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JUST GET LOST

真夜中に彼から連絡が入るのは珍しいことではなかった。

その度に私は新しい下着に着替えて入念に化粧をした。
洋服を彼の為に新調することも、量産型のワンピースをまとう事も私の世界にはなくて、ただ「気の強そうな女」「自我が強そうな女」
きっとそんな風に見えるだろう。

でもその「自立した女」という風貌は結局「彼の好み」であり…いや、正確には違ったのかもしれないな。
何もかもを勘違いしていたのかもしれない。

「彼の為に」なんて所詮自分を守る為の言い訳だ。

呼び出された通りに近所のファミレスに出向き、ロック解除したままのスマホの画面をぼぅっと見つめながら彼の到着を待った。

今日どんな話をされるのかなんてもうわかってる。

私にも備わっていた「女の感」ってやつを、今日ほど恨んだことはなかったな。

アイスティに入った氷が、三度目に音を鳴らした時、
やすっぽいベル音が店に響く。

いつも通り着古したジャージを被って、へらへらと笑いながらこちらへ向かってくる無精髭の男が、今日私に何か伝えたいことがあるらしい。

「待った?」への返答なんて、見たらわかるじゃない。
当たり前の状況説明を私はこくりと頷きで済ませる。

ごめん、とかもないんだね。

ドリンクバーのオーダーを済ませると彼はいそいそと席を立ち、コーラとおしぼりを手に席へと滑り込む。

そこから数分。いや、数十分だったかもしれない。

ひたすらにコーラのズゴゴゴという飲み込まれる音だけを聞いていた。

「炭酸ってさ、ストロー浮いてくるよね」
「ファミレスの深夜料金ってさ、高いよね」

やっと口を開いたかと思ったら
そんな他愛もない会話で場をやり過ごす。

「そうだね。」

私はきゅっと口角をあげて、
二人して同じタイミングで煙草に火をつけた。

「それでさ、どうしたの?珍しいじゃん。ファミレスなんて」

彼が言い出さないことはわかってる。
私が切り出さないと。

いや、違うな。

私がこの空気に耐えきれないだけだ。

ほら、またそう。
彼に寄り添うつもりで自分を庇う。

「ほら、居酒屋とかだとさ、お酒入るとさ、アレじゃん。」

彼がヘラりと笑うと私もそれに呼応して「そうだね」と言いながらヘラりと笑った。

「それにさ、ここのファミレス、俺がこっち越してきたとき、最初に二人で入ったじゃん」

そうだね、3年前あなたがここに越してきて
同じ沿線だから手伝うよ、なんて下心を隠しながら手伝いに来たっけ。
近所の商店街の安い金物屋さんと雑貨屋さんで
あれやこれや買い物して、大きな荷物を抱えてここに来たね。

『二人で住むみたいだね』なんて無邪気に笑うから私もその気になって、
来客用のお皿だの箸だのをこっそり女物にしたりとかしてさ。

それから週の半分位は一緒に過ごしたよね。
どちらかがいない日もどちらかの家にいたりとかして、周りにもお似合いだねって言われたりして

付き合う、付き合わない、そんな口約束の前に結ばれてしまった私たちだったけど
なんだかそんな風なことがとても自然だったよね。

ねえ、いつだったの

今からいう言葉の、その1文字目が頭の中に浮かんだのは。

「あー、えっとさ。だからさ、あのー、洗面所にあるやつって、どうする?」

「洗面所?」

「うん、あの無印で買ったやつだよ」

「あぁ、基礎化粧品か」

「うん、なんかわかんないけどボトルのやつとか」

「え?どうする?って??なんで?」

ドキドキしている。もう泣いてしまおうかな。
喉のあたりがきゅっと熱く畝りをあげるのがわかる。
私は知っている答えを彼から引き出そうと
彼に負けじと遠回りを繰り返す。

「いや、あの、なんで…っていうのは…その…」

アイスティの氷がまたカランと音を立てて溶けてゆく。
その分グラスは汗をかいていて、
目の前の彼とリンクして飲むのが嫌になる。

「好きだよ、好きなんだけど、それはなんか仲間として、あいや…家族として、かな。なんかそういう好きって感じでさ。恋人としてどうかなって、なんかそういうのが最近わかんなくて。」

「でもさ、凄く好きなんだよ、気も聞くし、俺の事いろいろわかってくれてるし」

「だけど…」

だけど、何。
彼が捲し立てるかのように饒舌になった後、静かに息をしたのがわかった。

その決意みたいな息の音が
苦しくて苦しくて耐えきれなかった。

いつもそうだったよね。
デートの約束の日に仕事が入ってしまった日も
寝坊して休日の計画が流れた日も
なにか言いづらい事があるたびに
あれこれ言葉並べて自分が悪者にならないように
沢山の言い訳を披露してきたね。

でもその言い訳を始めるあなたの癖を、
なんどもなんどもみてきてるから
その度に「はっきりいいなよ」なんて許してきたから
あなたが言葉に詰まっているその奥の真実がわかるのよ。

今日のために覚えてきた感覚なわけじゃないのにね。

全ての出来事が伏線のようにフラッシュバックしてくる。

あの時みたいに「はっきりいいなよ」って
言えればいいのにね。
私はあなたのその言葉を黙って聞くしか出来なくて
喉の奥で辛そうに待機している涙すらも出なくて

やっとの思いでアイスティのストローをからんと無駄に一周させることしか出来なかった。

はっきり言ってよ。
ねえ、優しい言葉を並べられても
辛いだけだよ。


「別れよう」

「別れない」

「もう無理」

「無理じゃないよ」

「好きな人がいるんだ」



…言わないでよ。
はっきり言わないでよ。
知ってるよ。全部調べたよ。

全ての答え合わせが済んだ後、彼は「ごめん」と伝票を抜いて席を立った。

遅れてきても謝らなかったくせに。
いつも割り勘の癖に。

流れるように消えていく彼の背中が
愛おしくてたまらないよ。

ねえ二人でさ、テレビを見ていたあの日の夜みたいに
後ろから腕を回して
ぎゅっと抱きしめてしまいたいよ。

息を感じる近さで、なんどもなんども抱き合ったじゃない。

あんなに近かったはずのあなたの身体が、どんどん遠くなるのに私は腕すら掴めずファミレスの喧騒に消えて行くだけだった。

窓越しに寒そうに背中を丸めて帰っていく彼を見ていた。

大通りに面したこの店からは、深夜のタクシーの往来もよく見える。

反対車線のタクシーがこちらへ曲がってきた時
ハイビームで照らされた彼は光へと消えていった。

少し遅れて無表情の店員が彼のグラスとクシャクシャになったおしぼりを片付けていった。


同じ煙草になんてするんじゃなかった。



もうここにはなにも残っていない。


『JUST GET LOST』乃下未帆





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