【アーバンスケッチ】まちをDigる社会的レクリエーションの魅力
2023年4月1日、2日にかけてUrban Sketchers Japanさんの”Urban Sketching Weekend”というイベントが津田沼で開催された。
ご存じない方のために紹介すると、アーバンスケッチとは、まちの風景や建物、人々の様子などをスケッチし、その瞬間の雰囲気や情景を表現する活動で、Urban Skechers Japan(以下、USkJ)はその日本のコミュニティだ。USkJでは定期的にMeet Upイベントを開催しており、アーバンスケッチャー(以下、スケッチャー)が集まってまちをスケッチしつつ、他のスケッチャーとつながる交流がさかんに行われている。また、描いたスケッチはSNSを通して共有することを推奨していて、世界中のスケッチャーと繋がれるのもこのアーバンスケッチの魅力なのだとか。
今回、僕たちnom de cocoaは、ミラクルな出会いからUSkJ主催のイベントの津田沼の水先案内人をつとめることになった。具体的には、会場となる場所の手配、スケッチする題材(主にお料理)の紹介など、津田沼でアーバンスケッチを開催するために必要なリソースをUSkJさんに紹介するのが今回の僕たちの主なミッションだった。
絵心ない側の人間だった僕たちだけど、今回参加してみてアーバンスケッチの魅力がわかった気がするので、今回このイベントを「ローカル」と「コミュニティー」という側面からレポートしてみようと思う。なお、イベント内容の詳細なレポートは、USkJさんに譲ることにして、ここではあくまでローカルの水先案内人として僕が感じたことを記す。
1.ことのはじまり
2019年の12月にポートランドの友人を招いて「まち、パブリック」について考える小さな勉強会を開催した。(既出記事はこちら↓↓↓)
この勉強会の前、講師である友人たちを案内して周辺を散歩していて、近くのギャラリー・カフェでランチをとることにした。美味しいランチを頂き、さてそろそろ戻ろうかとなったとき、僕らの後ろでスケッチをしてい人がいることに気づいた。気になって声をかけてみると、まちをスケッチする”Urban Sketchers”という活動をしている人だった。これから「まち」ついて考える勉強会をやろうとしているところ、「まち」をスケッチしている人に出くわす奇遇に驚き、興奮しながら勉強会にお誘いした。さらに話してみるとめちゃくちゃご近所さんだということがわかった。しかも、USkJのコアメンバーだという。近所にこんな素敵な活動をしてる人がいたのかーと驚いたのを今でも覚えている。その人が今回の企画の首謀者、USkJの桃子さんだ。
そのあと、事あるごとに「何か一緒にやりたいねー」と言い合いながらも、コロナ禍にその企ては阻まれていた。ようやくコロナ禍の出口が見え始めた3ヶ月ほど前、彼女から「香港からインストラクターを招いて、地元の習志野でアーバンスケッチをやりたいんだけど一緒に手伝ってくれないか」と声をかけられた。常々アーバンスケッチは面白い活動だと思っていたし、香港とか外の人を習志野に呼ぶことなんてそうそうないだろうと思った。これまで習志野周辺でいろいろな活動をして培った人のつながりを活かせばきっと面白いことが出来るはずだと思い、よろこんでお手伝いを引き受けた。
2.なぜ京成津田沼で?
