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素直に生きるための教科書〜デトックスエッセイ:今日のゴミ掃除〜

今日はマチマチとスーパーに行った。

自転車置き場を通りがかったところ、自転車を思いっきり蹴飛ばしている人がいた。

吹っ飛ばされた自転車は僕らの横2mくらいの位置に無機質に転がった。

蹴飛ばしている人は気に食わない顔で自転車に乗り、その場を去った。

とてつもなく病んだオーラを周囲に撒き散らしながらも、きちんと自転車用ヘルメットを被っていたのが不思議だった。

買い物から帰ってきた後、なんだかひどく疲れてしまって、飯を食う以外全く動くことができなかった。

情報がパンクしている。

今、こうして文章を書いているのはデトックスみたいなもので、ただダラダラと情報を食べ続ける日々に満腹感をはちきれさせてしまったからだ。

体が思うように動かない。動けないから、楽しいことをすることができない。

楽しいことをするヒントを探すためにスマホで歴史系youtuberの動画を見てみる。

しかし、今日は「もうおなかいっぱい!こんなの見たくない!」ってところまできてしまった。

そう思った時に毒を吐き出すように筆を取ることしかできなかった。

何も考えない。ただ、降りてきた言葉をこのキーボードに打ち込めばいい。

喉の奥に指を突っ込むように、文章にならない駄文をインターネットの海に放り出してみる。

がんばらない宣言

先日、マチマチに協力してもらって、今の自分を縛り付けているゴミ出しをやった。

今、自分の中でゴミだと思っている感覚は
・仲がいいと思っていた人が自分の知らないところで自分の大切なものを奪っている
・誰からも評価される数字を持っていない自分は人として生きている価値がない
・お金をもらえないものに価値はない
・自分よりも上の立場の人の言うことが全て正しい
・がんばっていない今日が積み重なると破滅する

ー 引用:やることがシンプルになってきたから、残りはゴミ掃除でもしようかな

これらのバラバラだったゴミの根幹は「がんばっているのに、もっとがんばらなければいけない地獄の中で生きなければならないと思っている状態」と実にシンプルなことだった。

こんなにがんばっているのに、どうしてまだがんばらないといけないの?

少年期に放置するどころかずっと広げ続けていた心の傷をに気づき、それを広げようとすることを止めた。

いい仕事をした!と思っても、頑張った!と思うことはやめよう。

頑張りとかいう不確定要素の多いガチャを回すことよりも、こうすればできるんじゃないか?と思ったことを1つ1つ実行して組み合わせていこう。必要なパーツを集めて、あるいは組み合わせの中で作り出して、完成品に近づける。ただそれだけだ。そこに努力なんか必要ない。

ラファエルがしくじり先生に出演して、youtubeのことを話してくれていたけれども、最後の「努力でできないことはない」って言葉だけがなんか外れていた。

それを聞いたときに、努力を美学にしたり努力のおかげで叶った!っていったりするのは、たまたま運と適性がマッチした人が自分の成功の道筋を人にうまく説明できないときに使われる言い訳なんだろうなって思った。

以前にも書いた気がするけど、努力してないからとかそういうのはもうやめにしよう。本心から望まないスキルアップもやめにしよう。ゴミだゴミ。

素直に生きられないと思っている人のための素直に生きるための教科書

マチマチが僕と結婚してくれたのは僕が純粋な人だったかららしい。

その純粋さや素直さは仲の良い友人のほとんどから褒められ、今こうしてついてきてくれる人もそういうことでついてきてくれているのかもしれない。

どうやら、僕の周りにもそういう人が多いらしい。純粋で、素直な人たちばかりだ。

何でもかんでも素直に信じているんだったら、そのうち悪い人に騙されるよーって何度も言われたけれども、嬉しいことに悪い人から騙されるようなことは福岡を離れてからは一度もない。むしろ福岡以外でそういう人から実害を受けたことはない。少年期の悲しみや高校時代の苦しみなんかは素直に生きることができない辛さからきたものだったのかもしれない。

素直に生きるためには、素直な人を騙すような人がどのような手口をつかって騙そうとしているのかを理解し、自分の心の中の違和感を大切にすることが必要なのではないか。

思えば、小学校に僕を騙してきた悪い奴自身のことを見ずに、自分の不安ばかりを見つめていたのかもしれない。

彼以外に友達がいないから、彼を悪く言ってはいけない。

彼には僕しかいないから、彼に最後まで付き合わなければいけない。

あれもこれも、全部自分の不安。

たくさんお金を稼ぐための情報商材とかも、悪質なスピリチュアルのそれに騙されるのも、ぜーんぶそれそのものを見てるんじゃなくて、自分の心の中のコンプレックスを見透かされて、そのコンプレックスに目がいくように仕向けられているのだ。

逆に、そういうものっぽいものに出会ったときに、考え方をシャットダウンさせるかのように「騙されないぞ!」と身構えるのもあまりよくない。本当に自分のことを大切にしてくれようとしている人でさえ遠ざけてしまうから。

それを選択するかしないかは、その人から受け取った価値に感謝を込めて渡すとしたらどれくらいのものか?を基準に考えるといい。

それが気持ちよく払える金額だったならそこに払うお金に後悔はなくなるし、え?こんなに高いの?って思うんだったら自分が受け取ったと思う価値の分で払える金額分だけ渡しておけばいい。

自分への感謝の気持ちが込められたお金を受け取って気持ちよくならない人はいない。どちらにせよ、そのときの反応でその人が本当に自分のことを助けようとしてくれたかどうかがわかると思う。

基本的に、素直な人を騙そうとする人はその人のコンプレックスとかそうせざるをえない状況に追い込むのが上手な人だ。

そういう人に出会ったら、自分のコンプレックスに目を向けるんじゃなくて、その人のことを見よう。

何か敵意のようなものを感じたらさっと離れればいいし、それでも気になるんだったらそういう人とは別のルートで解決した方がいいのかもしれない。

なんとなく嫌な感じを大切にしよう。嫌な感じを感じたら、その人の態度を見よう。

p.s

ちなみに、高額だなと思うセッション料を定価にしている人に「自分のセッションを受けないか?」と誘われたら、「今お金がないけど、あなたのセッションを受けたいから、あなたのセッションを受けるために宇宙銀行へアクセスしてみようと思う!」と相談してみるとよい。たぶん、本当に助けたい人だったら教えてくれると思う。宇宙銀行のことを知っている人に限るけどね。

ちなみに、宇宙銀行っていうのは、宇宙にある銀行で、誰でも自由にその巨額の富から必要な富を引き出すことができるっていう伝説だ。あくまで、伝説なので本当に存在するかどうかはわからないが、使おうとしてみるだけならyoutubeとか適当なネット記事にやり方が転がっているのでやってみるだけ損はないと思う。想像するだけなのでね。

なお、前回のスピリチュアル記事で書いたように僕はまだ高額スピリチュアルセッションなるものをやったことがない。

最後まで読んでくださってありがとうございました! サポートもらえると、テンション上がって更新ペースが上がるかもしれません。