マーケティングの「最大公約数」と「最小公倍数」。

<前説>

仕事を通じて、様々な機会で、様々な企業や様々な人たちのマーケティングに触れることがあります。

マーケティング論とかブランド論とかコミュニケーション論とかは相変わらず、というかますます百家争鳴状態で、「それは理論じゃなくて単なる考え方じゃない?」とか「それってあの話を難しく不思議な言葉で置き換えただけじゃない?」とか思ったりすることも多々。

また、実際のマーケティング戦略に接したり見聞きしたりした際にも、「確かにあのフレームワークには則っていて、一見いかにもちゃんとしているように見えるけど、空いたマスを埋めているだけで何にも心に響いてこない」=「仏作って魂入れず」なこともあり。

そんなことに遭遇した時の記憶と思いを、備忘録としてつらつらと書いていこうと思います。

※なお、今後も含め、記述内容に関しては、後から色々考えて変更する場合もありますが、その際には変更前の記述と、変更した理由も記していくこととしますので、ご了承ください。


<本文>

最初の記事、まずは「マーケティングの最大公約数と最小公倍数」から。

例えば、企業のブランドミッション・パーパス云々の表記によく見られるのが「絶え間ない努力をを通して地球(もしくは地域・人々など)に貢献する」や「人々の(物理的・精神的)生活を豊かに」といったような記述。

また、マーケティングプランの中に書かれている「〇〇のターゲットのインサイト:より良い豊かな生活を送りたい」的な記述。

その理由として挙げられるのが「創業の精神」という抽象的・精神論的なものや、「〇〇のターゲットのXX%がそう願っているから」という定量調査の結果だったりします。(具体的な企業名やブランド名は挙げません:ご理解願います)

でもそれ、じゃあ顧客(潜在顧客を含むB2Cにおける一般の人やB2Bにおける相手先、企業ブランドの場合には社員も)に明らかな独自性、その企業・ブランドならではのものとして伝わって・納得されているのか、といえばもちろん答えはNO

なぜそうなってしまったのかと言えば、担当者たちやその上の方々が議論を重ねていった結果、社内外の誰から突っ込まれても大丈夫(=誰も「それは違う!」と言えない)ような表現となってしまったか、担当者がもっともらしい表現にしたかった(=「あれ、自分が考えたんです!」と周りに自慢もできる)、というような背景がかなりを占めると推測(という名の確信を)してます。

で。

私はこの考え方を、仕事で関係する方々に「最大公約数」と表現しています。「主に多くの人の意見に共通する部分を取り入れた結果、無難だけど一般的でほとんど独自性が見られないものになった」、という意味です。

それに対して、ブランドのミッションやパーパス、顧客のインサイトなどを企業で規定する際には、そのブランドの独自性、「ならでは感」の部分を思い切って強調することが重要である、と説明していて、これを「最小公倍数」と表現しています。「共通する部分や無難なものをつなぎ合わせた形を求めるのではなく、独自の部分を拡大・強調していくことで、対象となる顧客の記憶に強く残る(=ブランド)ものとする」ということですね。

もちろん、顧客にとって意味のある独自性、ならでは感を見つけるためには、様々な調査や深い分析が必要なのですが、その際にキーとなるのは、定量調査よりも定性調査、個々のコメントであるとも考えています。小さな中にキラリと光る原石を見つけてそれを磨き上げ、自社にも顧客にも価値のある表現にすることこそ、担当者の冥利に尽きるのでは、と。

当然、そのためには周りからの反論や尖った表現へのリスクを恐れる人たちに対して説得する勇気と根気と忍耐力と信念と気力と体力も必要となりますし、自分勝手な思い込みの暴走はもってのほかですが、その評価は結果としての顧客の頭の中の記憶と反応で判断されるものなので、冷たい水の中を震えながら登って行きましょう。ファイト!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?