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躁と鬱の可視化(私の場合)

2月29日に、「23歳のえりだ」という予定が入っている。27歳の私は、小林賢太郎の『うるう』を観に行かなかった。きっと4年前、『うるう』を見た私からの何か伝言が入っているのだと思うけど、せっかくだからとまだ開けないでいる。

4年前からは、随分遠くに来た気がしている。仕事も転々として、今はどうにかフリーランスのライター/編集で生きているし、今月頭には実家を出て、後輩の家に居候している。来月末には、ソーシャルアパートメントという、シェアハウス的なところに引っ越す。段階を踏んで、世の中的には遅いけど、独り立ちをしようとしている途中だ。

2020年、年始からいい感じにここまでやってきたと思っていた。仕事は楽しいし、精神が不安定になって動けなくなることもなかった。人と会って楽しく話したり、映画館や美術館、イベントに足を運ぶこともあった。家事もまあ、どうにかこうにかやっていた。いいじゃん、できてるじゃん、私、と思っていた。ついさっきまで。

〆切を1つ倒して、買ってきた早めの晩ごはんを食べながら、テレビで新型肺炎についてのニュースを見ていた。確か、ニュースの途中で速報が入ったときだったと思う。いきなり、声をあげて泣いてしまった。

Twitterでは毎日のように、演劇やライブの中止や延期の情報が流れているし、新型肺炎に関するネット記事も山のように出ている。正直言って、私にとって情報過多な状態だったようだ。2011年の震災のときも同じことをして、しばらく塞ぎ込むことになったのに、また繰り返してしまったのだ。

情報の過食。なんでこういうことをするかって、とにかく不安だからなのだ。怖いものから目を反らして、気づけば何も分からない状態になっていることの方が怖い。だからTLを追って、ご飯の時にはニュースを見る。そうやって情報を集め続けている間に、いつの間にか精神が疲れていて、さっき号泣したみたいに爆発してしまう。

今回はタイミングも悪かった。2020年、いい感じにここまでやってきたと思っている私は完全に「躁状態」だったと、精神が砕け散ったあとに気が付いた。浮かび上がってくる小さな不安は、直視すると動けなくなるからと、見ないふりをしていた。(そういうことができるようになったのが、いいのか悪いのかは分からない)。仕事も生活も不安だらけだったのに、それを適切に処置してこなかった。そんなところに、新型肺炎のニュースを注ぎ込んでしまっていたから、そりゃ爆発もするよね、という感じである。

「躁状態」がぶっ壊れた今は、「やや抑うつ」から「とても抑うつ」を秒単位で行ったり来たりしている。とにかく今できることを、と思って、動けなくなってもご飯が食べられるようにお米は炊いた。安定剤代わりに、欠かさずカモミールティーを飲みながら、ぼんやりとしたり唸ったりしている。

4年前から、遠くに来てはいるのだと思う。自分で自分の精神安定を図ることができるようになっているし、自分をむやみに傷つける行為はしなくなった。でもやはり、芯にはずっと変わってない私もいるから、ちゃんとその声も聞いて、一緒に連れてきてあげなくちゃと強く思った。

過去の自分を全部抱き締めて、楽しい世界を見せるんだ。


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