『Barにて・1』

 この話は2011年1月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第39作目です。

 ストーリーを一つ書き終えて、同じ括りで続編が書けそうな場合は、後からタイトルに番号を振る。今回のテーマはバーなので最初から番号を振れた。
 年末の一日従姉の長男(大学院生)と長女(大学生)を連れて、僕のストーリーには何度も出てきている、御茶ノ水にある英国風パブに行った。年齢的に2人とも酒場が面白くなってくる頃だ。
 以前にも連れてきていたので、その時3回目の来店になる長女のほうは、勝手知ったる行き着けの店という感じで店のオーナーに自然に挨拶をしていた。
 こういう本格的なお店は初めてだという長男のほうは少々緊張していた。彼女は以前飲んだもので今回も楽しみにしていたものを、長男は勝手が分からないながらも、好きだというジンを使ったカクテルをオーナーに説明してもらいながら飲んでいた。
 彼は時間が経ってその場に慣れてくると、同じカウンターで飲んでいる他の常連たちとも自然に話し始めていた。そんな彼の様子を見ているうちに、自分が酒場を面白いと思い始めた頃のことや、旅先で入ったバーのこと等を考え始めていた。
  1988年の大学3年生の夏休みに、ニューヨークのロングアイランドにある大学の外国人向けの英語のクラスに一月通った。
 テストの結果10人ほどのクラスに入れられた。ドイツ人が一人、イタリア人が一人、その他は全て日本人だった。
  当時日本はバブル期だったので、海外のどこに行っても日本人がたくさんいた。せっかく英語の本場に勉強をしに来ても、こんなに日本人が多くては日本で勉強しても変わらないなという思いが日増しに強くなってきた。
 前年の夏休みに一ヶ月イギリスにいて学校に通ったので、パブ(ほぼバーと同じ)は十分に体験していた。日本に帰ったらパブが恋しくなるなと思うくらい通った。
 ニューヨークではマンハッタンにあるバーに行ってみたいと思っていた。学校にいるだけでは、せっかく海外にいるのに海外にいる気がしないので、外国に来ているのだと感じなくてはと思い立ってバーに行って見ることにした。
 ロングアイランドから電車に乗り、1時間ほどでマンハッタンに着くと、人の流れに任せてエンパイア・ステート・ビルの方へ歩いて行った。
 学生にはちょっと敷居が高そうだったが、アメリカにいるのだと思わせてくれそうな一軒のバーに入った。カウンターに座ってビールを飲みながら煙草を吸っていた(当時は喫煙者でした)。
 3席くらい離れたところで1人の若い黒人女性がライターを貸してくれと煙草を見せながら手振りで合図をしてきた。
 そのとき僕が使っていたのは、現地で買った英語のスラングが印刷されている100円ライターだった。そのライターをカウンターの上を滑らせて渡した。
 ライターを手に取ったその黒人女性は煙草に火を点けてから印刷されている英語を読んで笑っていた。女性を少々軽蔑したフレーズだったのでどうなるかと思ったが何ともなかった。こんなことは危なくて今では絶対にやらない。
 なかなか綺麗な顔をした女性だったが、ライターを返してくれる時に、こちらに顔を向けて見せてくれた満面の笑顔の上にむき出された歯には、歯列矯正の器具がガッチリとはめられていた。
 彼女がライターに印刷されていたスラングに笑ったくらい、不謹慎だが、僕は彼女の普通の顔と顔中が矯正器具になった笑顔のギャップに笑いたくなった。
 そのお店では十分に楽しめたので、ニューヨークのバーって面白いぞと思い、もう一軒行ってみようと席を立った。ちゃんとビール空き瓶の下に1ドル札をチップとして置いた。
 良さそうなお店はないかと歩いている時に通気孔から煙が上がっているところがいくつかあった、何だか、Stingの「Englishman In New York」のプロモーション・ビデオ(同時は “PV”なんて言わなかったと思います)みたいだなと、歌詞の内容に自分をだぶらせたりしながら歩いた。ようやく外国にいるのだと思えるようになってきた。
 感じの良さそうなバーが目の前に現れたので入った。それほど混んでいなくて、客は全て地元の人のようだった。日本語が一切聞こえてこないのが良かった。
 お酒が進むにつれてバーテンダーと話をするようになった。自分が何をしにロングアイランドに来ていて、どうしてわざわざマンハッタンまで来てこんな時間にバーに来ているのかも話した。
 「外国に来ていても周りが日本人ばかりなので外国に来ている気がしない」と言ったのが効いたのか、そのバーテンダーは、僕にそのお店のロゴが入った売り物の緑色のTシャツを一枚くれた。
 思いも寄らぬ展開に驚いたのと、英語が通じた嬉しさと、バーって面白いな、外国って面白いな・・・等、少々酔っていたこともあって、上手く言い表せないが楽しくて嬉しい気持ちで一杯になった。
 トイレに席を立つと男性用は使用中だった。僕とバーテンダーのやり取りを見ていたウエイトレスの一人が気を利かせて女性用のドアを開け、灯りを点けてくれた。もちろん、酔いながらも彼女の気転にチップを渡した。こういう体験をしてしまったせいか、その後の旅では旅先で必ずバーへ行くようになった。
 従姉の長男も御茶ノ水のその店では別世界へ旅をしたような気持ちになったかもしれない。店のドアを開けると、見たことのない酒瓶が並び、会ったことがない知らない人達がいる。飲み代の払い方も居酒屋とは違い、注文の度に支払うキャッシュ・オン・デリバリー。お酒が進むうちに隣り合わせた見知らぬ人と話始める・・・等、ドアの向こう側では見ず知らずの人達がいて日常とは違うルールの世界がある。
 始終笑顔で飲んでいたし、常連客とも自然と話していたのでバーを楽しむ素質は十分にあると見えた。また来たいと言っていたのでバーの面白さがいくらか伝わったのだろう。
 長男も長女もこれからどんどん国内外を問わず旅をするようになるだろう。2人とも旅先でもそれぞれバーを楽しんでくれたら嬉しいものである。そして、幼い頃から知っている2人と世界中のバーについての情報交換が出来るようになったらもっと嬉しいだろう。
 僕の場合、旅した数だけ訪れたバーがあると言っていい。海外でもある程度気を付ければバーは危険なところではない。滞在したホテルにバーがあれば必ず訪れるし、気に入れば滞在日数と同じ回数立ち寄る。
 街中のバーも地元の人達しかいないような店ならば、観光地以上にその国に触れられるところだと思う。バーテンダーとの会話も楽しい。
 今作も無事書き終わったので一杯飲みに出掛けてこよう。

 


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