幼少期__1_

人に歴史あり!【時代の変わり目】

こんばんは!書くンジャーズ木曜担当 のせ です。

今日が木曜日だということをすっかり忘れておりまして、更新がこんな時間になってしまいました(昨日寝る前までは覚えていました)。今週のテーマは「時代の変わり目」。来年5月の改元を控え、皆さん耳にタコができるほど「平成最後の◯◯」というワードを聞かされているんではないでしょうか?平成から◯◯に元号が変わるわけですが、果たして時代は変わるのか。

昭和58年生まれの私が平成を迎えたのは6歳の時。自粛ムードも「平成」の文字を掲げる小渕恵三官房長官もまったく記憶にございません。職場の後輩に対して「平成生まれだなぁ」と思うことも無くはないですが、自分自身も昭和を6年間、平成29年間と圧倒的に過ごした時間は平成の方が長いわけで昭和と平成の間で時代の変わり目を感じたことはありませんでした。

そもそも改元したからって時代が変わるわけじゃないですよね。でも、人間は区切りを付けることで、リフレッシュしたがるものですからね。年末になれば「◯◯納め」。年が明ければ「◯◯初め」。平成終わるんだから「平成最後の◯◯」って言って不景気&災害続きの時代を終わらせようって気持ちも分かります。

と、そういうことを書こうと思っていたのですが、仲の良い友人に今回のテーマの話をしたところ「私は天皇陛下大好きだからな」といかに今上天皇陛下が苦労してきたかという話を聞かされました。とても納得してしまったのが、「親(昭和天皇)が神様だったので一緒に暮らせなかった」「ある日突然神様だった親が人間になった」という話。確かに神様と崇められていた父親がある日突然、象徴になるという衝撃といったらないだろうと。そして、皇后陛下の出会いで人生が変わったとの話も聞きまして、「ああ、人に歴史あり」だなと、今上天皇陛下にとっては終戦と皇后陛下との出会いが時代の変わり目だったのかなと思いましたのでここからは私の趣味の歴史を振り返りながら時代の変わり目を見ていきたいと思います(え?誰も興味ないって?)。

ちなみに先ほど帰宅しましてただいま22:51です。本日中にアップできるか心配。

資格取得・検定試験(6歳~現在)

記憶をたどると中学生の頃からよく資格のガイド本(こういうの)を読んでは何か取れそうな資格はないか調べていた気がします。とはいえ、高校時代は英検くらいのもの。ハマりだしたのは就職してからで、これまで

・英検2級
・実用中国語技能検定試験準4級(だったと思う。記録なし)
・ホームヘルパー2級
・日商簿記3級
・全経簿記2級
・日商簿記2級
・全経簿記1級
・防火管理者
・1種衛生管理者
・ウェブデザイン検定3級
・保育士
・FP3級
・ビジネスマネジャー検定試験®
・HSK2級

と取得してきましたが、これは元をたどると子どもの頃の習い事の影響がとても大きいように思います。水泳(10年間)、そろばん(6年間)、習字(4年間かな。嫌いだったので覚えていない)など、どれもスモールステップで級が上がり、その度に達成感を得られていたんだと思います。以前ブログで「共働きだったので習い事させられていたんだろう」的なこと書いたら、それを読んだ母親にめちゃくちゃ怒られたわけですが。その時の体験が今現在の色んなことに繋がっているように感じます。本当に両親(特に母親)に感謝。

ですので、資格取得に関しては子どもの頃の習い事が時代の変わり目(こんな感じを繰り返していきますのでよろしく)。

バレーボール(12歳~27歳)

小学校卒業する頃にはクラスで一番背が高かったこともあり、グラチャンでV6や嵐が歌えや踊れしていたこともあり、中学校からバレーボールを始めました。チームは弱小でしたが、背が高いという理由だけで県の選抜の合宿に参加させられ自信を失くして帰るという経験もしております。部活とは別にクラブ活動でラグビーを少し経験したところ楽しくなり、高校ではラグビー部に入ろうとしておりました。が、高校のバレー部の顧問が1年の頃の副担任。あれは健康診断の日だったと記憶しています。「先生、僕ラグビー部に入ります」と話したところ「お前はバレー部に入れる予定で学校に入れているんだ」と進学校なのに謎の発言。小一時間説得された結果バレー部に入り、高校時代はバレー漬けの生活(チームはベスト16と8を行ったり来たり)。と、がっつりバレーをしてきたわけですが、その後27歳でバレーを辞めるまで拭えなかった辛い思い出が。

