職業としての女性用風俗を考える

ちょっと思ったこと書きます。

女風はボランティアではなく仕事なのでサービスの対価をいただいています。対価をいただいている以上、そこには責任が生じ、誠実にサービスを提供していくことが必要となります。

うまく提供できなかったら何故そうなってしまったのか、どうしてご満足いただけなかったのかを考え、しっかり反省して次に生かしていかなくてはいけません。それを繰り返すことで自信をつけていきます。

どんな職業でもそうですが質を上げればモチベーションは保てるでしょうか。答えはノーだと思います。どれだけ質を上げても提供側がモチベーションが低い状態ではお客様に喜んでいただけませんし、そもそも心が折れてしまっては続けていけません。ではモチベーションは何によって高まるのでしょうか。

僕はやりがいだと思っています。

多くの職業に共通するやりがいって、笑顔になってもらったりワクワクしてもらったり、幸せを感じてもらって生活を豊かにしてもらうことだと思ってます。仕事が自分の存在価値を確認できる場所とも言えます。自分の仕事によって喜んでいただき、それに見合った対価をいただく。これによってモチベーションを高く維持できるのだと思います。

少なくとも僕がこれまで経験してきた職業はすべてそのやりがいは共通していました。人を不幸にして対価をいただくものはなかったです。

他にも素敵な人や尊敬できる人との出会いや、知識の吸収、情報入手など、色々もありますが、誰かに幸せを提供していることの実感、またはそのイメージ。それに尽きます。

それが仕事の意味だと考えると、女風を特別な職業だと考えすぎてないかなーって感じがしてなりません。

目的は同じなんですよね。商社も製造業も通信業も小売業もその他たくさんの職業と同じです。その手段が特別なだけです。そうなんです、わかっていてもよくあるのが目的と手段の取り違えです。

目的⇒お客様の喜び、豊かな生活のご提供

手段⇒施術(指圧や性感)とおもてなし

手段が目的になると身体がメインになったりお客様目線が薄くなり、マニュアル的な色が強くなります。手段を飛び越えた目的は違う職業です。

「プロとしての施術とおもてなしの心を通してゆったりとした雰囲気でお客様を包み込み、心身ともに心地いい時間を過ごしていただくこと」が僕の中の女風です。

長々と書きましたが、迷ったときにはそこに立ち返ろうと思っています。目的は何なのか、手段はどうなのか。

その軸さえブレなければ、どんなフランクな関係(お客様が居心地のいい関係)でも手を抜かずにサービスのご提供が出来るはずですし、無責任な行動にはつながらないと思います。

歴史の動きから考える女風のあり方は別の機会にnoteしますが、今の時代、女風は求められていると感じています。砂漠の中を歩き続けて、やっと見つけたオアシスの水の一部が毒だったなんてことにしてはいけないと思ってます。ましてや自分が毒になんてなりたくないです。綺麗な水で満たしてお待ちしたいのです。

道のりは長いですが、業界全体の精神的な成長で、ユーザーのみなさんが迷わないような環境を作っていければ素晴らしいと思っています。いちセラピストが生意気なことをほざいていますが、そんな未来に期待しつつ、自分の出来ることを感謝の気持ちを忘れずに、地に足をつけてやっていきたいと思います。

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