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『訪れた証・11』

 この話は2022年12月5日にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。そのままここに掲載いたします。 これは掲載第182作目です。


 有給休暇の平日の一日、普段働いている時間にBSをザッピング。複数局同時刻横並びで韓国ドラマが放送されていてびっくり。

 海外の旅先のホテルの部屋でテレビをザッピングすると、分からない現地の言葉でのやりとりが次々と画面に現れてきて異国にいることを改めて知らされる。それと同じ感覚を覚えた。
 「韓流ファンはどうやってリアルタイムで全部見るのだろう?」と思った。ハードディスクを駆使するのだろうか?
 韓流ブームはまだ続いているのか。いや、ブームではなく、韓流ドラマは食卓のキムチのようにとっくに日本で市民権を得てしまっているのかもしれない。ある層には日本の番組と横並びでも違和感がないのだろう・・・食卓のキムチのように。
 記憶に新しいソウルで起きたハロウィンでの大惨事。場所は人気ドラマのロケ地にもなったという梨泰院(イテウォン)。観光客や現地の若者の人気スポットだそうだ。
 僕のように1990年代初頭くらいから韓国、主にソウル、へ行くようになった日本のトラベラーの当時の目的は、本場の焼肉を食べて、偽ブランド品を買うことだったと思う。女性はそれに「エステ」ではなく「垢すり」が加わっていた。
 本物の焼肉と偽物のブランド品。本物と偽物を同時に求めに行くなんて旅の目的は歪んでいたような気がする。
 大昔のパスポートによると、僕の韓国初上陸は1991年の10月のソウルだった。当時大学を卒業して航空会社に就職して二年目だった。自分にとって初めての日本以外のアジアだった。
 同時に日本以外のアジアを最初に知ったのは香港だと信じていたが、韓国が先だったことを知った。香港はその翌年だった。
 本場の焼肉を食べるという目的だけでスケジュールの合う同期たちとソウルへ行ってみようということになった・・・表向きは。真の目的は先輩たちから伝え聞いていた偽ブランド品がたくさんあるところとはどんなところだか行ってみよう・・・だったかもしれない。
 当時韓国に入国するにはビザが必要だった。事前に都内にある大使館で取得した。たった一泊の旅行だったが。
 

現在のパスポートより縦長だった当時のパスポート
韓国のビザ。ビザのハングル文字に韓国を感じます。
韓国の出入国のスタンプ
成田から出発・帰国したのスタンプ。よく見ると日付から一泊二日だったのが分かります。

 宿泊は客室乗務員たちの当時の定宿だったロッテホテル。割引で宿泊できた。焼肉のメンバーに乗務で来た同期もいたかもしれない。
 その後何度も仕事でソウルを訪れることになるのだが、このとき以来ロッテホテルには宿泊していない。
 焼肉は食べたような、食べなかったような・・・。夕食のチャンスは到着した日の夜しかなかったし。その後仕事で来るようになって現地の人に現地の人しか来ないところへ何度も案内してもらったので記憶が上書きされてしまった。
 翌日「ニセモノ」がたくさんあるところはどんなところか行ってみることにした。いいものがあったら買っちゃう?的なノリで同期たちとニセモノで有名な通りを目指した。そこが何とあの梨泰院だったのだ。
 梨泰院と耳にして真っ先にニセモノが思い浮かぶであろう僕と同時代にソウルを訪れていたトラベラーにとって、梨泰院を文字で表す場合、カタカナの「イテウォン」のほうがしっくりくるのでは? 漢字の字面は綺麗だが・・・。
 いざイテウォンに降り立つと、意味を理解する取っ掛かりさえ掴めないハングル文字の看板に埋め尽くされた光景に圧倒された。店先に並んでいるもので何の店か分かる有様だった。
 通りには洋服屋、靴屋、鞄屋などが軒を連ねていた。当時は米軍基地が近くにあり、米兵相手の商売が盛んだったそうだ。
 米兵が集うところに客室乗務員たちも集まってきたようだ。自分の名前や会社名が刺繍されたガーメントバッグをキャリーバッグに括り付けている各国の客室乗務員たちをそのころ空港でよく見た。鞄屋の軒に吊るされている数々のサンプルからここで作っているのかと思った。
 しばらくしてそのガーメントバッグはほとんど見なくなった。どことなく安っぽく見えたから各社禁止したのかもしれない。
 ほとんどの店の前に呼び込みが立っていた。呼び込みがそっと発した日本語の「ニセモノ?」の声に反応してある店に入った。洋服屋だったと思う。
 案内された店の奥の奥のさらに奥は別世界。何の店に入ったのか忘れるくらいブランド品のニセモノの時計やバッグがズラリ。圧巻の景色に絶句。イテウォンはこういう店が軒を連ねていた。現在の「韓流ドラマの聖地」は「ニセモノの聖地」だったのかもしれない。
 某高級時計ブランドのそれと分かるニセモノを自分の「初韓国・初ソウル」の訪れた証に。旅好きで洒落の分かる従姉には同じ腕時計のレディースを。当時学生でその数年前に同じブランド・・・と言ってはいけないのだが、の腕時計をメキシコ土産にくれた弟には、1990年代に大流行した象のマークが付いたブランドのニセモノの定期入れを韓国土産にした。
 腕時計二本に定期入れ一つ。確か1万円でお釣りが少しきた。すべて本物だったら一体総額いくらに・・・なんて考えてはいけない。
 値引き交渉の最中、これは交渉ではなく悪い取引なのではと思い始めた。航空会社の職員がこんなことをしていいのか、一刻も早く店から立ち去らなくてはと落ち着かなかった。もし税関で見つかったらクビ? 先輩の〇〇さん税関でバッグを見つかって怒られたって言ってたっけ。洒落のつもりの買いもので洒落にならなくなったりしたらなどと葛藤した。