今回の企画が立ち上がった当初から、このイベントは、習志野・津田沼エリアで開催することが念頭に置かれていた。その理由は、今回の首謀者であるUSkJの桃子さん(と僕たち)の地元であること。そして、津田沼という東京駅から電車で約40分の郊外都市、これといって風光明媚な観光名所があるわけではないベッドタウンにも、京都や浅草に負けない魅力が隠れてるんだぞと外の人に知ってもらいたかったから。あわよくば、香港の人たちが帰国して「千葉の津田沼ってエリアが意外に良かったぞ!」と触れ回ってくれたら、僕も鼻が高いなと思ったりもした。
なお、人のつながり、ロジ、レンタルスペースの空き具合などの事情から、開催場所は京成津田沼駅周辺とすることにした。
津田沼エリアの中でも京成津田沼駅周辺の特に商店街は、いわゆる”シャッター通り商店街”と呼ばれるような衰退が顕在化したエリアだ。でも、僕たちにとってこのエリアは、昭和の名残をところどころに残すノスタルジーなエリアで、また生活者の目線からみると人々の飾らない暮らしがあると感じていた。
アーバンスケッチという活動を通して、そんなガイドブックには載るはずもない京成津田沼周辺の隠れた魅力に光を当てられるんじゃないかと思った。ニューヨークのソーホーだってブルックリンだって、今みたいにおしゃれになる前は廃れたエリアだったって聞くし、いち早くそのエリアの魅力を見出したのはアーティストたちの美的センスだったわけで、スケッチャーのみなさんが「アートな目」で寂れた京成津田沼に価値を見出してくれるんじゃないかと思った。
3.どきどきしながら迎えた当日
迎えた当日、「見栄を切ったはいいが、本当に津田沼なんかに人が来てくれるんだろうか」という心配をよそに、県内や都内の比較的近郊の方はもちろんのこと、津田沼から遠く、小田原、岡山、北海道、果てはイギリスから来てくれたスケッチャーの方もいらっしゃった。
集合場所は地元の自治会の集会所。ここの場所はたぶん地元の人でも知らない人が多い場所なのだが、この周辺で集まれる場所を探していた時に地元の重鎮に「いいところあるぞ」と紹介してもらった。
正直、僕らですら「え、ここ?」って気はしていたんだけど、当日ぞくぞく集まってくる日本各地、海外出身のスケッチャーのみなさんがなんの違和感もなくこの場所を受け入れていれて畳の上に車座になっている光景を見て「あ、これで良かったんだ」って安心したし、驚いた。
僕たちは、チケットのもぎりを担当していたのだけれど、来る人の大半が海外出身の方でここでの公用語は日本語ではなく英語だった。Urban Sketchersが国際団体だから海外の人が多いというのは話には聞いていたけれど、Japanで、しかも津田沼でやってるイベントなのに海外出身の方が多いというのもこのUSkJというコミュニティーの特異性を表していて、とても新鮮だった。
スケッチャーのみなさんはそれぞれ自分が参加したいセッションのチケットを購入し、ワークショップとデモンストレーションに参加されていたのだけど、同じ時間に同時並行で行われるものもありみなさんはどれに参加しようかって悩ましかったんじゃないかな。僕だって全部のセッションに参加したかったもの。
4. つながりの技法としてのスケッチ
今回のイベント開催前、「津田沼とその周辺」というローカルwebメディアが取材してくれたそうで、その中でアーバンスケッチのことを「つながりの技法としてのスケッチ」と書いていて、なるほど言い得て妙だなと思った。
というのも、今回、あるスケッチャーの方が座り込んでスケッチをしていると通りすがりの人に「あらー素敵な桜の絵ですねえ。」なんて話しかけられている光景を何度も目にし、「恥ずかしがりな日本人が見ず知らずの人にこんなに声をかけるの?」って驚きだった。ベテランのスケッチャーの方曰く、それが楽しいのだと。アーバンスケッチを介して会話が生まれ、そのまちの歴史を教えてもらったり、地元の美味しいお店を教えてもらったり。ときには嫁の愚痴を聞かされたりなんてこともあるのだとか。なるほど、たしかに人とのコミュニケーションを媒介するツールという側面がアーバンスケッチにはあるな、と思った。
別のスケッチャーの方は自身のスケッチと共にこんなコメントを添えていた。
例えば、僕が友人に会いにはじめてのまちを訪れたとして、こんな風に感じ取れるだろうか。おそらく、そういう目で意識的にまちを眺めていなかったら出来ないだろう。
アーバンスケッチという営みを通して、意識的にまちを観察する。「なんかこの景色いいな。なんでこんなに気になるんだろう。ああ、そうか、あのビルの直線と街路樹の有機的な曲線の調和がいいのか。通り過ぎる人もなんだがウキウキしてるみたいだぞ。」みたいな感じで、スケッチャーズのみなさんの心の中では景色との対話が行われているんじゃないだろうか。
そうして自分が感じる美しさを見出し、切り取りシェアする。この「観察」→「対話」→「切り取り・シェア」という —iPhoneで写真を撮るよりもだいぶ遠回りな— 一連の営みがその土地への愛着を生み、さらにはそこに暮らす人々の息遣いを聞きとる繊細な触角を与えてくれるんじゃないかと思った。
