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生存本能で猫を嚙む

窮鼠猫を噛む。本当にねずみが追い詰められれば猫を嚙むのかは知らない。しかし、生きるか死ぬかの瀬戸際では、生物に備わった生存本能が発揮されることはあるだろう。
今回は意識の低い生存本能の話である。

私も今まで散々書いてきたが、生存本能でキャリアアップしてきた。
商流の底辺にいるITエンジニアは、昇給することはない。市場価値があがるような業務経験もできない。
周りを見渡せば、電気や水道を止められたり、風呂にも入らず髪も切らず穴の開いたスーツで仕事をするような人がたくさんいた。ほとんどみんな独身である。そういう不衛生で汚いおじさんは、自分の未来かもしれなかった。

僕はたまたま結婚をして生活費に困窮してどうしようもなくなったから、真剣に自分の人生について考えた。仕事は辞めることにした。もっと稼げる仕事が見つからなければ死ぬしかないと思ってた。だって、体が弱い妻に病院に行くお金がないから行くなとは言えるわけがない。スーパーで食べ物を買うにもカード払いにして手持ちのお金がないことをごまかしている。入院費用を払うために、家賃にも手を付けた。
そんな中で仕事を辞めるのだから、失敗したら死ぬくらいの覚悟は当然じゃないか。他にどう生きろというのか。

二度目の転職も似たような理由である。家計は改善したものの、貯金ができないなら無理やりでもローンを組んで家を買った方がいいだろうとマンションを買った。それまで住んでいた賃貸の部屋は治安が悪くて子育てするには不向きだったし、ローンを組むには年齢的なリミットもある。
そうこうして子供にもお金がかかってくるし、今まで極貧をしていて先送りにしていた出費のアレコレがツケとして顔を出してくる。
常駐先がころころ変わることは家族にもストレスを与えたし、5期連続で減るボーナスはじわじわと私を追い詰めた。そもそも家計が改善されたといっても余裕が生まれたわけではないのだ。ギリギリのところで生きているのだから緊張の糸は緩まない。会社を辞めた時に採譜に残っていたのは数百円だった。口座に入っていた全財産は1800円だった。あと一社、採用試験を受けてたら残金が足りなくなっていただろう。この頃に有給消化中にお金がなくて暇だったので、Twitterにのめり込むことを覚えた。
私はイマイチなスキルシートをどうにか見栄えを整えて、敏腕エージェントの力を最大限に利用して、命を賭して転職を成功させた。

転職をするたびに待ってるのは地獄の苦しみである。背伸びして入社するので苦しいのである。
自分の本では、さも華々しくキャリアアップしたように書いたりするが、死ぬ気で努力して乗り越えて生き延びているだけである。そんなにカッコいいわけがない。仕事ができないやつにカッコいいやつがいるもんか。
「この年齢でこれしかできないの?」と思われても、それが事実なので歯を食いしばって耐えるのだ。耐えて慣れればいずれは仕事を覚える。そのまま努力を続ければ追いついたり追い越すチャンスもあるだろう。

僕は歴史が好きなのだが、織田信長なんかは常に格上の人間と戦って生き延びた代表例であると思ってる。桶狭間の戦いで数百人の奇襲で今川義元を討ち取ったのは、信長の実力を評価する者がいなかったからこそ相手の油断があった。
その信長が将軍に請われて上洛したのは35歳の頃である。この頃ですら織田家の版図は盤石からは程遠いものだった。
若くして成功したイメージが強い信長ですら、天下布武に手が届きそうになったのは晩年である。
人生の大半は弱者としての立場で、常に殺される危険があった。
あれだけの天才ですら、成功したといえるのは人生の終盤なのである。それ以前に道半ばで倒れていたら、後世に名を残したかは怪しい。
合戦で少し勝ったくらいでは教科書に残らない。鉄砲隊で武田騎馬隊を撃退したくらいでは物足りない。
僕はFラン大学を出ているが、信長は大名の中ではFランに相当するのではないだろうか。守護大名の武田とは違うし、家柄で劣る織田家の中でも傍流である。母親は弟にべったりだし、家庭内での地位すら危うかった。「うつけ」と言われる評価なのだから、何もかもが負けている状態から生き延びなければならなかった。
それだけ不利な状況からは、生存本能が果たした効果も大きかっただろう。よほどしっかり立ち回らねば死ぬ危険を振り払うことはできない。

私の個人的な観測範囲で見ていると、みんな元から優秀なのだ。少なくても私のような雑草は稀だ。だいぶ僻みがたっぷりになるが、これっぽちも悪意はないのでご容赦願いたい。
Tera Termのゆたかさんは10代から技術雑誌の愛読者だし、超有名企業で活躍していた。インフラエンジニアの教科書の佐野さんは有名大学を出て、LINEの創業メンバーである。沢渡あまねさんは日産やNTTデータという頂点レベルの企業での経験を持つ。
文系私立からMSで活躍するちょまどさんは、学生時代から技術に興味を持っていたし文系で英語を学んでいたことはキャリアに役立っている。澤円さんだってインターネット黎明期からITに興味を持っていて、あの当時に技術を身につけたことはただ者ではない。
おそらく元々私より優秀で、かつ私より努力しているのがこういう人たちなのだ。

そう考えると、技術に興味を持ち始めたのが30代の私は遅い。学歴も実績も何もかもが、戦えば負ける状態にある。
とはいえ、高卒でも活躍してる人はたくさんいるし、中卒でも私より活躍している人はいる。そういう人たちは私から見て漏れなく生存本能が強い。
1年で10年分成長する人はいる。生死の際を経験すると、勝負どころがわかるようになる。成長して評価されることに貪欲になる。
そもそも高卒の学歴をコンプレックスに思う人は多いようだしその気持ちもよくわかるのだが、大卒だから高卒より優秀ということはない。私のように偏差値30代の大卒なんてむしろ劣っている可能性が高い。真剣に勉強して偏差値30なのである。ゴミである。私はゴミだ。

ゴミクズの学歴であることはひた隠しにしている。Facebookでも決して公開することはない。現職では周りは有名大学ばかりだ。私が知らない大学の人はみんな海外の大学出身だ。
それを某エージェント(法政出身)に相談すると「その学歴でそこにいるのは数パーセントの偉業です。良かったですね!」と言われる。

本に書けないネタなのでこっそりここに書いてしまうと、学歴と企業のランクには確かな相関関係がある。偏差値が高い大学出身であるほど、優秀である確率が高いとのことだ。それはそうだろう。
高卒で優秀な人はたくさんいるが、全体的で見れば勝てない。しかし、生存を脅かされる環境にない人は生存本能の恩恵を受けることができない。
私のようなゴミクズこそが、思い切った大胆な勝負ができる。負けてることを突き付けられると勝負したくなるのである。

とにかく負けっぱなしの人生なのである。猫に噛みつきたくもなるというものであろう。

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