「初韓国・初ソウル」の「訪れた証」。ブランドのエンブレムにモザイクをかけました  。  う〜ん、やはり見るからに「ニセモノ」(苦笑)。 売るほうは日本人が買うかどうかを本物に近いか否かのバロメーターにしていたと当時仄聞しましました。


グレードの低い「ニセモノ」だったのか、ベルトの裏はこの通りコンビではありません(苦笑)
明らかに「ニセモノ」(苦笑)。


これが弟のメキシコ土産です。文字盤の曜日はずーーーっとSaturday。週末用なのかも。韓国のシルバー、メキシコのゴールド・・・旅の黒歴史。

 怯えながら持ち帰った「ニセモノ」は帰国して散々各所でネタにして面白がり、あっという間に飽きてしまった。飽きたと同時に大学卒業と就職祝いに両親から貰ったシルバーの本物を持っているのにこんなものを買ってしまったと後悔した。
 後に機内販売の免税品のコーディネーターに異動になった。旅先の免税店やブランド店も意識するようになった。旅の経験が豊富になるにつれて数多くの本物も目にしてきた。本物を見る目がある程度養われた後で面白半分で買った「訪れた証」を見ると身が縮む思いがした。
 初めてのアジア、初めての韓国。こういう世界もあるのか。韓国ってこういうところなのか。アジアの他の国々もみんなこんな感じなのだろうか。
ほんの数時間イテウォンを見て歩いただけだったが、韓国は日本とは大違いだった。面白がり、楽しみながらも「何か違う」感覚が残った。違和感とはこういうものなのか。
 その後訪れた香港、台湾、シンガポール等は、仕事で訪れる度に「次は休暇で」と思った。韓国に仕事以外で休みを取って訪れることは以来一度もない。
 旅先を選ぶ際に「せっかく時間とお金をかけるのだから」という気持ちが航空会社を辞めてから余計強く働くようになった。韓国は選択肢にさえならなかった。今も親しくしている現地の人たちには会いたいけれど。韓国は自分の中では「近くて遠いところ」なのだ。

旅の選択肢になかなかならない「近くて遠い」ところでも最新情報は気になるのです。 編集が上手いのか「行ってみようかな」と思ってしまいます。当時の面影はほとんど見えず。
タイのイメージが強い下川裕治さんですが、韓国もかなり旅していらっしゃいます。 この本は3,4回読みました。本文の中でなぞってみたくなったこともいくつかありました。 ハングル文字の看板で埋め尽くされた光景を「ハングルの海」と表現なさっていたのは舌を巻きました。そして読む度に大酒を飲んでしまった記憶と、この本でずっと疑問だった温泉マークのことが分かったことを思い出します。

今は11月末。この2022年は、旅はおろか大した遠出もせずに終わりそうだ。その分、2022年に書いて掲載していただいた各話を振り返ると、手前味噌になるが、例年になくじっくり・しっかり書けたと思っている。「書いておきたい」とずっと思っていた話をいくつも書けたし。
 行くつもりで叶わなかったところへは2023年には必ず行くつもりだ。先月失効したパスポートも作り直さなければ。
 トラベラー各位にとって、思い通りの旅ができた2022年だっただろうか? 少々消化不良を感じるくらいがいい旅なのでは?次に繋がるし。 
 トラベラー各位、どうぞ良いお年を、そして、2023年もどうぞ良い旅を。
 
追記:
「訪れた証」は今回で11作目。過去の「訪れた証」も「みんなのストーリー」に全て掲載していただいています。
ソウルへ日帰り出張した『日帰りで・・・』も、仕事の後で大酒を飲んでしまった『お会計32万』もnoteでもご覧いただけます。 



         「おとなの青春旅行」講談社現代新書                              「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿













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