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デザインとテクノロジーってなんだろう

onishi  / Fenrir Inc.

これはフェンリル デザインとテクノロジー Advent Calendar 2019、24日目の記事です。

テーマが「デザインとテクノロジー」なのですが、そもそも「デザインとテクノロジー」ってなんだ?という話です。

ちなみにフェンリルは「デザインと技術でユーザーにハピネスを」というミッションを掲げていて、わたしにとっても大切な考えです。

このミッションの具体的な解釈はスタッフ個々人に委ねられています。なので、これから書くことはわたし個人の解釈です。

デザインってなんだ

諸説ありますが、デザイナーであるわたし自身は「現状をより良い状態にするための行為」だと大きめに捉えています。これはハーバート・サイモンさんの考えだそうです。

この言葉に出会ったとき「そうだ!わたしは人間の暮らしを、世の中を、今よりもっと良くするために活動していたのだ」と、しっくり腑に落ちたのを覚えています。なんだか誇大な表現に聞こえるかもしれませんが、産業や経済の仕組みを考えると当然のことのようにも思えます。人類なんやかんやでみんな何かをデザインしているのです。

テクノロジーってなんだ

テクノロジーの解釈を書く前に、テクノロジーと自分の出会いを紹介をします。
今から20年ほど前、当時16歳だったわたしは初めて、パーソナルなコンピューターを手に入れました。
これがテクノロジーとわたしの最初の出会いです。
もちろん、今になって思えばパソコン以外にも多くのテクノロジーに囲まれて生活してはいたのですが、テクノロジーをテクノロジーとして認識できたのはそれが最初です。

初めてのパーソナルコンピューターでインターネットに接続しました。どこに住んでいるのかも知らない人物たちが書いた言葉、やりとりを追いました。勇気を出して自分の考えを書き込んでみたりもしました。紙と鉛筆で文章を書いていたときより、エディタにキーボードで文字を打つ方がずっと自分の考えがまとめやすいことに気づきました。コピー&ペーストって大発明ではないですか?

また、ホームページ制作ソフトやHTML辞典に頼りながらホームページを作りました。ウェブページの裏側はこんな仕組みで出来ていたのか!と学校の授業より好奇心を刺激されました。アクセスカウンターを自作して達成感を楽しんだりもしました。

ペイントソフトで絵を描いてみたりもしました。不器用にマウスを操作して描いたそれは、紙に絵の具で描いたものより随分ひどい出来映えでしたが、何故だかとても熱中し、誇らしげな気分で描いたものです。「元に戻す」や「拡大縮小」などの現実では実現が難しい機能に感動したのかもしれません。ラスタ画像は拡大するとボケボケになり、ベクタの図形はどこまで拡大しても保たれる。そんな知識を得て得意な気分になったのかもしれません。

パーソナルコンピューターはわたしのできることを大きく広げてくれたのです。インターネットは限られていたわたしの世界を広げてもくれました。

年齢や性別、被扶養者の学生という立場は当時の自分にとって息苦しく己の身に纏わりついてくる属性でしたが、姿の見えないウェブの世界ではそれらから離れ、一人の個人として物を考え発言することができました。なんの力も持たない16歳の子どもからすると、そこは随分と自由な場所に思えました。

テクノロジーは人間のできることを広げ、力を与えてくれるもの。そのように考えています。

デザインとテクノロジーってなんだ

長くなりましたが本題です。

そんな素晴らしいテクノロジーは一般化されなくてはなりません。20年前、裕福でもなかった我が家にとって、パーソナルコンピューターは決して安い買い物ではありませんでした。家計は大打撃だったようですが、それでも一般家庭に普及できる金額になっていました。たまに買うソフトウェアや周辺機器、月々のインターネット接続料は高校生のアルバイト代で賄える金額でした。

コンピューターに初めて触れた自分にとって、「0と1の二進数で全てを計算している」という原理はよく理解できないものでしたが、ディスプレイに表示される情報は0と1ではなく人間に向けた言語や記号でしたし、わからないところは本やインターネットで調べれば16歳のわたしでも解決できるレベルにまで難解さは下がっていました。

デザイナーやエンジニアは、テクノロジーと人間の橋渡しをします。コストを抑えて売値を下げたり、情報をわかりやすく伝えたり、小型・軽量化して持ち運べるようにしたり、移動中でも使いやすくしたり。テクノロジーが我々人間の生活をどう変えるのかを考え、よりたくさんの人がその恩恵を受けられるよう知恵を絞り、持てる技術を尽くします。

わたしにとっての「デザインとテクノロジー」はテクノロジーの一般化なのかもしれません。

デザインとテクノロジーと現在の自分

初めてテクノロジーに触れた頃から早くも20年近くが経ちました。成人し、経済的に自立できた現在のわたしは色々なものを選択できるようになりました。16歳だったあの頃に比べとても自由です。

そして、現在のわたしはアクセシビリティに心を寄せています。

数年前、こんなエピソードを目にしました。

活字図書が点訳されたり録音図書として発行されるには何年も待たなければなりませんでした。その上、発行されるタイトルは限られています。
だがコンピューターとインターネットが普及してそれが変わりました。テキストデータは機械で読み上げることができるのです。

(引用元不明)
スクリーンリーダー利用者であることをウェブサイト側に検知されることは「私は視覚障がい者です!」と知られることを意味します。
ウェブの世界は、白杖や盲導犬を見て視覚障がい者だと判断されることから我々を遠ざけてくれました。ウェブは誰でも平等に扱われる機会を与えてくれていたのです。

"letting a website know you’re using a screen reader means running around the web waving a red flag that shouts “here, I’m visually impaired or blind!” at anyone who is willing to look. It would take away the one place where we as blind people can be relatively undetected without our white cane or guide dog screaming at everybody around us that we’re blind or visually impaired, and therefore giving others a chance to treat us like true equals. "
WHY SCREEN READER DETECTION ON THE WEB IS A BAD THING(かなり意訳です)

ちっぽけな子どもだった自分を少なからず救ってくれたテクノロジーは、ここでも人を救っていました。また、テクノロジーを橋渡しする方向を誤ると誰かの自由を奪うことに繋がるのです。

思えば学生時代、インターンシップで数ヶ月間お世話になった企業では全盲者と肢体不自由者がエンジニアとして当たり前のように働いていました。

全盲のその人は白杖を持って通勤し、電源を落としたディスプレイの前でスクリーンリーダーを自在に操り、その会社のサーバー管理を一手に引き受けていました。思い返せば紙の書類は電子化された会社でした。

肢体不自由のその人は自動車で通勤し、電話やメールで顧客の希望をヒアリングしながらシステム開発をしていました。(そしてわたしの未熟なコードをレビューしてくれました)

誰かが働く力に、ここでもテクノロジーは手を貸していたのです。

わたしは今ソフトウェアのデザイナーとして生計を立てています。紙媒体には紙媒体の美しさや強さがあるように、電子媒体には電子媒体の美しさや強さがあります。

電子化されているということは、柔軟に形態を変えられるということです。使う人が自分の読みやすいよう文字の大きさや色を変えられます。ボタンや見出しなど、インターフェースの役割を機械で読み取れるよう意味付けすれば、使う人がスクリーンリーダーなどの力を借りやすくなります。

「せっかくのテクノロジーなので一人でも多くのひとに届けたい」

これはデザイナーやエンジニアの根源的な欲求なんじゃないすかね〜とか大雑把に考えていたのですが、もしかすると力ない子ども時代のわたしとテクノロジーの少しエモな出会いが、今の自分を動かしているのかもしれません。

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