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雑記/「おらんうーたんになりたい。」以前のわたしについて。

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動物園・水族館に強く関心を向けて活動を行うようになる以前に取り組んできた活動や、関心があった物事などについてまとめました。またその他雑多な話題も詰め込んでいます。いわば「動物園・… もっと読む
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記事一覧

【私家訳】マルティン・ハイデガー「メスキルヒ700年」

年末に地元に帰省し、「都市と地方の文化的格差」をめぐる私のこれまでの関心軸の原点となった懐かしいテキストを再読した。マルティン・ハイデガーの講演録“700 Jahre Meßkirch”。大学2年次の必修ドイツ語で講読したそのテキストは、ローカルな地域社会に「近代」の力が差し迫ることの及ぼす影響を問うものだった。 いま改めて当時の講義ノートを見返し、わたし自身にも影響が大きかったこの講演録の「私家訳」をまとめたい。この講演録が「メスキルヒ市市制700年」に寄せる講演であった

【顛末書】蜻蛉玉鰐の涙も塩からく

ご無沙汰しています。お元気でしょうか。 8月の初旬から9月の終わりまで、抑鬱状態にありました。地元を出て以降の約10年間で、もっともこころの状態が荒んでしまっていました。 原因ははっきりしています。これまでの過労がたたり心身ともに疲弊していたこと、本務の環境が変わり適応できないままでいたこと、自身の引越しや実家の法事のため生活が落ち着かなかったこと。暑すぎる長い夏。 休む時間がなかったわけではないし、マッサージ、鍼、カウンセリング、こころの病院(30年生きてきて初めて足を

【小説】カーニバル

 「はいできましたよ、どうぞ」  熊井はどろんと濁った瞳を配膳された丼のなかに向けた。大盛りの米の上に味噌とくるみで和えられた黒々とした肉がこんもりと盛られている。脇にはごまをふったほうれん草が添えられていた。店内には店主と熊井のふたりしかいなかった。                  *  家電用機器の部品を取り扱う小さなメーカーに入社してから7年。熊井は主に総務や経理の業務を担当していた。取引先の無理な要求に急き立てられた営業との軋轢など不平不満もない訳ではなかったが

【雑記】ちがう仕方で。――表現と輪づくりについての覚書4

 盛況だった文学フリマ東京に足を運んだ。  「好き」にまっすぐな人たちから放射され会場内に立ち込める情熱を浴び、「好き」の結晶を抱え切れないくらい受け取り、刺激を受けた。  ただ、同時に思う。いま私にそういう形でのエンパワメントは可能だろうか。  変化の季節を経て、4月は環境に馴染むので精一杯で、外に目を向ける余裕がなかった。ただ、連休を経て少しだけ見晴らしが良くなってきて、しばらくお預けとなっていた動物園や水族館にも足を運ぶことができた。  ビビッドな生々しい形でイン

【雑記】数的イップス

 僕の書く文章には数字があまり出てこない。もともと規模や順序を表す符号としての数字に対する感覚が昔から鈍く、数字を扱うときはいつも足の形に合わない靴を履いている気分になる。  計算して導くことができる(あるいは、計算して導かなければならない)ならいい。いま僕が悩まされているのは自明に順序が存在する数字のことだ。具体的には日付。月火水木金土日、かならず特定の日付が対応している。そのことは何でもない。しかし、日付と曜日との対応関係をキーボードの打ち間違いではなく、認識のエラーとし

【雑記】大きな足桶がほしい

 いよいよ冷え込みが厳しくなってきた。特に足先が寒い。大きな桶を買ってきて、在宅のあいだだけでもセルフ足湯を開設してしまおうかと思ったりもする。冷めたら取りかえるのが面倒だから結局やらないのだけれど……。  この頃は勤め出してからもっともハイペースで小説を読んでいるかも知れない。綿矢りささんの『私をくいとめて』は良かった。映画も観ていたから、二倍楽しめる。余韻に浸れる。  三連休の最終日からは安部公房『カンガルー・ノート』と江國香織『号泣する準備はできていた』をゆっくり読

【雑記】踏み出せない日常を生きる(あるいはハンバート ハンバートへのラブレター)

