

1.評価ではなく成長サポートへ
2.客観に頼らず、主観と自責に基づくコミュニケーションを
3.評価基準をタイムリーに変えていくこと

1つ目は、不満の2つ目と関係しますが、上長のマインドセットとして必要だと思います。上司の立場や視座を部下に押し付けたり、評価でいい悪いを決めることが上司の役割ではなく、極力部下の立場で考え部下の成長に必要なことをアドバイスする役割だと明確化すれば、部下も上司からの言葉を受け入れやすくなるのではないでしょうか。
(その場合、評価・処遇の役割は経営側や人事が担うべきでしょう)

2つ目は、不満の3つ目と関連しますが、評価の客観性を追及しすぎないことです。もちろん客観的なルールや基準はある程度必要ですが、それを個人に当てはめる過程で主観が入るのは致し方なく、むしろ上長の主観の理由を正しく部下に伝え、そのうえで部下の育成をサポートするという責任感を持つことが重要でしょう。
また、これは経営側や人事が意識すべきことだと思いますが、公平性に偏りすぎない原資配分も重要でしょう。思いがある人に対して機会提供の公平性はなるべく担保すべきだと思いますが、それによって成果の差が生じた場合処遇に一定の差を付けることも重要だと考えます。(成果を出せる社員への動機付けは非常に重要な目的なので)

3つ目は人事評価の設計や運用に携わったことがある方にはタブーのように感じられるかもしれませんが、私は毎年でも変えるべきだと考えています。
(もちろん業界によって変える頻度に差はあって然るべきですが)
例えばIT業界の場合、
・ビジネスの中身も毎年少しずつ変わっていく
・職種も毎年増減しうる
・中途新卒問わず、毎年様々なバックグラウンドの人が入社してくる
といった会社も多いため、その中で評価の基準だけ変わらないのはむしろ不自然ではないか?
という考え方です。
当然現実的な運用負荷とのトレードオフで考えるべきではありますが、毎年毎年の最適解を模索していくというスタンスの方が社員にも受け入れてもらいやすいと個人的には思っています。

と色々お伝えしましたが、やはり人が人を評価するという行為自体が非常に難しいものであり、常に試行錯誤しながらより良いものにしていくというプロセスを今後も様々な会社さんで踏んで行かれることと思いますが、その過程でこの考え方を少しでも参考にしていただければ幸いです。

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