それは中学校の引退試合、最後は私のスパイクミス。そして高校の引退試合、最後は私のサーブミス。もう本当にその後何度も夢に見ました。大学では社会人の6人制チーム。社会人になってからは、職場から1時間かけて伊佐の9人制のチームへ。この2つは年上が多かったのでとても居心地が良かったですね(甘えん坊体質)。川内のバレーサークルを挟んで、転機は職場近くの9人制チーム。1人を除いて年下でみんなめちゃくちゃうまい。もう何年も本気でバレーしてなかったのに強いチームに入って、試合に出た結果ミスを連発し学生時代のフラッシュバック。その大会きりバレーを引退することにしました。バレーを辞めてからというもの、夢に見ることは一切なくなりまして、不思議なもんですな。

というわけで、バレーの時代の変わり目は高校の顧問との出会いと27歳で強いチームに入っちゃったことですかね。

マラソン(27歳~現在)

不本意なことに結構な人からマラソンの人だと思われているんですが、始めたのはバレー引退がきっかけです。子どもの頃から走るのは大嫌いで。高校時代の枕崎から谷山までの45km(だったと思う)を走る縦走でも女子に抜かれまくっていました。そんな私がマラソン始めるきっかけになったのが、川内のバレーサークルで一緒だった友人にいぶすき菜の花マラソンに誘われたことです。走るの大嫌いだった私ですが、当時はバレーでの挫折以外にも色々と精神的に辛いことがたくさんあって誘いに乗ったんだと思われます(精神的に辛かったらマラソンなんて走る気にならなそうだけど…)

中々タイムが伸びなかった私がサブ4を達成できたのはなぜか考えてみると、Instagramを始めたのと時期が重なる気がします。やはりモテたいという気持ちは原動力になるようです。その後、伴走、トレイルと更にのめり込む羽目になります。

よってマラソンの時代の変わり目は「バレーでの挫折」と「Instagram」ということにしておきます。

プロレス(14歳~25歳)

プロレスで一番印象深い記憶は中学校の修学旅行のホテルで同室の友人が新日本プロレスを見ていたこと(テンコジの試合だったと思う)。そこから興味を持ち出して、同じバレー部だった篠崎くんに連れられて鹿児島アリーナに全日本プロレスを観に行ったのを覚えている。リングの片付けを手伝い、三沢さんのサイン入りのポスターを貰った(価値が分からず誰かにあげちゃったけど)。そこからどんどんハマり、大学時代には後楽園ホールに全日本プロレス観に行ってスタンハンセンにフィギュアにサインしてもらったり、新日本プロレス、ZERO1、ノアと頻繁に観に行った。社会人になってからも、熊本まで全日本プロレス観に行ったり、友人がレフェリーをやっていた華☆激を福岡に観に行ったり、職場の後輩連れてドラゴンゲート見に行ったりしていたけれど、いつからだったかあまり行かなくなった。先日、伴走中間から誘われてKAIENTAI-DOJOへ。久々のプロレスはやっぱり楽しかったです。

というわけで、プロレスの時代の変わり目は篠崎くん(中学卒業以来会ってないけど元気かな)。

やばい。あと20分。

演劇(20歳~現在)

大学生になってから演劇を見に行くようになった。初めて見たのは阿佐ヶ谷スパイダースの「はたらくおとこ」。初観劇にしては、少々グロ過ぎる気もする。その後、大学時代は長塚圭史演出や後藤ひろひと演出の作品を中心に観劇。

そもそもなぜ演劇を見ようと思ったか。。。そう、あれは高3の文化祭。前日に中学時代の友人が事故で亡くなった。朝から学校に行くもずっと泣きっぱなし。その状態で観たのが演劇部の舞台だった。

そのときの作品の印象が強く残り、大学に入って劇場に足を運ぶことになるわけですが、当時の演劇部員と再開することになる。

社会人になり鹿児島に帰ってくるも鹿児島ではおもしろい演劇は見られないだろうと思っていた。ある日、南日本新聞に載っていた公演案内を見てなぜか見に行こうという気持ちになった。劇団鳴かず飛ばずの大江戸ロケット。鹿児島ではおもしろい演劇は見られないという私の予想は大きく裏切られた。後から知ることになるが、涙の文化祭で演じていた2人がその舞台に立っていた。

その後も、鹿児島でたくさんのおもしろい劇団に出会い、たくさんのおもしろい舞台を見てきた。

というわけで演劇の時代の変わり目は高校の文化祭と劇団鳴かず飛ばずとの出会いですかね。

すみません。23:53になりました。私水曜担当なんでここらで一度アップしてもよろしいでしょうか?すごく怒られる気がしますが、一旦アップして書き続けます。ここが #日付の変わり目 です。

落語(21歳~現在)

続いてハマったのが落語。これはもう単純で宮藤官九郎脚本のドラマ「タイガー&ドラゴン」の影響。DVDボックス買うくらいのハマり具合で、ちくま文庫の落語百選買い揃えたり、落語のPodcastダウンロードして聞いたり、研究室の合宿で小噺披露したりしてました。