 昨年の夏ごろから、ハンバート ハンバートの音楽にずいぶん救われてきた。  8月末に閉園間近のとしまえんで開催されたライブ配信を視聴して虜になった。12月末の渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)からのライブ配信も心の支えになってくれた。  ライブの場面だけではなくいま私は、過ぎてゆく日常の中で届けられるこのデュオの音楽に心惹かれている。  毎週youtubeで配信されている「みんなのFOLKへの道」は、いまの生活の中での楽しみのひとつだ。春夏秋冬すがたを変え

【雑記】重い蒲団をかたづける

 明けましておめでとうございます。  昨年はnoteへの投稿記事を見て頂き、ありがとうございました。  本年もよろしくお願いいたします。  世情を見て帰省せずずっと東京にいたこともあり、例年以上に実感がない中での年越しでした。  昨年の年始は閉園を目前にしたみさき公園へ、その前の年始は台北へ。  ここ数年、年末年始を思い切った(軽率な?)旅の機会と位置付けていました。安心な僕らは旅に出ようぜ、というくるりの歌にどこか勇気付けられるようにして。  これまで旅に力を借

【雑記】ちがう仕方で。――表現と輪づくりについての覚書3

 先日から𠮷田恭大さんの歌集『光と私語』(いぬのせなか座,2019)を読んでいて、印象的な歌に出会った。 脚の長い鳥はだいたい鷺だから、これからもそうして暮らすから    この歌について、付録の栞で堂園昌彦さんが解説されている。  この鳥をアオサギだとか、コサギだとか、ダイサギだとか、あるいは鷺じゃなくてセイタカシギだとか、そういった同定は行わない。(中略)この人にとって鷺を見る喜びは喜びとしてあるが、それはアオサギの生態を細かく認識していくことでも、あるいは一羽一

【雑記】ちがう仕方で。――表現と輪づくりについての覚書2

次のステップとしての個人誌を構想するにあたり、今まで苦手としてきた、「表現の引き算」に挑戦することを課したい。/ ちがう視点でのつづり方を試すことなしに、自分の慣れ親しんだ表現形態にばかり固執していては、私が個人誌を通じ表現したいテーマ――「おなじ、だけど、ちがう。いろんなちがいを、みとめあうこと。」はけっして実践し得ないと思うから。  じめじめとした梅雨のはじめ、私はこのように綴った。「違う仕方で」表現の輪を結び直そうと思った。ただ、「個人誌」という、孤独な形での創作ばか

「ぼくは言わない」なんて、言わせてもらえなかったけれど #8月31日の夜に

 いつもと違う8月。ぬるりと炭酸の抜けたソーダのような時間が流れていって、9月を迎えようとしています。  どこにも行かず、誰にも会わないでいると、こころは過去へ過去へと向かっていくんですね。穴ぼこを掘るように、忘れていた昔のできごとをふっと思い出しては考え込む日もありました。  自分の中ではもうとっくに整理をつけたはずだった記憶。でも見えない返し針が引っかかっていて、こころに刺さったまま抜けなかった記憶。 *  わたしは中学校に入ってすぐ、クラスの誰からも話しかけられ

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東武動物公園 2019/09/15 女王様のうしろがみ

【雑記】「だるまおばけの宮殿」

 生家の裏庭には古い納屋があった。物心ついたばかりの頃にひとりで生家の敷地を探検した時、その納屋にも気付いた。  木の重い引き戸をがらがらと押す。未就学児の力では少しずつしか開かない。納屋の入り口ではどんな作業に使うのか分からない祖父母の農具に蜘蛛の巣が張っている。  中は暗かった。裸電球がひとつ心もとなくぶら下がっている。  背伸びしてスイッチをひねった。橙色に照らされた納屋の奥の箪笥に、まだ目に墨が入れられていないだるまが置かれていた。目が合った。だるまは白いまなざ

私の作文術ですが、‪関心の種を140字にばらまいておき、書きたいテーマを見つけた時に、関係がありそうな過去の投稿を単語エゴサーチで引っ張り出してアイデアの芽を伸ばしていくスタイルを主力にしています。KJ法における「カード」を、ひとつひとつのツイートで代替しているようなものです。‬