天職という考え方は資本主義前にはなかった?

さて、好きなこと、やりたいことを見つける。自分にあった仕事を見つける。という考え方。天職が見つかるといいなぁなどと思うことが過去にはありました。皆様はありましたでしょうか。この、天職という考え方は、資本主義が発展していく中で生まれた可能性がある、としています。マックス ウェーバー著 プロ倫というほんを要約されている方の話を聴きながら、その説を知りました。近代以前は、日本人も勤勉ではなかった。時間にもルーズだった可能性がある。お金をたくさん貰うよりは、その日暮らしで、お金が無くなれば、近隣の人に借りて、生活をしていた。日本人は勤勉である、というのは、日本人のある一時の時代のことで、実は、英国でもそうだったらしいですが、長年の教育というか、思想、宗教などと絡まって、作られた可能性がある、とされています。
 なので、天職を見つけよう、没頭できる仕事を見つけよう、というのは、ある意味、資本主義の元では、当然かもしれませんが、そうでない時代においては、???ということもある。
 つまりは、私に昔、言っていた人がいましたが、天職なんて、ない。

天職ということばは、作られたものだ、ということです。


資本主義においては、天職だ、と思えることは、資本が増えるチャンスかもしれない、という所でしょうか。


では。

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