5.インクルーシブなコミュニティ
今回参加してくれたスケッチャーのみなさんは、「スケッチが好き」という点を共通項として持っていて、さっきまで話に夢中になっていたかと思ったらいつの間にかスケッチブックを取り出し、気づくとみなさんスケッチに夢中になっているという光景も今回は何度も目にした。
まるで言葉ではなくスケッチで会話しているようで、その時間は言葉がなくとも深いところで意識を共有しているようだった。
しかし、スケッチャーのみなさんは「スケッチが好き」という共通項を持ちながらも、性別も年齢もばらばらなら、出身の国も様々だった。言葉も日本語、英語、中国語が僕の頭の上を通り越していって、いったいここが津田沼なのか、どこなのかわからなくなるくらいだった。
こうした多様なバックグラウンドを持つ人たちが集うコミュニティーだからか、アーバンスケッチには「こうあらねばならぬ」という描き方、風景の切り取り方がない。スケッチャーそれぞれに個性があり、周りもその個性を尊重し、受け入れてくれる寛容さがあるのだ。
そして、絵の上手い下手もさして問題ではないそうだ。そう聞くと、小学校のときから図画で最低評価しかもらったことのない僕のような人間は、「そんなん絵の上手い人の言い分じゃないですか。もう本当に人には見せられませんよ!」とか思ってしまう。
でも、Urban Sketchersの場合、もともと多様なバックグラウンドをもつ人たちが集まりインクルーシブな文化が根付いてるから、僕の下手くそな絵だって個性の一つとして受け入れてもらえる安心感があった。「それでいいじゃん。楽しもうよ!」って優しく背中を押してくれているようで、僕の中で完全に錆び付いていた「自分の手で表現する」という欲求に火が灯ったような気がした。
6.アーバンスケッチのすすめ —まとめにかえて—
アーバンスケッチで「私が好きな風景」を見つけてシェアするのは、レコードをDigるのに似ている。レコード好きな僕たちnom de cocoaはよく中古レコード屋さんに行って「なんかいい」レコードを探すのが趣味だ。この変な趣味のことをレコード好き界隈では「Digる(=イカしたレコードを発見する)」と表現する。Digる醍醐味は「そのレコードが持ってる良さを僕が認めてあげる」ことにあると思っていて、それをDJパーティーで披露して「すごくいいじゃん!これなに?」って聞かれることにもこの上ない悦びを感じる。
今回のUrban Sketching Weekendというイベントに中から関わってわかったことは、アーバンスケッチにおいては「わかりやすい美しさ」よりも「私にはわかる良さ」を見つけることに重きを置いているということだ。これは僕たちがレコードをDigる理由となんだか似ている。
アーバンスケッチにおいて、描く場所は一見してわかる綺麗で「映える」場所でなくたって良くて、寂れたシャッター商店街でも良いし、ありきたりな国道沿いだって良い。どんな場所でも魅力を見つける、見つけられる感性を養うことがアーバンスケッチの醍醐味なのだ。
そうであれば、このアーバンスケッチという文化が、習志野・津田沼はもちろんのこと、日本全国の衰退著しい郊外都市や地方都市にも広まり、根付いたら面白いことになりそうだなと思っている。まちの衰退というと、人口減少とそれに伴う地域経済の衰退が語られがちだけれども、そこに暮らす人たちがまちの景色、文化、歴史といったものへ興味を持たなくなってしまうことこそが一番の問題じゃないかと思っている。現状がどうであれ、そこに暮らしている以上、その様子さえも肯定し「私にはわかる良さ」を見出していくような営みが必要なんじゃないかなと常々思っていて、この部分にアーバンスケッチがぴったりはまると今回強く感じた。
この感性的かつインクルーシブな営みを通してまちの見方が変わり、「あれ、私のまちにもなかなかなか良いところあるかもしれない」と思えるようになり、いずれ「いいじゃん、私が暮らしてるまち」と感じられるところまでゆけるんじゃないか。そして、そんなふうにみんながそれぞれ自分の暮らしの徒歩圏内に愛着を持てるようになったら、その総和である地域コミュニティ、さらに日本全体が経済発展だけに頼らない豊かさを抱いて、感じ良く暮らしていける気がしている。
アーバンスケッチとは、単に個人の愉しみとしてのスケッチイベントに留まらず、「ローカル」と「コミュニティ」に対してポジティブな影響を与える『社会的レクリエーション』なのだと僕の視点からは見えている。
7.謝辞
今回場所を提供下さったMICHIYAさん、Longhornさん、みはし湯ホールさん、お料理を提供してくださったtipi coffeeさん、無茶振りに対応してくれたuniteさん、そして、コトブキの高村さんに感謝申し上げます。本当にありがとうございました。そして、僕たちを誘ってくれた桃子さんとUSkJのみなさんにBIG LOVE!! XOXO!!
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