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同じ空を見ていた

King & Princeのファンクラブ会報が届いたということで、短いですが「King & Princeとうちあげ花火」の思い出を少し。
全くもって個人的な話です。
ご笑覧下さい。


遠征、それはほぼほぼ大人の修学旅行

山口公演に参加して来ました。
ずっとずっと会いたかったFF姐さんとめんたい国で合流し、山口へ。
途中私がバカすぎてレンタカー借りられない疑惑が発生するも何とかMAZDA3を借りまして、同じくᯒᯎ″❤︎なFFさんたちと合流。
小学30年生になっても、若人たちに仲良くしてもらえる「同じ推しを愛する者」という絆にしみじみと感謝しました。

会場でFFに配ろ🫶🏽と思って作ったステッカーを車の中に置き忘れる大失態。まぁええか……


本来、演者と観客の視界は交われない

ライブ、コンサートあるいは公演と言われるものは、ステージに立つ演者と、観客でその空間が構成されています。
まぁトム・ブラウンの無観客無配信ライブみたいな例もありますけどね。
※しかも中止になった

ともかく、同じ空間を構成していますが、演者の視界ーー観ている光景と、観客のそれは違います。
黄色と白のたんぽぽ畑も、その一部である私たちと、ステージ上のれんかいとでは見え方が違うでしょう。

ただ、「King & Princeとうちあげ花火」に限っては、違いました。


あの夜同じ空を見ていた

あの夜のうちあげ花火。

元々私は、花火というものに積極的ではなかった。
大きい音が苦手なんです。
だから、花火大会というものにも、片手で数えられる程しか行ったことがありません。
「King & Princeとうちあげ花火」は、れんかいが企画したからこそ!という気持ちで参加しました。

でも、あの日の花火は、私が知っていた花火とは全く違った。
大好きなKing & Princeの楽曲にのせて打ち上げられるから、あの苦手な破裂音がない。
そして、巧みに曲に合わせて打ち上がるリズミカルな花火。その形も組み合わせも、見た事がないほどバリエーション豊かで。

ずっと興奮と感動に包まれて、空を見上げていました。
そのうちに、不思議な感情になった。

隣にいるもはやマブダチなFFのこと、
家で留守番している夫と子供たち、
職場の同僚、
周囲にいる何万人もの観客。
その全てから離れたような、その場に私しか居ないような、そして、私自身が何者でも、もはや人間でも無くなったような気持ちになりました。

人間じゃなくなった私が、ただ花火と対峙している、と思いました。
ただ花火の美しさだけを感じて、静かに涙が零れました。

でも、少しだけ右を見ると、モニターにれんかいが映っていた。
私と同じように花火を観て、笑っていて。

その時私は、初めて観客の自分と演者のれんかいが全く同じものを観ている、同じ光景を観ているということに気が付きました。
通常の公演では起こらない現象。おそらく、この先起きることはないだろう、ということにも。
もう一度涙を流し、この気持ちを一生忘れないと、心に刻み付けたいと思いました。




刻む代わりに、物語にしました

この思い出を心に刻みたい、と思う反面、人間の記憶も感情も限界がある、とも思いました。

だからそれを、小説にしました。
物語の(第一の)クライマックス、山口県で開催される花火大会のシーン。今書いたようなことをそのまま書きました。
自分が産んだ登場人物が、私と同じように、誰かと同じ視界を共有する喜びを、心のピークにしました。
(ついでに宿泊する宿も、私がFFのみんなと泊まった宿そのまま描写した)

小説を書くようになって良かった、と、強く思いました。
めちゃくちゃ怖いこと書くけど、そのシーンは大好き過ぎて1日に1回は読み返すし、もう完全に覚えちゃってるからデータ飛んでも書き直せる。

あの日れんかいが見せてくれた光景が、私にとって生涯忘れられない喜びをくれて、さらにそれを文字として残すことが出来ました。

人生は本当に分からない。
髙橋海人という人物と遭遇したから、こうしてあなたにこの文章を読んでもらうことが出来ています。取るに足りない文章ですけど。
書くことが喜びになり、美しい景色を見せてもらって人間としての根源を感じ、それを形に残し。
そういう日が来るとは、思ってもみませんでした。

King & Princeという存在が私の人生にくれたものの大きさを、どんなに年老いたとしても、忘れたくないと、そう思います。
忘れてしまいそうになったら、自分が綴ったものを再び開き、読んで、あぁあの日私は自分が人間であることを忘れる程感動したのだ、と、記憶を呼び起こすつもりです。

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