実際に生で見たのは、社会人になってから。私のメインブログ記念すべき第1回目のポストがこちら。このイベントで落語会を主催する笑援隊さんのことを知り、ひと月後に初の落語会へ。

そこから定期的に落語聞きに行っております。。。書いていたらある記憶が急に呼び起こされたんですが、出張ついでに上司に天満天神繁昌亭に連れてってもらってますわ。ひょっとするとそれが初めてかもしれない。

それはさておき、タイガー&ドラゴンの辰っちゃんと半蔵さんよろしく、枕を聞いて「○○だねぇ」と顎を撫でながらニヤつくのが何よりの楽しみです。

というわけで、落語の時代の変わり目は「タイガー&ドラゴン」「笑援隊との出会い」です。

ラジオ(22歳~現在)

好んで聞いているラジオがいくつかあります。

・ニッポン放送 オードリーのオールナイトニッポン
・TBSラジオ 火曜JUNK爆笑問題カーボーイ
・TBSラジオ 水曜JUNK山里亮太の不毛な議論
・TBSラジオ 安住紳一郎の日曜天国

この4つは録音してフルで聞くやつ。どうしてラジオ聞き始めたかなと考えてみると、車での通勤時間が毎日80分ほどあるので、Podcastをダウンロードしたのがきっかけだった気がします。当時は上記「安住紳一郎の日曜天国」「TBSラジオ 火曜JUNK爆笑問題カーボーイ」に加え「Saturday Waiting BAR AVANTI」を一番よく聞いていました。色んな人の話を聞くことができて、特に本の紹介を聞いた後にはその本を注文していました。AVANTIの影響で一時期スコッチウイスキーにもハマっていたのは少し恥ずかしいですね。AVANTIの後継番組も似たような番組構成ですが、インタビュアーが世間知らずにも程がある設定でインタビュイーの魅力を台無しにしているのが嫌で聞かなくなりました(当時の話)。

その後は上に書いた4つの番組をフルで聞くようになりました。オードリーのオールナイトニッポンに関しては今一番好きなラジオ番組で、最近発売された番組本を2冊とも買うほどなのですが、いつ頃から聞き始めたかは定かではありません。ただ、19歳の頃に学生寮でエアエッジを利用し、GYAOでオードリーの漫才を見て爆笑していたことははっきりと覚えています。あと、モノマネ大好きな上司に出張ついでにキサラに連れて行ってもらったときは「ここがオードリーも出演していたキサラか」と感動したのも記憶に新しいです。何が言いたいかというと、M-1でオードリーがブレイクする6年も前から私はおもしろいと思っていたもん!ということです。

というわけで、ラジオの時代の変わり目はAVANTIの放送終了です。

どうやって終わっていいか分からなくなってきましたが、まだまだ続きます。

パソコン・インターネット(13歳~現在)

他にもある気がしますが意識が遠のいて来たので最後にします。

流行とは無縁に見える父でしたが、パソコンが我が家に来たのはそこそこ早かった気がします。小学校ではレミングスをしたことしか覚えてませんが、パソコンの授業が始まった世代。パソコンがやってきたときはとても嬉しかったのを覚えています。当時はインターネットには接続しておらず、もっぱら目的は麻雀か自分磨き(リトルトゥースらしい言い方。リトルトゥースとはオードリーのオールナイトニッポンのヘビーリスナーのことです。決して「自分磨き」を検索してはいけません。決して)。大学入学と同時に当時20万円オーバーだったNECのLAVIEを買ってもらい、エアエッジで激遅インターネット。今では考えられないけど当時はよくあんなので動画見てたなぁ。オードリーだけじゃなくて永野や流れ星も2002年から目つけてたもんね!

学生時代にmixiに始まり、アメブロ、FC2ブログと移行し、社会人になってtwitter、facebookを開始。会社のホームページをdreamweaverで作成し、HTMLやCSS、flashも勉強。Wordpressにブログを移行し、数年後に会社のサイトもWordpressに。

父のおかげでパソコン・インターネットを好きになり、最先端じゃないもののそれなりに楽しめている。

というわけで、パソコン・インターネットの時代の変わり目は「我が家に来たWindow95」と「エアエッジでの激遅インターネット」です。


やっぱり他にもあることを思い出したんですが、お気付きの通りキレもなくなってきたのでこの辺で終わりにしておこうと思います。平成は終わりますが、皆さんの人生はこれからまだ続きます。平成の終わりを機に一度自身の人生を振り返ってみるのもいいかもしれませんぞ!それではおやすみなさい。(25:27)

サポートいただきましたお金は、サブ3の達成や伴走活動、マラソン・トレイル大会遠征費用等に使わせていただきます!